第22話 二番目の彼女

「そんな思い詰めた顔しないで」


 自分を責めつづけていると、葉月が微笑みかけてきた。

 

「どうしてやっちゃんがそこまで谷津さんを信用してるのかはわかんないけど、なんにせよやっちゃんが失望されることは免れないと思う」


 きっぱりと葉月は言った。


「はーちゃんもやっちゃんも悪い子。きっとそうレッテルが貼られると思う。はーちゃんが谷津さんの立場ならそう思うもん」


 今にも壊れてしまいそうな、儚く淡い微笑を浮かべて葉月は続ける。


「それはイヤ。だから、友だちって伝えよ?」


 かすかに声が震えていた。


「友だち同士で遠出するのは別におかしなことじゃないからね。……だから、さ」


 小動物みたいに愛らしい瞳がしずくに覆われていく。


「……きっと、さ、谷津さんもそれで納得してくれる……から、さ」

「ごめんな葉月」


 限界だった。


「あ……」


 人目があることを理由に過度なスキンシップは避けていたが、こうもつらそうな顔をされては抱き締めずにいられない。


 このままでは葉月がこわれてしまう。大切な女の子が深く深く傷ついてしまう。


「やっちゃん、ソフトクリームが……」


 俺が急に抱き寄せたものだから、ソフトクリームの上部は崩れて俺の服にかかっていた。ネイビーのジャケットだから白い汚れは目立つ。


 遮蔽物の一切ない開けた通りにあるベンチで抱き合っているから、図らずも俺たちは耳目を集める。

 横切る客が奇怪なまなざしを向けてくる。ひそひそと話す声が朧気ながら運ばれてくる。


 それがどうした。


 葉月が泣きそうだから抱き締めた。

 そうするのは、彼氏として当然の務めだ。


 ほかの大多数からの評価なんて知ったことではない。

 世間体なんてちんけなものは、とうの昔に捨てている。

 名前も知らない何百人より、俺にとっては葉月ひとりの方が遥かに大切だ。


「やっちゃん……」

 

