弱まる力③ 美慧

 

 ──広間には軽やかな音楽が流れており、ピアノの旋律に合わせて数組の男女がダンスを楽しんでいた。窓の外に広がる庭園の花々は、夜の空気に溶け込むように静かに咲き誇り、庭園灯の淡い光が葉先に落ちて小さな星のように瞬く。


(ああ、やっぱり私の居場所はこういうところよね)


 窓際のソファで紅茶の香りを楽しみながら、美慧は微笑みを浮かべた。

 同じテーブルには、仲のいい友人たちがいる。

 皆結婚しているが、相変わらず恋愛の話に花を咲かせていた。


「そういえば美慧さん、お姉様はお元気?」


「最近鬼道家に嫁がれたと聞きましたけど……」


 皆その話をしたかったのか、どこかワクワクした様子で美慧にたずねた。

 美慧は目を伏せて、神妙に回答する。


「……ええ。お姉様、もうずっと嫁ぎ先が決まらなくて。私はずっと家にいればいいと言ったのだけれど、お姉様はいくと聞かなくて」


 しおらしくそう言ってみせると、友人たちは顔を見合わせて、哀れみの表情を向けた。


「まあ。噂では、鬼道様は冷酷無慈悲で、婚約者候補となった令嬢は皆逃げ出してしまったとか」


「素行も悪くて、人を殴ったりする、恐ろしい方だと聞きましたわ」


(ふふ、そうらしいわね)

 

 実際に冬夜のことは見たことはない。

 だが火のないところに煙はたたないという。

 

 トモエは今頃泣いているのだろうか。

 それとも無能で、令嬢らしいこともできないことがバレて、折檻を受けてる?

 トモエの不幸を想像すると、愉快でしかたがなかった。

 悲しい顔を扇で隠すふりをして、口の端を釣り上げる。


「皆様、鬼道様を見たことがないの?」


 しかし一人の友人が、少し頬を上気させて言った。


「いえ……お姉様は攫われるように連れて行かれましたし、お姉様の体調が悪くて、式もしなかったので、お会いしたこともなくて」


「まあ、そうでしたの。でしたら見目に関しては、心配されなくてもよろしいかと」


 どういうことか、と皆ワクワクした顔になる。


「わたくし、夫が軍人ですから、軍の慰労会に呼ばれたことがありますの。そこで鬼道様をお見かけしましたわ」


「どんな方でした?」


「それが……わたくし、あのように整った顔だちをした方、今まで見たことがありませんの!」


 友人は興奮したように顔を赤らめて言った。


「まあ! それ、本当ですの?」


「ええ。怜悧な目元に、通った鼻筋、サラサラした髪……。整いすぎて怖いくらいでした。どちらかというと、野生的な美しさ、というのでしょうか。体もよく鍛えられていて、本当に男らしい方でしたのよ」


 皆、きゃあきゃあと楽しそうに騒ぎ始める。

 面白くないのは美慧だ。


(そんな話、一度も聞いてない!)


「冬夜様は社交が嫌いなようで、家と職場の往復なんですって。だから今まで、社交会にその美貌の噂が流れなかったのだとか。他の方も見ていたと思いますから、聞いてみるといいですよ」


 そう言って、冬夜を見たと言う貴婦人の名を幾人かあげる。


「でも、恐ろしい方なんでしょう? 婚約者候補の令嬢が、泣いて逃げ出したとか……」


 美慧がそう尋ねかけたとき。

 ダンスフロアの方で、悲鳴と、何かが割れる音がした。

 見れば、グラスを落としてしまったらしい。不運なことにそれが使用人の足に直撃して、怪我をしたらしかった。


(女中のくせにそんな靴なんか履いてるからよ)


 美慧は心配するふりをしつつ、内心馬鹿にしていた。

 誰が治療などするものかと思っていたが、しかし客の一人が美慧がいるのを発見すると、ぜひ治療を、と美慧に頼んだ。


(あーあ。なんで私の力を下女なんかに使わなくちゃいけないの。まあでも、面倒だけど仕方ないわね。ここは私の能力を存分に見せつけるときだわ)


 美慧は立ち上がると、女中が座らせれた席へ向かった。


「大丈夫ですか?」


「は、はい。ガラスで足を切ってしまって……」


 清潔な布でおさえているが、思ったより深くきったらしい。

 血が布に滲んでいた。


「私は桜狐美慧と申します。治癒の能力を持っていますの。治療させていただきますね」


 パフォーマンスのつもりで、美慧は傷口に手をかざした。

 しかしいつまで経っても、傷は治らない。


(えっ?)


 いや、正確にはじわじわと治ってはいるのだが、血が止まっただけで、傷は治っていないようだった。


(うそ、どういうこと?)


 美慧は焦るが、やはり力がうまく使えない。


「あ、あの……?」


「っ、血はとまりました! あとはご自身でどうにかして? 今日は何人もの治療をして、私疲れてるんです」


 訝しげな顔をしていた周りの人たちは、そうだったのか、と納得したようだった。 

 しかし美慧は、これ以上ボロが出てはいけないと、疲れたふりをして急いで会場を出た。

 中庭に出て、自分の手を見下ろす。


「どういうこと? どうして私の力が使えないのッ!?」


 試しに爪で肌を傷つけ、治してみる。

 しかし先ほどと同じように、傷は治り切らなかった。

 完全に力が失われたわけではないようだが、弱まっている。


(まさか)


 ──美慧はふと、一抹の不安を覚えた。


 美慧の能力は、トモエが家に来た時期に開花したのだ。

 それ以来、なぜかトモエが近くにいるときは、能力が安定して使えた。

 今まで治療することは家でしかなかったから、トモエと離れたときの能力については、よくわかっていなかった。


(トモエ姉さんが近くにいないと、神通力が使えない……?)


 そんなわけない。

 その証拠に、まだ力が使えなくなったわけではない。


(……違うわよね? 偶然、調子が悪かっただけ……)


 そう。疲れただけだ、きっと。

 美慧は優秀だ。

 トモエなんかよりもずっと。


(少し休めばよくなるはず)


 ──私は優秀なんだから。私がトモエ姉さんみたいに、無能なわけない。


 美慧は歯をぎりぎりと食いしばった。


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