第4話 教室での一幕

 鴨川優美。辻葉月。矢地透子。


 彼女。秘密の彼女。誰も知らない血のつながらない家族。


 と、友だち以上の関係にある3人と俺は、奇しくも同じクラスである。


「えぇ、なんでなんで。なんか用事でもあんの?」

「うん。ちょっとね」

「この反応……優美、新しい彼氏できたね?」

「ま、まさか……。平塚くんと別れてまだ一か月だよ? そんな節操ない子じゃないよわたし」

「一か月を『まだ』って言っちゃうあたり、優美はいい子すぎるんだよなぁ。一か月は『もう』だよ。立派に時効だよ。時効っていうか、恋の破綻にどっちが正しいとか間違ってるとかないと思うんだよねぇ。単に相性が悪かったってだけっしょ。でしょ優美?」

「ど、どうなのかなぁ……」


 教室の窓際。

 鴨川さんは大津おおつさんと楽しそうに会話している。


 鴨川さんと大津さんは、基本的にいつもいっしょにいる。

 少しギャルっぽい感じのする大津さんだけど、根は他人思いの優しい子らしい。


 鴨川さんは俺によく彼女のことを話してくる。おかげで、四月から今に至るまでに一度しか会話していないのに、俺のなかで大津さんはいい子、というレッテルが貼られている。実際はどうかわからないけど。


 けどまぁ、様子を見るに、友だち思いの子ではあるのだと思う。


 続けて視線を窓際から廊下側に転じ、ふたりの女子生徒の会話に耳を傾ける。


「なるほど。ここはこの公式使うんだ」

「うん。一見簡単そうに見えるけど、よくよく見るとミスリードを誘ってるひっかけ問題なんだ。はーちゃんも見直すまで気づかなかったし」

「へぇー、辻さんでも躓くことあるんだ……と、そろそろチャイム鳴りそう。教えてくれてありがと、席戻るね」


 ぱたぱたと自分の席に戻っていくのは柴田しばたさん。眼鏡をかけたおかっぱの女の子。少し困ったような微笑みでその後ろ姿を見送るのは葉月だ。


 前に向き直ると、葉月は繕った笑みを解く。

 かくして浮かんだ表情は、見るからにしょんぼりしたものだった。


 そこまで見届けたところで、視線の先を柴田さんの席に変える。


 ――柴田さんの席は無人だった。


「あはは、そうなんだよ~」


 柴田さんは、窓際の女の子集団の輪に溶け込んでいた。

 中心にいるのは鴨川さんだ。鴨川さんは人気者だから、いるだけでひとを惹きつけてしまう。


「……」


 皮肉なものだ。

 本人は惹きつけることを望んでいないのに。

 反対に、望んでいても得られない子もいるというのに。


「行かないの?」


 そう隣から涼やかに問いかけてくるのは透子ちゃんだ。


 教室中央。列の最後尾。そこが俺の席だ。

 クラスで身長がいちばん高いから、必然的に最後尾からは逃れられない。中学二年生あたりから、最後尾以外の席に割り振られた記憶がない。


 記憶がないと言えば、田舎から都会に引っ越してきてからというもの、透子ちゃん以外の子が俺の隣に居座っていた記憶がない。

 透子ちゃんはいつも決まって俺の隣にいる。

 身長が特別高いわけでもないのに……


「行くってどこに?」


 なんて意味深に言ってみたけど、これはだ。

 だから、俺と透子ちゃんが別々のクラスになることはないし、席が離されることはない。


「視線の先」

「行ったところでどうしようもないよ。俺と葉月の仲はあまり公にしない方がいい。葉月の孤立に拍車がかかるだけだ」


 陽キャは陽キャとつるみ、陰キャは陰キャとつるむ。


 俺は陰キャで、葉月は陽キャ。今のひとりぼっちでいる葉月は全然葉月らしくない陰キャに見えるけど……違う。素の葉月は底抜けに明るい。


「……」


 はーちゃんって言ってる時点でわかるだろ、そんなこと。


 なぁお前、さっきチャイム鳴りそうだからって理由で葉月から逃げたよな?


「なら睨むのやめようよ。柴田さん、怯えてる」

「……ま、いいんだけどね」


 視線を外して、大きく息をつく。


「交友関係の九割なんて損得勘定の上に成り立ってるものだし」


 すぐ感情的になってしまうのは俺の悪いところだ。

 透子ちゃんというストッパーがいてくれて助かることこの上ない。


「慎哉は柴田さんをどうしたいの?」


 殴りたい。


 けどそれは一時の感情で、感情というのものは熱しやすく冷めやすいものだから、この場において正しい選択はなにもしないことだ。

 殴ったところで根本的な問題は解決しない。


「どうしたいとかはないよ。ただ、葉月を馬鹿にされたのがムカついただけ」

「なら躾けよう」

「ダメだ」


 俺は、透子ちゃんだけには例外的に強く反論することができる。というより、しなければならない。


「人間そんなものだから。それが人間なんだって、俺は納得してるからさ」


 それこそが、俺が常に透子ちゃんの隣にいる理由。


「……そ。慎哉が溜飲下げてるならいいや」


 俺から視線を外し、柴田さんを見つめて透子ちゃんはつぶやいた。


「次はないよ」


 いつもと変わらず感情の読めない表情をする透子ちゃんは、果たして胸の内でなにを思っているのか。


 透子ちゃんは昔からやりすぎる。限度というものを知らない。


〝躾ける〟と透子ちゃんが言えば、それは比喩でもなんでもなく、言葉通りの意味。 

 物理的に、あるいは精神的に嬲り、恭順な奴隷に調教する。そういう意味。


 だから、俺がストッパーにならなくてはならない。

 透子ちゃんは、俺の言うことだけは、聞いてくれるから。


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