第23話 ご褒美
ある休み時間のことだ。
「あ、あの……」
「ん、どうしたの辻さん?」
「え、えっと、その……は、……わたしも会話に入れてもらえない、かな?」
そんな小学生みたいな確認をする葉月を三人の女の子が笑い飛ばし、「辻さん、どこから来たんだっけ?」と、自然な流れで三人は葉月を輪に迎え入れる。
「……」
目を疑わずにはいられない光景だった。
元より葉月はクラスで嫌われてはいない。が、同時に好かれてもいないという言わば空気のような存在だった。
……いや、都合よく葉月に話しかける許しがたい奴らはそれなりにいたか。最近はあまりそういった光景を見かない気がするけど。
「あの子たちとなら、辻さんうまくつるんでいけると思うよ」
隣に座る透子ちゃんが、お決まりのフラットな顔つきで言った。
「透子ちゃんって、あの子たちと仲良かったっけ?」
「ううん。どうでもいい」
かぶりを振って透子ちゃんはいう。
「そこまで言わなくても……なのにどうして葉月と高相性って言えるの?」
「集団に属する人間の人柄、集団の雰囲気、話題。そういったものを辻さんのひととなりと照らし合わせた際に、一番マッチしそうなのがあの子たちだった」
視線を葉月のいる小集団に向ける。
「だから、一回話しかけてみたらどうかって言ってみたの」
なんでもないようにとんでもないことを口にする透子ちゃんに、俺は面食らう。
ひとつは卓越した客観的分析力。もうひとつは、透子ちゃんが俺以外に踏み入った提案をしたことに起因する驚きだった。
「辻さん、すごい行動力だよね」
そういって遠目に葉月を見つめる透子ちゃんは、やっぱり淡々としている。
瞳は冷たく、音声の起伏は少なく、まるで機械と対話しているような気分になってくる。……韜晦するにしても、ちょっとやりすぎじゃないかな。
「俺は透子ちゃんが慧眼すぎてこわいよ」
「慎哉のためにやってるだけだよ」
透子ちゃんは微笑んだ。
「慎哉以外、どうなろうが知ったことじゃないし」
これは透子ちゃんの口癖だったりする。
「そんなこと言わないでさ、透子ちゃんも女友だちのひとりやふたり、作った方がいいんじゃないの?」
「いらない。いても邪魔なだけ」
「気質が芸術家なんだよなぁ」
と言いつつ、少しだけ共感できてしまう自分がいた。
自分を理解してくれる誰かひとり。そのひとりがいることの方が、浅いつながりを持つひとが何百何千といるよりも価値あることだと俺は思う。
たぶん透子ちゃんも同じなんだろう。
○○○
「ねぇねぇ、やっちゃん」
「ん」
トイレから教室に戻る途中、くいくい裾を引かれて振り返ると葉月がいた。
「ちょっとこっちきて」
人目につく場所で葉月から話しかけてくることは珍しい。なにか今すぐ話さなければならない事情があるんだろうと思い、先導されるままに歩く。
階段を降りて踊り場に差し掛かると、葉月は足を止めて俺を振り返った。
「どうしたんだはづ――」
そして、背伸びしてキスしてきた。
「っ……!」
一秒にも満たない短い時間ではあったけど、まちがいなく俺たちのくちびるは重なっていた。
視線の上でも下でも、無数の生徒が廊下を行き交っているなかで、俺たちはキスをした。
「は、葉月……こういうのは――」
「ご褒美」
俺の言葉を遮って、葉月はあっけらかんという。
「勇気を出してがんばったはーちゃんにご褒美のちゅー、してほしいな?」
「……」
アンダーマイニング効果というものがある。報酬付けでモチベーションを上げるという心理効果だ。
この効果は一時的なモチベーションの向上が期待できる一方で、報酬がないとやる気が出なくなるという悪い側面も持っている。
「だめ?」
正しいか正しくないかで言えば、間違いなく正しくない。常識的に考えれば当然の結論だ。
しかし、ここで俺がキスという“アメ〟を与えることを拒否したら、葉月は新たな一歩を踏み出すことを諦めて、現状に甘んじてしまうのではないだろうか。
休み時間を通して葉月が得た、三人の女の子とのつながり。
仮にこれが透子ちゃんだったのなら、ここで満足してもよかったのかもしれない。
透子ちゃんは性格柄、小コミュニティに溶け込めた時点でゴールのようなものだ。大きなコミュニティに溶け込んでいくのは絶対に不可能だから。
けど葉月は、透子ちゃんには実現できない後者の可能性を実現するポテンシャルを兼ね備えている。
元はカリスマ性が高く、いつも集団の先頭を突っ走るような子だったのだ。
葉月が先ほどのようなアプローチを続ければ、きっとたくさんのつながりを生み出すことができる。
そしてそれは、図らずも葉月を本来の華々しい姿に戻す手伝いをする。
とすれば、今ここで葉月のやる気を削ぐような選択をすることは悪手と言えよう。
……なんて、それっぽいことを言って自分を納得させようとしている自分に反吐が出る。
「だめなわけないだろ」
けど、それが俺だ。
仮にここで俺がおねだりを拒もうと葉月が歩みを止めることはないとわかっていながらも、俺は葉月を壁に押しつけてくちびるを重ねる。
「んっ……」
周囲からは見られないように、三秒ほどふんわりをくちびるの感触を堪能しあう。
「……これでこれからもがんばれそうか?」
葉月は微笑んだ。
「うん。やっちゃん成分を補給すれば、はーちゃんはなんだってできるよっ」
「やっちゃん成分って……」
「これからもいっぱい注いでね?」
「時と場所を選んでほしいもんだけどね」
まぁ、葉月に求められたらいつでも応じるけど。
「無理せず自分のペースでいこう。葉月が酷い目に遭ったら元も子もないから」
「そうなったらそうなったでいいんだけどね」
目を逸らし、葉月はぼそっとつぶやいた。
「どうして?」
「やっちゃんが、はーちゃんのことしか見なくなるだろうから」
「……」
葉月がなにを言いたいのか、それが理解できたから俺は黙り込んでしまう。
――葉月しか見てないよ。
今の俺に、その言葉を口にする権利はない。
それどころか、葉月にこの関係を解消しようといつ切り出そうか探っているくらいなのだから。
――優美しか見てないよ。
一方で、その言葉なら、呼吸するみたいに簡単に口にすることができる。
俺は、優美を選ぶと決めているから。
「なぁ~んて、ちょっとだけ嫉妬してみたはーちゃんなのでした」
タタっと階段を駆けあがり、振り返って葉月は弾けるような笑みを浮かべる。
「これからのご褒美、楽しみにしてるねっ」
「……俺も楽しみにしてる」
それが葉月の機嫌を取るためについた嘘ならどれほどよかっただろう。
葉月にいつ別れ話を切り出そうか悩んでいる。
優美だけの彼氏になると決めている。
そんな状態にありながら、俺は葉月とこっそりキスして喜んでいた。
誰かに見られているかもしれない。――優美に気づかれるかもしれない。
そのスリルが、なんだか心地よかった。
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