 だから、俺の瞳にはかけがえのないものしか映らない。


「誰にも打ち明けられなくて、ずっとつらかったよな」


 肩の上にある葉月の小さな頭を撫でる。

 いつものように。いつもするように。


「はーちゃんだけじゃない。鴨川さんも同じだよ」


 俺なんかと付き合ってることが明るみになれば、優美の交友関係に支障が出ちゃうからな。だから優美も、我慢している。


「葉月と優美は違う。優美は俺といられるだけで満足できるけど、葉月は違う。俺と付き合ってることを誰かに自慢したくて堪らなかった。そうだろ?」


 葉月は昔から競争心の強い子だから。


「……そんな贅沢、言っちゃダメだよ」


 しばしの沈黙を挟み、弱々しい声が返される。


「やっちゃんとこうして二番目の彼女として付き合えてるだけで、はーちゃんは満足しなきゃダメなんだよ」

「二番目の彼女なんて言うなよ。葉月も一番だよ。大切で自慢の、俺の彼女だ」


 ふたりに優劣なんてつけたことはない。最終的に優美を選ぶという選択だって、葉月を大切に思っているから導けたものだ。


 葉月が大切だから、輝いてほしいから、俺は葉月を手放すと覚悟を決めた。

 ……葉月を幸せにする権利を、ほかの誰かに譲ることにしたんだ。


「……嘘だよ。やっちゃん、いつも鴨川さんを優先するもん」


 俺の胸に顔を擦りつけながら、消え入りそうな声で葉月はいう。


「……ごめんね。はーちゃん、重荷だよね。言われてなくてもわかってるんだ」


 ジャケットをきゅっと握りしめてくる。


「……けど、さ。それでも…………諦めたくない」


 強い覚悟を宿した声色。


「やっちゃんの一番になりたい。やっちゃんをはーちゃんだけのものにしたいっ」


 葉月の激情があふれ出す。


「はーちゃんの方がやっちゃんのこと知ってるもん。はーちゃんの方がやっちゃんを幸せにできるもんっ。はーちゃんの方がやっちゃんのこと愛してるもんっ!」

「葉月……」

「まぁテストせずとも辻さんは合格だったんだけどさ」

「っ!?」


 足音の反響する狭い部屋ならともかく、喧騒の絶えないこの通りで徐々に迫る足音から個人を認知することは不可能だろう。


 俺の胸から勢いよく顔を上げた葉月の視線の先では、透子ちゃんが柔らかく微笑み佇んでいる。


「すごいね。こんな衆目監視のなかで愛を叫べるなんて」

「……え、えと……」


 涙目のまま、葉月はきょろきょろ瞳を泳がせる。

 透子ちゃんは微笑んだ。


「言い訳なんて探さなくていいよ。辻さんは慎哉を愛してる。そのことが知れただけで私は満足だから」

「~~~っ」


 透子ちゃんから視線を外したまま、葉月は声には出さないけれど悶えるような羞恥を露わにする。


 ぷるぷる震える結ばれたくちびる。先っぽまで真っ赤の耳。

 ……かわいいな、俺の自慢の彼女は。


「あっ……」


 辛抱堪らず、俺は葉月の頭を撫で回す。


「そ、その、うれしいにはうれしいんだけどさ……」


 透子ちゃんの視線があるからか、葉月はどことなく恥ずかしそうだ。


 俺は葉月の頭を撫で続ける。徐々に口許が緩んでいく。


「……へへへ」

「この小動物を彷彿とさせる愛らしさは鴨川さんにはなかったかな。加点っと」

「谷津さんって、やっちゃんとどういう関係なの?」

「ん。アドバイザー」


 なんでもないように透子ちゃんはいう。

 あながち間違ってないから反応に困る。


「なるほど。それにしても肝が据わってるね。周りからすんごい注目集めてるのに、よく話しかけようと思ったね」

「有象無象とかどうでもいいから」


 葉月からの問いかけに、透子ちゃんは淡白な返事をする。


「それに、胆力の大きさで評価するなら、公共の場で熱い想いを吐露できる辻さんの方がすごいと思うよ」


 葉月の肩がぴくんと跳ねあがる。


「あ、あまり話題に挙げないで欲しいなぁ……あとやっちゃん、いつまで撫でてるの?」

「撫でたい衝動が収まるまでかな」


 今さら気づいたが、葉月は片手でずっと、ソフトクリームのコーンの部分を握っている。

 あれだけ感情に身を委ねても環境に注意を払えるなんてさすがは葉月だ。


「えらいな葉月は」

「そ、そろそろやめてくれないかなぁ」


 気づけば、二分近く葉月の頭を撫で続けていた。

 その間、葉月は透子ちゃんとたわいない話をしていた。


 葉月が勉強以外の話をクラスメイトとしている場面を見るのは、それがはじめてのことだった。


 ○〇〇


 それから三十分後、俺はひとり電車に揺られていた。


「いっしょに買いものしない?」と透子ちゃんが葉月を誘い、その誘いを葉月が聞き入れ、なら俺も……と便乗したのだけど、「早く家に帰ってジャケット洗ったほうがいいよ」と透子ちゃんに一蹴されてしまって現在に至る。


 脱げば解決なのでは? と思ったが、口には出さないでおいた。いいから黙って聞き入れろと、透子ちゃんが瞳で圧をかけてきたから。


 透子ちゃんが自発的に誰かと交流を図るのは極めて珍しい。

 透子ちゃんも俺以外にほとんど友だちがいないから、葉月同様、友だち作りにもう少し熱を入れてほしいものだ。

 まぁ最終的な決定権は本人にあるから、無理強いはできないけど。


 その夜、透子ちゃんが隣に寝転がったところで俺は言った。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 ……やっぱりそうか。


 透子ちゃんが透子ちゃんの意思で葉月に寄り添うことを選んでいたらいいなと思っていたけど、どうやら〝俺のために〟透子ちゃんは葉月に買いものしようと誘いかけていたらしい。


 もし透子ちゃんが葉月を買いものに誘っていなかったら、俺は昨晩、を葉月にしていたと思う。

 透子ちゃんのおかげで、衝動まかせに取り返しのつかない過ちを犯さずに済んだ。


 その夜、俺は心地よい眠りについた。


 背中に感じる、小さな鼓動と、かすかな熱が、俺を安心させてくれた。

 



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