第29話 親友
翌日も優美は学校を欠席していた。
「おはよ矢地」
登校して椅子に腰かけると同時に、前の席の女の子に挨拶された。
「おはよう」
彼女に挨拶されるのはこれが二回目だ。
一回目は、優美と付き合って一週間が過ぎたくらいの放課後。思いっきり胸倉を掴み上げられた記憶がある。
「ちょっと付き合ってよ」
その苛立ったような口調から、いい話ではないんだろうなと悟った。
彼女は俺のことをひどく嫌っているから、世間話みたいなどうでもいい話は絶対にしてこない。
「わかった」
そして彼女と向かったのは、隣にある空き教室。授業教材なんかが納められている部屋だ。
ドアを閉めると、彼女は俺の頬を思い切り叩いてきた。
「ねぇ、説明してくんないかな……!」
俺のネクタイを引っ張り上げ、彼女は怒りの形相で俺を睨み据えてくる。
「優美を泣かせたら許さないって、あたし言ったよね?」
……ほんと、大津さんは優美のことが大好きだな。
苦笑していると、思いっきり足の先を踏みつけられた。
「っ……!」
踵で踏みつけられたものだから、あまりの痛みに身を屈めてしまう。
それと同時に頭を横から蹴り飛ばされて体勢を崩し、壁に衝突した。
「ほんっと意味わかんないっ!」
それでも追撃の手は緩まない。
俺の右肩に踵を当てて、壁にごりごりと押しつけてくる。
「なんで優美は平塚を捨てて矢地なんかを選んだんだか」
大津さんは、俺と優美がいっしょに帰っている場面をたまたま目撃した。どうしていっしょに帰っていたのかと問われた俺は、付き合っているからだと正直に答えた。その時に胸倉を掴み上げられて「優美を泣かせたら許さないから」と釘を刺された。
それがGW直前の出来事。
それから大津さんは誰にも俺と優美の関係を明かさず、俺たちの関係を見守ってくれている。
公にしたくないという、優美の口にはしない願いを汲み取れるくらいにはいいひとだ。
「矢地ってほんとキモイよね」
もっとも、俺に対する風当たりは台風みたいに強いんだけど。
「ここまで理不尽な目に遭って文句のひとつも言わないってどうかしてる。極度のドMかなんかなの?」
唾をかけてきてもおかしくないくらいに、大津さんは冷め切った顔で俺を見下している。
俺のことを人間と認識しているのかも怪しい。ゴミ屑かなにかと思っているのではないだろうか。
「どちらかというと、Sよりだと自覚してる」
「誰もそんなこと聞いてないってのっ!」
肩を強く踏みつけてくる。
大津さんは空手経験者だから、蹴りの威力がなかなかに強い。
「だから優美を悲しませて楽しんでんの? 肯定したら殺すから」
「殺すなんて物騒な言葉はそんな軽々しく使っちゃいけないよ」
その暴言で傷つけられて、母さんいつも泣いていた。
あたたかい言葉で大切なひとを幸せな気分にしてあげるんだよって、母さんは何度も俺に諭してくれた。
「優等生ぶってんじゃねぇよこのクズッ!」
全力で頬に蹴りを入れられて、口のなかが鉄の味に染まる。
……まぁそうだよな。経験者しかわからない感覚だもんな。
「今さらなんだけど、俺が優美を泣かせたってなにを根拠に言ってるの?」
事実、泣かせるよりも酷いことをしているが、大津さんがそのことを知る術は優美から相談を受ける以外にないはずだ。
優美に聞いたから。その返答以外にありえないと思っていたのだけど、大津さんは予想とはまるで異なる返事をする。
「動画だよ」
「動画?」
「そ。学校の裏掲示板」
小耳に挟んだことはある。
教師や生徒の誹謗中傷。そういったものが日に日に更新されているサイトがあるらしい。
それのなにが楽しいのか俺にはさっぱりわからないが、誰かを貶めて優越感に浸ることで日頃の鬱憤を晴らすひともいるのだろう。
優美の親友ともあろう大津さんが、そんなつまらないものにかかずらっていることに俺は悲しみを覚えた。
――牧菜は良い子なんだっ。
そう、何度も優美は自慢げに話してくれたのに……
「……ねぇ大津さん。優美の好きなことって知ってる?」
「は? 知らないわけないじゃん」
俺を小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「寝る前にだらだらyoutube見ることだよ」
たしかに、それも優美の好きなことのひとつだ。
けど、それは一番じゃない。
「……親友ってなんだろうな」
おしゃべりすること。
それが、優美が一番好きなことだ。
「なにが言いたいわけ?」
「虚しくなっただけだよ」
「あっそ」
ほんと、こんな感情の腐敗した子が優美の親友だなんて信じたくない。
「そろそろいい時間だから要件だけ伝えるけど、矢地とあの調子こいてる優等生潰すから」
足先で俺の顎を持ちあげて、大津さんは淡々と言った。
「は?」
調子こいてる優等生を潰す?
「矢地が浮気したのか、あいつが矢地を優美から奪ったのかしんないけど、いずれにせよあんたらがしたことは最悪だよ」
スマホの画面を見せてくる。
「……」
そこには抱き合ってキスする俺と葉月と、それを呆然と眺める優美の後ろ姿が映っていた。音声もばっちり入っている。
……なるほど。どうやらこの動画が裏掲示板に挙がっているようだ。
「あいつ、前みたいに孤立するんじゃない。まぁ、最近ウザかったしちょうどいいんだけどさ」
死ねばいいのに、なんて言って大津さんはケラケラ笑っている。
「あ?」
直後、俺は大津さんの胸倉を掴み上げて拳を振りかぶっていた。
「……な、なんだよ、矢地のくせに」
「訂正しろよ。今の言葉っ!」
机を殴りつけると、天板が目に見えてわかるくらいにへこんだ。
「ひっ……!」
大津さんは怯え切っている。
「葉月になにかしてみろ。優美の親友だろうが、容赦しねぇからな」
「……」
「返事はどうした」
「は、はいっ」
「……ちっ、都合のいいときだけ恭順になりやがって」
拳の力を緩めると、大津さんは力なくぺたんと地面に座り込んだ。
「さっきまでのことは全部なかったことにしてやる。だから今あったことは誰にも公言するな。いいな?」
「……で、でも」
「わかったな?」
重たい声を発して凄む。
「……わかりました」
「じゃあ俺、先に教室に戻るから。チャイムなる直前に戻ってくるように」
ドアを開けて、廊下に満ちる新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。
「……ふぅ。カッとなっちゃったなぁ」
やっぱり、透子ちゃんが側にしてくれないと俺はダメみたいだ。
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