夜会へ


「奥様、素敵です……!」


 感激したような美夜子の声に、トモエは不安げに自分の着ているドレスを見た。

 少し胸が空いており、肩が出ているのが心許ない。


(本当に着こなせているのかな)


 不安に思いながら、トモエは胸元のレースをいじった。

 今日は約束の夜会の日。

 冬夜は夕方には戻ると言って、通常通り仕事に行っている。冬夜は軍服が正装として通じるらしく、着替えの必要はないのだという。

 反対に、トモエの準備は大変だった。

 

 慣れない洋装に、慣れない靴。

 化粧も初めてで、何もかもにトモエは戸惑ってしまった。

 ただ、着物よりはだいぶ軽かったので、それだけが救いかもしれない。


 そわそわしていると、美夜子が鏡の前にトモエを連れて行った。


「ほら、見てください、奥様! 美夜子はこんなに綺麗な女性を見たことがありませんよ!」


 興奮したように、美夜子はそう言う。

 大袈裟だと思いながら、鏡を見る。

 鏡に映る自分に、トモエは驚いた。


(私って、こんなだった……?)


 思わず鏡に触れて、トモエは自分の姿を呆然としたように見た。


 先日外商から購入した、淡い桜色のシフォンを幾重にも重ねたドレス。光を受けるたびに裾がきらきらと揺れ、まるで花びらが舞い降りるように見える。

 胸元には小さな白いレースの飾りがあしらわれ、リボンで結ばれたウエストが可憐な印象を強調していた。


 さらに美夜子の施してくれた化粧のおかげで、トモエはいつもよりも、ずっと健康的に見えた。

 淡い色合いの口紅に、同系色のうっすらとした頬紅が、青白い顔にじんわりと血色感を出している。

 それだけではない。

 冬夜と過ごす日々の中で、トモエは確実に、体を回復させていたのだ。以前はあばらが浮き出ていたデコルテも、多少マシになっていた。


 トモエは嬉しくなった。

 普通の人に近づけたような気がして。


「奥様、腰が本当に折れてしまいそうなほど細いですね……」


 美夜子は心配そうに、トモエの呼吸が苦しくない程度にリボンを調節した。


「うん、バッチリです! 冬夜様も驚かれますよ!」


 最後に、美夜子は髪をセットしてくれた。

 美夜子の本領発揮、というところだろうか。

 絶妙に緩く巻かれた髪を、ハーフアップにし、髪飾りをつける。

 鏡を見れば、そこには完全に、見たこともない少女が映っていた。


     *


 冬夜が帰ってくる気配がした。

 ご主人様を驚かせましょう! と美夜子に部屋で待つように言われ、トモエは椅子に座ってそわそわしていた。

 ドアがノックされ、扉が開く。


「お、おかえりなさいませ」


 慌てて立ち上がれば、冬夜は呆然としたように、固まっていた。

 

「……」


「冬夜さま……?」


(変だった?)


 不安になって、冬夜に近づく。

 すると冬夜は、トモエをふわりと抱き締めた。


「……どこの姫かと思った」


「お、大袈裟です」


 トモエの頬が赤くなる。


「ああ、トモエ。あんたはいつの間にこんなに綺麗になっていたんだ?」

 

 冬夜はトモエの顔を手で包み込んで、上を向かせた。


「俺の可愛いお嬢様」


(ああ、嬉しい。冬夜様に褒められるのは、嬉しい……)


 トモエはようやく、おしゃれがこんなにも楽しくて、幸せな気分になれるものなのだと知った。

 自分のことを少しでも好きでなければ、おしゃれは楽しく感じないのだということも。


「行きたくない」


「え?」


「どうして他のやつに見せないといけないんだ? 俺だってまだ、楽しめていないのに」


「あ、だ、だめ……!」


 冬夜がトモエをベッドに連れて行こうとするので、トモエは慌てて抵抗した。

 せっかく結ってもらった髪や、ドレスが崩れてしまう。


「トモエ、トモエ……腹がへった」


 耳元でそう囁かれる。

 懇願するような目で言われて、トモエは目をそらした。

 そんな大型犬のような目をされても、美夜子の努力を水の泡にするわけにはいかないのだ。


「……夜、しますから」


 精一杯の譲歩だった。

 あまりの恥ずかしさに視線を逸らしてしまう。


「約束だぞ。破ったら……」


 どうなるのだろう。

 守るから、とにかく今はダメとトモエはこくこくと頷いた。

 それでも我慢しきれないような冬夜に困っていると、何か怪しい気配を感じたのか、ドアがノックされ、美夜子の声が聞こえてくる。

 トモエはホッとしてしまったのだった。


     *


「もう! 行くと返事をしてしまったのですから、文句を言わずに出発してくださいませ!」


「トモエには夜会はまだ早い。あんな場所に行ったって、何の意味もないだろ」


「意味がないとかじゃないんです!」


 玄関口で、冬夜と美夜子は喧嘩になっていた。

 冬夜が行きたくない、トモエと部屋にこもりたいと車を出さないのだ。


 ──行かなくていいなら、私も行きたくない。


 トモエはそう思った。

 冬夜と二人、ずっと一緒に、あの部屋から欠けた月を眺められたら、どんなにいいだろうか。


 けれど参加すると連絡してしまった以上、そんなわけにも行かない。

 結局美夜子に背中を押されながら、冬夜とトモエは車に押し込まれたのだった。


     *


 揺れる車の窓から、外を見つめる。


(月が……)


