第7話 遠く離れて、それでも初恋はまだ……

 二週間前のこと。


「……約束」


 葉月は言った。


「昔、約束したよね? なんでも頼みごとを聞いてくれるって。それ、今使う」

「それってどういう……」


 葉月に校内案内をし終えた、誰もいない教室でのことだった。


 昔話に花を咲かせ、葉月は頭がいいから田舎にいるんじゃもったいないということでひとり都会に上京してきたと知った頃に、葉月はなんの前触れもなく俺に告白してきた。


 けど、断った。

 当然だ。そのときの俺には既に、鴨川さんという彼女がいたから。


「んっ」

「……っ!」


 そう説明した上で、葉月は俺のネクタイを引っ張ってくちびるを当ててきた。


 重ねるというよりは、当てているだけという感覚。けれど触れていることは確かだから、これは世間一般に〝キス〟と定義される行為なのだろう。


 誰かとキスをするのは、それがはじめてのことだった。

 俗にいうファーストキスってやつだった。


「ぷぁっ……は、葉月、お前……!」

「つきあって」


 顔を真っ赤にして葉月はいう。

 葉月はこういうのが苦手だったはずだ。映画なんかでキスシーンが流れるときは、いつも両手で顔を覆っていた。


「それがはーちゃんの頼みごと」

「……葉月はそれでいいのか?」


 倫理的にどうこうとかそういう問題はともかく。


 俺と葉月が付き合うとなれば、それは表沙汰にできない秘密の恋人関係ということになる。

 今、この場で鴨川さんを切り捨てると決断することはできない。それに彼女ともから、ほかに好きな子ができたから、なんて言って別れることはできない。


「うん。そのつもりだよ」


 それとは別に懸念しているのは、葉月が常に鴨川さんに後ろめたさを感じてしまうことだ。


 後ろめたさを感じれば、対等に接することができなくなる。

 これが鴨川さん以外ならよかった……ってことはないが、少なくとも俺が今みたく懸念することはなかっただろう。


 鴨川はクラスの中心にいる子だ。鴨川さんとの接点がはじめから断たれては、葉月の友だち作りが難航するのが目に見えている。

 葉月は明るい性格とは裏腹に寂しがり屋だから、彼女が孤立する未来だけはなんとしても避けたかった。


「はーちゃんは、やっちゃんだけいればいい」

「……」


 そう正面切って言われるのは、ものすごくうれしい。うれしくてうれしくて心が弾んでいる。

 けど、それに勝る苦しさが胸を締めつけるものだから、俺は笑顔を浮かべることができない。


 葉月はもっと大勢の輪の中心にいるべきだ。

 俺とふたりだけの閉鎖的な世界に閉じこもってしまうのではもったいない。


「はーちゃんは、やっちゃんだけがほしい」

「葉月……」


 そう思いつつも、初恋の女の子に顔を真っ赤にしてせがまれれば、俺が男である以上、理性が溶けてしまうのは仕方のないことで。


「すきだよ、やっちゃん。ずっとずっと、すきだった」


 風前の灯となった俺の理性を削ぎ落すように、葉月は再び俺のくちびるを奪う。


「んぁ……ん、んんっ、んちゅぅ……」


 何度も何度も。

 涙目になって、息を荒らげて、それでも俺のために、キスを続けてくれて……


「んんっ……!」


 胸をくすぶる愛しさに屈し、俺は葉月の肩を引き寄せてくちびるを重ねた。


 何度も何度も、キスをする。

 葉月がしてくれたぶん、恩返しをするように。


「はぁはぁ……やっちゃん……」

「付き合おう、俺たち」

「……うん」


 こうして、放課後の教室で誰も知らない一組のカップルが生まれた。


 それから今に至るまで、俺たちの関係を知っているのは透子ちゃんひとりだけだ。

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