第18話 パンケーキ

 翌朝、優美を駅まで送って家に戻ると、ジトっと目を細めた透子ちゃんが玄関に立っていた。


「おはよう透子ちゃん。日曜なのに早いね」

「慎哉のせいでパンツが一枚ダメになった」

「……」


 こういうときってどう返せばいいんだ?

 沈黙する俺にため息をこぼし、透子ちゃんは呆れたような笑みを浮かべる。


「それだけ。それで今日の予定は?」

「……ごめん透子ちゃん。昨日の約束はまた今度でいい?」


 明日いっしょにおでかけしよう。

 そう誘われたけれど、今朝目を覚ましたら、透子ちゃんよりも優先される相手からの連絡が入っていた。


「辻さんとデートってことだね。待ち合わせは何時?」


 特に機嫌を損ねた様子はなく、けろっと口にする透子ちゃん。


 行間を読み取る能力に長けすぎではないだろうか。

 そんな驚きもほどほどに、俺のわがままを快く聞き入れてくれる寛大さに感謝しなければならない。俺がしていることは、先にした約束よりも後にした約束を優先するという、品性を疑われるのが妥当な非道な行為だから。


「九時に葉月を迎えに行くことになってる。家を出るのはその三十分前くらいかな」

「じゃあいつも通り朝ごはんを作って大丈夫だね。卵黄抜きスクランブルエッグでいい?」

「それなにをスクランブルするの?」


 いつも通りのようで、実はすこぶる機嫌が悪い透子ちゃんだった。


 リビングに入ると、食卓テーブルの端に数枚の書類が積まれていた。学校で配布されて、不要になった書類だ。


「明日燃えるゴミの日だから、慎哉もなにかあったら出しといて」


 キッチンから透子ちゃんの声がかかる。


 日曜日にいらない書類をまとめて食卓テーブルの上に積んでおく。

 それはこの家のルールだ。この家というよりは、俺と透子ちゃんのルールか。


 俺もいくらかいらない書類がある。が、取りに行く前に、束ねられた書類のてっぺんに置かれた封筒が気になるので手に取る。


 よく見る長形の封筒ではなく、花柄のあしらわれた洋形の封筒。

 裏返すと、右端に名前が書かれていた。今泉いまいずみ。クラスにいる男子生徒の名前だ。けれど封筒が開けられた形跡はなく、封の部分はセロハンテープで止められたままだ。


「透子ちゃん、これって……」

「いらないから捨てた」


 視線をフライパンに向けたまま、すげなく言い捨てる。


「でもこれ、封が切られてもないよ?」

「時間の無駄」

「そっか」


 まぁ、もらったら絶対に読まなくちゃいけないって義務があるわけでもないもんな。

 普通は承諾するしないにかかわらず、もらった側の責任的なものから一読するんだろうけど、そういうことを一切しないのは実に透子ちゃんらしいと思う。


 俺は、封筒を未読の手紙ごと半分に破き、もう一度破って四分割し、あと二回ほど同じ工程を繰り返してゴミ箱に捨てる。


 封筒からはみ出た便箋に浮かぶ文字が少しだけ見えるけど、せいぜい見えるのは二文字程度。文章としての体を成していない、単語と呼ぶにも値しない文字列。


 それでも少し、気が立ってしまう。


「ふふっ」


 弾んだ声に振り向けば、透子ちゃんがにこやかに微笑んで俺を見つめていた。


「どうしたの?」

「べっつに」


 声色からもわかるほどに上機嫌だ。さっきまでは不機嫌だったのに、女の子はよくわからない。


 五分ほどして用意された朝食は、パンケーキとスクランブルエッグだった。


「……俺、なんかしたかな」

「だから卵黄なしスクランブルエッグは捨てたんだよ」

「ほんとに作ってたんだ……」


 透子ちゃんは、機嫌がいいときにしかパンケーキを作らない。といっても、週に一度は必ず作るんだけど。


 俺は、どの料理よりも透子ちゃんの作るパンケーキが好きだ。

 食感とか風味とかそういったものに起因する好きではなく、パンケーキは透子ちゃんがはじめて俺に振るまってくれた料理だから好きだ。咀嚼するたびに、懐かしさとあたたかさが胸を満たす。

 この感覚は、透子ちゃんのパンケーキからしか味わえない。


「ごちそうさまでした」

「おいしかった?」

「うん。透子ちゃんの作る料理はいつもおいしいよ」

「ふふ。ならよかった」


 透子ちゃんの浮かべるあどけない笑顔。

 ラブレターを贈った今泉は、透子ちゃんがこんな顔をすることを知らないだろう。


 そんなヤツが、透子ちゃんと付き合えるはずないだろ。

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