 次の満月まで、あと一週間ほどだろうか。

 

(私は、どうすればいいんだろう)


 鬼道家に来てからは、夢のように幸せな時間を過ごした。

 けれどそろそろ、終わりが近づいてきているのだ。


(……よく考えてみれば、どうせいつかはバレることだもの)


 美慧がばらそうがばらすまいが、きっとトモエが化け物であることは、いつかばれてしうまう。

 けれどそのいつかが、たった一日でも、一時間でもいい。

 少しでも長くなってほしいと、トモエはそう願ってしまった。

 それほどまでに、トモエの今は、幸せだったのかもしれない。


「トモエ、もうすぐだ」


 冬夜の声で我にかえった。


「あんた、ずいぶん緊張しているみたいだな。嫌なら今からでも引き返そうか?」


 冬夜は本気のようだった。

 トモエの様子がどこかおかしいと、気づいているのか。

 それとも、自身も夜会が嫌なのか。

 きっとそのどちらも、なのだろう。


 トモエはふるふると首を横に振った。


「ここまで連れてきてもらったから。頑張ってみます」


「頑張る必要などないというのに……」


 冬夜は呆れたような目で、トモエを見た。


     *


 ほどなくして、トモエたちは藤宮邸に到着した。

 車止めに車を止めると、突然、美しい白い鳥が冬夜目掛けて降りてきた。


「!」


 鳥はふわりと少年に姿を変えた。

 月光のような淡い輝きを持つその姿に、トモエは息をのむ。しかし冬夜は、くそ、とイラついたように少年を見た。


「なんだ、緊急招集か」


 少年はこくりと頷いた後、冬夜に手短に要件を伝えた。

 いわく、市街地に魔性が出たと。

 それも人型だと言う。

 満月が近く、魔性の動きが活発だ。今すぐに討伐に向かえ、と淡々と少年は言った。


「……」


 冬夜は目を瞑って少し考えた後、ため息をついて頷いた。


「……わかった。すぐにいくと、あの野郎に一言言っておけ」


 少年は頷いて、再び白い鳥になって、飛んでいってしまった。

 冬夜はトモエに向き直る。

 その顔に浮かんでいるのは、悲しそうな、苦しそうな。何かと葛藤しているような表情だった。


「……すまない」

 

 トモエはゆっくりと首を横に振ってはっきりと言った。


「いいえ、私は大丈夫です」


「一人で行かせるくらいなら、家に返したい。だが、この家にいる方がよほど安全だろうな」 


 トモエにも冬夜の言っていることは理解できた。

 藤宮家には強力な結界が張られている。

 ここは安全な場所だ。


「トモエ、一人でもいけるか?」


「はい」


 トモエはしっかりと頷いた。

 冬夜を不安にさせないように。

 せめて、冬夜の邪魔はしたくなかった。


「ダメだな、俺は。俺が守りたいのは、あんた唯一人なのに」


 心からの言葉だった。

 疲れたような冬夜の言葉に、トモエはたまらなくなって、冬夜の肩に手を伸ばした。それから触れるように、頬にキスをする。

 冬夜が目を見開いた。


「あなたのことが、心配で、夜会の緊張などどうでもよくなってしまいました」


 トモエは鳴神の怪我を思い出していた。

 冬夜は軍人なのだ。

 命を落とすことだって、あるかもしれない。

 そんなことも忘れていたなんて。


(なんて愚かなんだろう)


 トモエは自分の今までの行いを恥じた。

 冬夜は命をかけて戦っているのだ。


 自分のことばかり考えて。

 本当に自分勝手だった。


 そんなことに比べれば、美慧の悪意など、些末なことのように思えた。


「私のことは気にしないでください。あなたの安全だけを、どうか考えて」


 一息にそう言うと、冬夜は目を見開いた。

 それから少し笑う。


「俺が怪我でもすると?」


「……」


 トモエが不安そうな顔すると、冬夜は面白いものを見た、とでもいうように、喉で笑う。


「おもしろいな。それじゃあ、今と同じ状態で、ここに戻ってくる。血の一雫もあびねえ。綺麗な状態で、あんたと踊ろう」


 冬夜はそう言って、トモエの手の甲に口付けた。


「帰ったら、続きをしてくれるんだろ?」


「ぶ、無事に帰ってこれたら、ですよ……?」


 冬夜はにんまりと笑った。


「ああ楽しみだ。その代わり、無事に帰ってこられたら、もっとすごいことをしてもらおうかな」


「も、もっと……?」

 

「ダメなのか? 疲れた夫を癒すのは、妻の義務だ」


 トモエは真っ赤になりながらうなずいた。


「そ、それなら、ちゃんと無事に戻ってきてくださいね……?」


「ああ、約束しよう。必ず戻るから、少しだけ待っていてくれ」


 トモエがこくりと頷くと、冬夜はトモエの額に口付けをして、去っていった。


(ああ、私、なんてバカだったの)


 美慧の悪意より、自身が化け物だとバレることを恐れるより、もっと恐ろしいものがある。冬夜が傷つくこと。ただそれだけだ。

 

(馬鹿らしい)


 トモエの夜会に対する不安は、すうっと薄まっていた。

 大きな扉から、光と喧騒が漏れている。

 トモエは一歩、光の方へ踏み出した。

 



 

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