第14話 デートは終わらない
駅から歩いて十分ほどで家の前にたどりつく。
「……」
「どうした優美? 呆けた顔して」
「……大丈夫かな」
「安心してよ。パスワード・顔認証システム・カードキーの三段セキュリティだからさ」
「そういう意味合いの大丈夫じゃないんだけど……」
優美は苦笑する。
「わたしの家は、鍵を挿して右に捻るだけで簡単に出入りできるんだけどなぁ」
眼前のマンションを見上げ、優美はここにきてから何度目かの感動のため息を漏らす。
三十階建てタワーマンション。
そのマンションの十七階に俺と透子ちゃんは住んでいる。
この地域で、ここよりセキュリティシステムの優れたマンションは存在しない。それが決め手となり、父さんはこのマンションの一室を一括購入した。
値段は一億円近い。今現在、格闘技を統括する立場にある父さんにしてみれば、一億円の出費はさほど痛いものでもないらしい。
けれど、基本的に父さんは吝嗇家の色が強く、スーパーに行けば値引き商品を嬉々として手に取ってしまうような人柄だ。
そんな性格であるのに超高額マンションを迷いなく購入したのは、かつての後悔があるからだろう。
優しい性格であるが故に、宗教勧誘を断り切れず自殺してしまった母さん。
借金が返済できるとかできないとかじゃない。
自分が家族を不幸にした。その罪悪感が、母さんを自殺に追いやった。
そんなきっかけが起こりうる可能性を限りなく無にするために、父さんはほとんど帰って来ないにもかかわらず、この一室を購入してくれた。俺と透子ちゃんを守るために、大枚を叩くことを厭わないでくれた。
それは、俺と透子ちゃんを心から大切に思っていなければできないことだ。父さんにもらったこの恩は、いつか必ず返したいと思っている。
パスワードを入力してエントランスをくぐり、エレベーターに乗って十七階へ。フロアの最奥にある部屋の前に立てば、ピピっと機械音が鳴る。顔認証が完了した証だ。
しかしそれでも玄関の扉は開かず、個々の住民に用意されたカードキーを切ることでようやく入室が認められる。がちゃっとロックの解除された音が、静まり返った廊下に響く。
取っ手を引っ張ると、扉は無抵抗にこちらに引き寄せられた。
「どうぞ」
「お、おじゃまします……」
おっかなびっくり入室する優美の後ろ姿がいつかの自分と重なって、つい頬を緩めてしまう。
俺も最初は驚いたな。けど表情には出なかったから、父さんは平然とする俺を見て驚いてたっけ。
……そんな余裕がなかっただけなんだけどな。
「靴、ここに置いていいかな」
「うん。どこでも大丈夫だよ」
優美が綺麗に揃えた靴の隣には、俺が学校に行くときに履いている外靴が並んでいる。
それ以外に靴は置かれておらず、玄関の左に小さな収納棚があるけど、そのなかにも靴は収納されていないんだと思う。
わざわざ確認したりしないが間違いない。透子ちゃんは抜かりないから。
玄関を上がって正面にあるのがリビング。左手にあるのが浴室と洗面所。右手にあるのが客間だけど、どこも扉が閉まっているから、初見でその構造を見抜くことはまず不可能だ。
「こっちだよ」
戸惑う優美の手を取り、廊下を十歩ほど歩いて正面の扉をスライドする。
「わぁ……」
「きれいだね」
目の前に広がるのは、銀河にまたたく星々を想起させる絶景。
ショーウィンドウの向こう側では、街の照明に、車のハイビームに、民家の灯りに、夜空に瞬く星の海に。夜に浮かぶ多種多様なきらめきが、一時俺たちの意識を虜にする。
しかしこの感動は刹那的なものだ。
リビングのセンサーが俺たちの存在を感知すれば、頭上からLEDライトの淡い光の雨が降り注ぎ、緞帳が閉まるようにカーテンが絶景という舞台を閉ざしていく。
「……ねぇ慎哉くん」
「ん。どうしたの?」
優美はじっと真剣な顔で俺を見つめ、やがてふっと相好を崩す。
「……ううん、なんでもない。それにしても部屋多すぎないかな? 左にふたつ。右にみっつ。このなかのどれかが慎哉くんの部屋なんだよね?」
「どこだと思う?」
「うーん……右の手前の部屋?」
そこは透子ちゃんの部屋だ。
「惜しい。俺の部屋は右奥だよ」
優美の手を引いて、リビングの右奥にある扉を開く。こちらはスライド式ではなく、ドアノブ式だ。内側から鍵をかけることができるようになっている。
地雷を避けるかのように慎重な足取りで、優美は俺の部屋に足を踏み入れる。
部屋の隅っこに荷物を置くと、なにか言いたげな視線を投げかけてきた。
「どこに座ってもらっても構わないよ」
「あ、うん。それもあるんだけど……」
「ん?」
もぞもぞと膝を擦り合わせる優美はどことなく恥ずかしそうだ。その姿を見て、俺は大切な情報をひとつ伝え忘れていたことに気づいた。
「トイレは玄関の手前にあるよ。リビングから見て右奥。案内した方がいいかな?」
「ううん、大丈夫。それにしても、よくわたしの言いたいことがわかったね」
「それだけ優美を理解してるってことだよ」
尿意を催したなら気にせず言ってくれればいいのに、優美には我慢してしまう癖がある。その都度似たような素振りをするので、俺は気づいたらできるだけ早くお手洗いに寄るようにしている。
「……よくないと思うなぁ。そういうの」
否定的なことを言いつつも、どこか嬉しそうな顔をする優美だった。
優美が部屋の外に出てからしばらくすると、扉がスライドされる音が朧気ながら二回運ばれてきた。
「……さて」
二回目の音を聞き終えたところで部屋から出て、透子ちゃんの部屋の扉を軽くノックする。
「透子ちゃん、いる?」
声をひそめて問いかける。
「いる」
かろうじて聞こえる程度の小さな返事だ。
「ごめん。明日の早朝あたりを目途にするから」
「明日いっしょにおでかけね」
「わかった」
最低限のコミュニケーションで事を済ませて部屋に戻る。
三分くらいして、優美が戻ってきた。
「夕飯かお風呂か。どっちが先がいいかな」
「じゃあ夕飯で」
「わかった」
ここで第三の選択肢だと即答しないあたりが、如何にも素直な優美らしい。
葉月なら「やっちゃんといっしょにお風呂っ!」とか言い出すんだろうな。
……って、優美とのデート中なのになに葉月のこと考えてるんだよ俺。
今の俺は、優美だけの彼氏だろ?
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