第20話 愛してるゲーム
緊張さえほぐれてしまえば、葉月はいつもの葉月に戻る。
俺の腕にくっつき、興味を惹かれた店に目を輝かせながら足を運び、些細な喜びに弾けるような笑顔を見せる。
曇った顔なんて滅多に見せない。
この明るさこそが、葉月の葉月たる所以だ。
「ねぇねぇ、すきすきだいすき愛してるゲームしよっ」
昼時、レストランフロアは昨日にも増して大勢の客で賑わい、葉月が行きたいと言ったつけ麺を中心に提供されるラーメン店もご多分に洩れず混雑していた。
俺たちの前には十組以上の客が並んでいる。それでも葉月が臆さず並ぶことを選んだのは、大きな進歩と言えるだろう。今日一日で、葉月は大きく成長している。
「かなり誇張されてるけど、たぶん愛してるゲームのことだよね」
「そうそう、それそれっ! やろやろ、暇だしっ」
交互に愛してると言い合い、照れた方が負けという至ってシンプルなゲームだ。
やる分には問題ない。ルールもわかっているし、葉月の言う通り待ってるあいだ暇だし。
「ここでやるの?」
ただ、前に人がいる状態でいちゃつくというのは、さすがにどうなんだろう。公序良俗的な面から見て。
なんて思っていると、後ろに新規の客が並ぶ。
前にいるのは、眼鏡をかけた上背の男性。後ろにいるのは、額に脂汗を滲ませるずんぐりした体躯の男性。
……ますます気が退ける。せめて片方がカップルだったら、こんないたたまれなさを感じずに済んだんだろうけど。
と、膝の上に置いていた手になにかが触れる。
見れば、葉月が指を絡めていた。
「じゃあ、はーちゃんが先行ねっ」
「俺の意思は……まぁいっか」
そんな楽しそうな顔を見せられたら、お小言も引っ込んでしまう。
「言葉だけだからね。過度なスキンシップは控えるように」
「うん、わかった!」
大きくうなずくと、葉月はゆっくり目を閉じる。
少し間を空けて、閉じられた瞼が持ち上がる。
「やっちゃん……」
どこか寂しげで縋るような、庇護欲を強くくすぶる瞳をまっすぐ俺に向けて葉月はいう。
「すきだよ」
「っ!」
絶対に動揺しない自信があった。葉月には好き好き連発されていて、その言葉がどこか安っぽくなっている節まであるから、むしろどう演技したものかと悩んでいるくらいだった。
実際は、想像していたものとまるで違った。
そんな優しく甘い声色で好意をぶつけられたことはこれまでに一度もなかったから、俺の心臓はばくばくと早鐘を打つように高鳴ってしまう。
それでも葉月を見据え続ける。
目を逸らしたら負け。そういうルールだから。
「やっちゃんは、はーちゃんのことすき?」
ルールを誤認しているのか、わざとか、葉月は顔を近づけながらそう問いかけてくる。
「やっちゃんのことがすきですきでだいすきなはーちゃんのこと、やっちゃんは愛してる?」
「……は、葉月、ちょっと近いって」
堪らず目を逸らしてしまう。
もう、ルールがどうとか言っていられない。
このままでは理性が抑えられなくなる。公共の場であるにもかかわらず、葉月にキスを迫ってしまう。昨日と同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。
「愛してないの?」
儚く揺れる潤んだ瞳に、俺の理性は弾けた。
「……」
葉月以外なにも見えない。葉月の声しか聞こえない。
ここには、俺と葉月しかいない。
おもむろに手を伸ばして、葉月の頬にそっと添える。
「あっ……」
ゆっくりと葉月に顔を近づけ――
「そんなこと、言わなくてもわかるだろ?」
「っ!」
直後、葉月の顔がぼっと沸騰するように朱に染まり、勢いよく顔を離してそっぽを向いた。
「……や、やばいやつだこれ……っ」
ぼそぼそ小声でつぶやく葉月の耳に顔を近づけ、できるだけ吐息がかかるように声を発する。
「好きだよ」
「~~~っ!?」
ぶるるっと身体を震わせて、片手で耳を押さえながら葉月は紅潮した顔を向けてくる。
「は、反則っ! やっちゃんの反則負けっ!」
「二言連続で攻めたから?」
「そうそう! そんなことされたら誰だって照れるに決まってるじゃんっ!」
そういう自分も二言連続で攻めてたんだけどなぁ。
けど、そんなお小言を言うつもりはない。潔く負けを認めることにする。
「負けたやっちゃんは、食後にはーちゃんお姫様抱っこの刑ねっ」
むしろご褒美だ。
けど、葉月がうれしそうだからなんでもいい。
「わかったよ」
「え……いや、さすがに冗談なんだけど」
「どっちなんだよ」
「……じゃあ、今度おうちでお願いしようかな」
その後も、俺たちは店内に案内されるまで「愛してるゲーム」をし続けた。
前後の客がどんな顔をしていたのかはわからない。
俺は葉月しか見ていないし、葉月にしか興味がなかったから。
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