第28話 ハッピーエンドなんて空想は
翌日、優美は学校に来なかった。
優美は滅多に欠席しないため、朝から多くのクラスメイトが彼女を心配していた。
俺が優美と付き合っていることを知っているのは、葉月と透子ちゃんと大津さんと平塚、この四人だけだ。
だから誰も、優美が精神を病んでいることに気づけない。
優美が相談する、あるいは葉月か透子ちゃんが口を割らない限りは、平塚と大津さんでもそのことに気づくことはできない。
「どうしたの? 深刻そうな顔して」
「ん。なんでもないよ。それよりいいの? 俺より友だちを優先した方がいいんじゃない?」
いつものように空き教室でお弁当を食べていると、少し遅れて葉月がやってきた。
週に三日ほど、葉月は俺のお昼に同席する。誰かといっしょに食べるご飯は、ひとりで食べるご飯よりおいしい。
もっとも今日は、薄味だからかほとんど味がしないけど。
「友だちよりも優先すべきは彼氏だよ。やっちゃん、ひとりじゃ寂しいでしょ?」
「そうでもないよ。ひとりには慣れてるし」
どちらかというと、俺はひとりの時間が好きだ。
ひとりはいい。気楽で、なにも難しいことを考えないで済む。
なにより、いっとき罪悪感を忘れられる。
「ふぅん。はーちゃんが来てもうれしくないんだ?」
ぷくっと頬を膨らませる葉月。
苦笑して俺はいう。
「うれしいに決まってるだろ。無理に俺を優先する必要はないってこと」
「やっちゃんが毎日来てほしいって言ってくれたら、はーちゃん毎日ここに来るんだけどね」
論旨がずれている。
「どう? はーちゃんに毎日来てほしくない?」
上目遣いに問いかけてくる。
……ほんと、葉月は甘え上手で困る。
「葉月がそうしたいなら、俺はそれで構わないよ」
「よしっ! 言質取ったからねっ!」
上機嫌に声を弾ませて、葉月はふりかけのかかった白米を頬張る。
「やっぱり、やっちゃんと食べるご飯が一番おいしいなぁ~」
「俺も、葉月といっしょにご飯食べる時間が好きだよ」
照りマヨハンバーグを口に含み、何度も何度も咀嚼する。
ソースと端材の感触があるだけで、味はほとんどしなかった。
○○○
葉月を想う気持ちと優美を想う気持ちに、大きな隔たりがあるわけではない。
だから優美のことが心配だし、慰めたいという気持ちもある。
優美のことを想うと、胸がずきずき張り裂けるように痛み、頭がぐらついて平衡感覚が少しだけ狂う。
味覚が麻痺しているのも、優美に対する罪悪感が原因だということは自分でも理解できている。
優美を切り離して葉月を選んだのは、ほかでもない俺の弱さが招いた結果だ。
あの場面で俺が優美を選んだとしても、優美は俺を拒絶しただろう。
俺にしてみれば一世一代の決断だとしても、優美にしてみれば浮気現場で彼氏が告白してくる、という珍奇な場面でしかない。軽薄というレッテルを貼られるだけで、好意が増すなんて事態はありえない。
だから俺は葉月を選んだ。葉月を選べば、葉月は確実に俺に抱く行為を増大させてくれるからだ。
ここで葉月を切り離したら葉月がまたひとりぼっちになってしまいそうで、こわれた葉月に寄り添えるのはこわれつつある俺だけだと思ったから葉月を選んだという理由もあるが……それだって元をたどれば俺が原因だ。
俺と歪んだ関係を築いていくなかで、葉月はこわれてしまったのだから。
優美も大切で、葉月も大切だ。
けど、俺にとってなによりも大切なのは自分自身だったのだろう。
思えばずっとそうだ。
対立を忌避するのは、自分が傷つきたくないから。
葉月にご褒美を与えていたのは、誰かにキスを見られているかもしれないというスリルを自分も堪能することができるから。
優美と付き合ったのだって、自分と同じように同調に徹する彼女が不幸になる様を見たくなかったからだ。
その結果、俺は葉月をこわし、優美を傷つけた。
彼女たちの未来を歪ませた。
もう、あの頃には戻れない。
一度起きてしまったことは、どう足掻いてもなかったことにはできない。
俺はどう責任を取ればいい?
どうすればふたりを幸せにすることができるんだ?
「……わからないよ、透子ちゃん」
ひとしきり涙を流したところで、透子ちゃんのぬくもりを感じながら俺はつぶやく。
「大丈夫、苦しいのは今だけだよ。時間が経てば、慎哉は憂いなく辻さんと幸せになれる。鴨川さんとのいざこざは私がなんとかする」
俺の背中をさすりながら、透子ちゃんは俺にとって都合のよすぎることをいう。
透子ちゃんはできないことを口にしない。
口にするということは、つまりそれが実現可能な範疇にあるということだ。
葉月と幸せになる。きっと賑やかであたたかい毎日なんだろう。
俺の前でだけ甘えん坊になる葉月。堕落するからよくないと思いながらも、俺は仕方ないなぁなんて言いながら葉月の無茶ぶりを聞き入れて、そのたびに葉月は愛らしい笑顔を見せる。頭を撫でたら、その笑顔はより輝きを増すのだろう。
そんな情景がありありと想像できる。
「……できないよ、そんなこと」
けど、それは俺の描く理想図じゃない。満足できない。
「気持ちはわかるよ。けどね慎哉、辻さんと鴨川さんとした約束をどっちも叶えるなんて、そんなのはじめから空想論でしかないんだよ」
わかってる。両立できてた今までが異常なんだ。
「はじめから慎哉にこの二択が迫られることは決まってた。どちらかの約束を叶えることで、どちらかの約束が潰れることは必然なんだよ」
さっきから透子ちゃんが口にしていることは、どうしようもないほどに正しい。
「……どちらの約束も叶えたいって言ったら?」
けど俺は、そんな正しさからは外れた場所にある正解を求める。
透子ちゃんはこれまで、俺のどんな望みも叶えてきた。
だから、めちゃくちゃな頼みだと自覚しつつも口にせずにはいられない。
透子ちゃんならなんとかできるんじゃないかって。
「できるよ」
軽い調子で透子ちゃんは言った。
「え?」
「鴨川さんも辻さんも幸せになって、最終的には慎哉も幸せになる。それが慎哉の望みで間違いない?」
「ほんとにそんな方法があるの?」
「私は常に慎哉の幸せを最優先に考えてるからね」
柔らかな笑みをみせる。
透子ちゃんが俺の頼みを実現するときに決まって浮かべる、自信に満ちた顔つきだ。
「……お願いしてもいいかな」
自分で蒔いた種を自分で回収できない自分に情けなさを覚えながらも、俺は透子ちゃんの甘い誘いに飛びつく。
「もちろん」
透子ちゃんは、やけにうれしそうな顔をしていた。
「私はずっと、この時を待ってたんだから」
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