夜会①

 玄関ホールには、すでに柔らかな灯火が満ちていた。

 重厚な扉をくぐると、すぐに黒服の使用人が一歩前へ進み出る。


「ご招待状を……」


 低く丁寧な声に促され、トモエは胸の奥がぎゅっと縮むのを感じながら、白い封筒を取り出した。使用人が確認を終えると、すぐに深い礼が返される。


「ようこそお越しくださいました。こちらで外套をお預かりいたします」


 傍らに控えた女中が一歩進み出て、トモエの肩に掛かっていたショールをそっと受け取る。淡い香水の香りとともに、館内の空気がぐっと近づいてくるようだった。


 手渡された番号札を握りしめたまま、トモエはおずおずと視線を上げる。

 階段の向こう、煌めくシャンデリアの下に藤宮薫子が立っており、来客一人ひとりに挨拶をしている。今日は夫の蓮は不在とのことだった。


「奥様がお待ちでございます。どうぞこちらへ」


 案内に従い、トモエはぎこちなく歩き出した。


(冬夜様がいなくても、なんとか頑張らなくちゃ)


 胸の鼓動は早鐘のように鳴り響き、背後の扉が閉じる音が、まるで別世界の入り口が閉ざされたように感じられた。


     *


「トモエさん、久しぶりね!」


 緊張しながら挨拶に向かったトモエだったが、薫子は相変わらず、とても気さくに接してくれた。


「まあまあまあ、こんなに綺麗になって!」


 トモエが一生懸命挨拶すると、トモエの手を取って挨拶に答えてくれた。

 今日の体調や冬夜の事情について話した後、薫子はソファ席にトモエを案内してくれた。


「疲れやすいと聞いているから、今日はこっちに座ってお話しましょう」


 今日は私に任せてね、と薫子は屈託のない笑顔を浮かべる。

 わざわざ慣れないトモエのために、トモエのそばについていてくれるのだという。

 トモエはほっとして、体から力が抜けた。

 色々な人に挨拶しなければならないのだろうが、薫子も一緒なら少しは安心できそうだ。


     *


 薫子に挨拶に来る人々に、トモエも一緒に紹介してもらった。

 桜狐美慧がそれなりの知名度があったおかげか、トモエの存在もうっすら知っている、という人も多かった。

 トモエは病弱で、滅多に表に出てこないから、それこそ深窓の令嬢なのではないか、という噂がたっていたらしい。

 そんな大層なものではない、とトモエは否定するのに忙しかった。


 また、冬夜の話題を出す人も多かった。


「どんな縁談もお断りされていた鬼道様が、結婚されるなんて。トモエさんは、本当で気に入られているのでしょうな」


 自身の娘の縁談を持ちかけたという男性が、トモエを見ながら、頷いた。


「これだけ美しければ、鬼道様がトモエさんを選ばれるのもわかりますよ」


 お世辞とわかりつつ、トモエはあたふたしてしまう。

 

「いやはや、鬼道さんは陸軍でも期待の人だ。どうぞ我が家ともご懇意にさせていただければ」


 トモエはとりあず、こくこくと必死に頷いた。


(薫子様が招待した人たちだから、ある程度信用はあると思うけど……)


 冬夜に何か迷惑をかけてしまわないか、トモエは今更不安になってしまった。

 華族名鑑や術者名鑑を一応確認したものの、名前を覚えただけで、実際にその家と懇意にすべきかどうかは、トモエでは判断がつかなかった。


 困っていると、薫子が助け舟を出してくれた。


「気があうな、と思った人と仲良くすればいいのよ。無理に深く関わろうとしなくていいの。トモエさんは若いんだし、まだそんなに気を張って社交なんてやろうと思わなくて大丈夫よ」


「あ、ありがとうございます」


 それでも、少しでもここで縁を繋いだ方が、いつか冬夜の役に立てるかもしれない。そう思って、トモエは気合いを入れ直す。


 しかし冬夜は社交嫌いだといっていたが、どうやってその地位を築いたのか、トモエは不思議になってしまった。

 純粋な実力だけで、世渡りできるのだろうか。


(冬夜様って、結構むちゃくちゃな人なのかも)


 トモエは今更、その事実に気づいてしまったのだった。


     *


 薫子が少し席を外すというので、トモエはしばし一人の時間ができた。

 中には、トモエを独身者と勘違いして声をかけてくる男性もいて、誘いを断るのにかなり疲れてしまった。

 一人でちびちびと果実水を飲んでいると、タイミングを見計らったように、華やかな女性たちがトモエの前にやってくる。


 トモエはその圧に、びくりと固まってしまった。

 着飾っている女性というのは、なかなかに威圧感があるものだ。


「ちょっと、そこのあなた」


「は、はい……」


 トモエは美慧のことを思い出して、恐ろしくなる。

 気が強そうな女性たちは、ずい、とトモエに顔を近づけてきた。


「あの! 鬼道冬夜様の、奥様なんですって?」


「え? あ、あの、はい、そうです」


 トモエがオロオロしながらそういうと、黄色い歓声が上がった。


「あの美貌の軍人、鬼道大尉の奥様!」


「あんなに美しいのに、冷たくて、我が道を行っているのがすっごく魅力的な方ですよね!」


「ぜひ! ぜひ! お話を聞かせてくださいまし!」


「私たちの同人誌に、ぜひご協力を!」


「は、はあ……」


 トモエは目をハートにした女性たちに、取り囲まれてしまったのだった。



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