夜会への招待状

 その日、トモエは幸せな気分で家に帰った。

 こんなに長く外に出たのは久しぶりで、もう眠気は限界だった。

 冬夜は書類仕事をすると言って、帰ってすぐに書斎へ行ってしまった。

 トモエからすれば、とんでもない体力だ。


 風呂に入り、美夜子に髪を乾かしてもらった後、机に置かれた二通の手紙にトモエは気づいた。


「……招待状?」


「はい。ご主人様と奥様宛に届いておりますよ」


 眠ければ明日確認してくださいな、と言って、美夜子はトモエのベッドを整えてから、部屋を出て行った。


 トモエは明日確認しようか、とも思ったが、自分宛にこんな豪華な箔押しの手紙が来るなど珍しいと思い、眠い目をこすりながら、手紙を手に取った。

 差出人は藤宮蓮、藤宮薫子となっている。


 トモエは見知った名前に、目を見開いた。

 

(薫子様……)


 遠い昔、まだ伊織と婚約者だった頃に何度か会ったことがある。

 藤宮家の長男の嫁だ。

 とても優しい人だった。

 少し天然だが、悪い人ではないと知っている。


 内容を見れば、もし夜会に不慣れであれば、今回の夜会を練習にしないか、と言うことが嫌味なく書かれていた。

 純粋な好意でトモエと冬夜を招待してくれたのだろう。


(どうすればいいんだろう)


 考えてみれば、トモエは軍人の妻だ。

 上流階級の妻は、本来なら社交で夫を支えるのだと言う。

 トモエは今のところ、その役目を果たせていない。

 この夜会に参加すれば、少しは冬夜の役に立てるだろうか、と悩ましく思った。

 夜会は数日後だった。


 悩みながら手紙を眺める。


(もう一枚は誰からだろう。もしかして、こっちも招待状?)


 そう思ってもう一枚の封筒に手を伸ばしたトモエは、差出人の名を見て、凍りついてしまった。


 桜狐美慧。


 封筒にははっきりとそう書かれていた。


(うそ……)


 なぜ、彼女が?

 間違っても、トモエに便りなんか、出すはずがない。

 久しぶりにみた妹の筆跡に、トモエは真っ青になった。

 一体、何が書いてあると言うのか。


 トモエは震える手で封を破った。


「……どういうこと」


 トモエは訳がわからず、首を傾げた。

 手紙の内容は、要約すると「夜会を断ることは許さない」というものだった。

 

(どうして……)


 トモエは青くなりながらも、美慧が一体何を企んでいるか、考えてみた。

 単純に、トモエを嘲笑ってやろう、というものなのだろうか。

 昔から、美慧はトモエと何もかもを比べ違った。たいていはトモエの方が鈍いから、美慧はそれでいつも喜んでいるのだ。

 しかしそれにしては何かがおかしい。

 美慧はここまでして、トモエをいじめたいと思うだろうか。

 そんな熱量が彼女にあるとは思えなかった。


(行きたくない)


 自分から罠にはまりにいくなど、バカのすることだ。

 けれど手紙を無視できない理由があった。

 もし夜会に来ないければ、トモエの秘密をバラすというのだ。


 トモエが化け物だということを。

 

(そんなの、叔父様が許す訳ない)


 けれどトモエは、美慧が恐ろしかった。

 長年しみついた恐怖が、そう簡単に雪がれるはずもない。

 本当にばらされるのではないか。

 何か仕返しをされるのではないかと、トモエは恐怖で動けずにいた。


     *


「なんだ、まだ眠っていなかったのか?」


 部屋に冬夜がやってきた。

 書類整理は終わったらしい。

 

 トモエは青い顔で、冬夜を見た。

 美慧からの手紙は、急いで封筒の中にしまう。


「……どうした、トモエ」


 冬夜は眉を潜めて、トモエを見た。

 その手にある手紙に視線を落とす。

 それだけで、冬夜はそれが何かわかったのだろう。

 ため息をつくと、トモエの手からスルリと招待状を抜き取った。


「なんだ、夜会の招待状か」


 封筒を触っただけでわかるのは、これまでに何度もこういった誘いを受けているから、なのだろうか。

 トモエが困っていると思ったのだろう。

 冬夜はトモエの横に腰を下ろすと、トモエの髪を撫でた。


「トモエ、行きたくないなら行かなくてもいい。あんたはあまり、ああ言う場所には行ったことがないんじゃないか」


「は、はい……」


 トモエは俯く。


「無理するな。行きたいなら、体調がもう少しよくなってからにしよう」


(私もそうしたい。でも……)


 トモエは美慧が、恐ろしかった。


(従うしか、ない……)


 もっと恐ろしいのは、冬夜に自分が化け物だとばれて、突き放されることだった。


「その……だからこそ、練習においでって、知り合いの方が……」


 トモエは震える声でそう言った。

 冬夜は訝しげだ。

 冬夜は招待状を開封して、中に目を通した。

 

 ──招待客のリストを見て、冬夜は硬直した。


「……藤宮、伊織」


 小さな呟きで、トモエには何を言ったのか、よくわからなかった。


「……あんたは、行きたいのか」


「……わ、わたしは」


(ああ、また言えない。美慧に、言い返せない……)


 奇妙な沈黙が流れた。

 トモエは行きたくなかった。

 冬夜もまた、気が進ままないようなのだ。

 それは単純に社交嫌いだからなのか、他にも理由があるのか。

 トモエにはよくわからない。けれど二人とも本当は参加したくないのではないか。そんな気がする。


 しばらくして、冬夜は強く招待状を握った。


「……あんたが行きたいのなら、そうしよう。でもな」


 冬夜はなぜか、トモエに強く言い聞かせるように言った。


「俺もいる、と言うことを忘れるなよ」


「……?」


 トモエを安心させるというよりは、釘を刺すような言い方だった。


 その目には、何か不安そうなものが宿っていた。





 

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