第10話 レオンのことが大大大好きな近侍、グレイソン。
がちゃり。
なので、私がドアノブに手をかければ、隣の部屋の扉は簡単に開いた。まあ、王宮のセキュリティーを考えれば、鍵がないのは当然なのかもしれない。ここは常に見張りによって守られているのだから、鍵を閉める必要なんかないのだろう。
中に入れば、やはり人の唸るような声が聞こえて来た。
私は慌てて音のするほうへと駆け寄った。
見れば、椅子の上に座らされた男性が、もがき苦しんでいた。両腕は椅子の後ろで縛られていて、口には声を封じるためのテープがあった。おまけに、どうやら椅子は、床にぴったりと固定されているらしい。これでは、自力で助けを求めるなんて不可能だ。椅子から立ち上がることもできない。
すぐさま、私は口に貼られたテープを剥がした。
そう言えば、男の子のために何かをするのは、とても久しぶりかもしれない。
「助かったぞ、女」
(言い方……)
いくらほかに言い方がないのだとしても、それはない。「女」と語尾につけないほうが、丁寧でさえある。
「悪いが、腕の縄も解いてくれ」
「あっ、ごめんなさい。今やるわ」
「……しかし、なぜ女中がここにいる? 3階以上のフロアは、
たぶん、きっと私の返事なんて聞いていないのだろう。
一人で喋りっぱなしの男性を前に、私がどうすることもできずに呆然と立っていれば、タイミングよくビビアンが一階から戻って来た。
「カナミ様! こちらにいらしていたんですか。お部屋にいなかったので、心配しましたよ」
私の状況を、ちらりと一瞥したビビアンがさらに言葉を続けた。
「そんなこと、言ってくだされば私がやりましたのに」
「ビビアン! 聞いてくれ、大変なんだ。レオン様は今どこにいる? レオン様はヴェスペリス殿と協力して、異世界に行こうとしている! 早く、お止めしなければ。レオン様の身にもしものことがあれば、我が国は終わりだ!」
「ああ、うん。それは昨日の話ね。もう戻って来ているから」
心底どうでもよさそうに、ビビアンが言い返した。
「なんだと!?」
「そして、こちらが『妃に』と連れて来られたカナミ様です。グレイソン、くれぐれも粗相のないように」
「ど、どうも」
ビビアンの急なパスに、私は少しきょどってしまった。
「うむ。よろしく頼むぞ、女」
言った瞬間、ビビアンがグレイソンを思いきり殴り飛ばしていた。
顔にグーパンチ。
分かっていたことだが、この子は容赦がない。
「痛いじゃないか、何をする?」
「私の話、聞いていた?」
「いや、全く。レオン様の話をしていたのか? ご無事なんだろうな? お怪我はされているのか?」
「はあ……もういいわ。王子なら一階にいるから、そんなに早く会いたいなら自分で連れて来て」
「それを早く言え!」
言うが早いか、グレイソンが部屋から飛び出していった。
その背中を呆れるように見ていたビビアンが、私のほうに向きなおった。
「すみません、カナミ様。お見苦しいものを、お見せしてしまいました。あいつ、レオン王子以外からの話を、まともに聞かない癖があるもので……」
「いいわよ、別に。そんなに気にしていないし」
気休めじゃなく、私は本当に気にしていなかった。
なんだか、日本では味わうことのない新鮮な対応に、笑いが込み上げて来てしまっていたのだ。
(そっか……。あの
ビビアンと親しい様子からして、グレイソンが同じ
✿✿✿❀✿✿✿
「魔導書が読めるというのは本当か、カナミ!?」
開口一番、レオンが私に尋ねて来ていた。
今いる場所は、すでにビビアンの部屋に戻っている。
「ええ、まあ」
日本語ですしおすし。
でも――と、私は続けた。
「でも、いくら魔導書が読めるからって、いきなりの解読なんか期待しないでよね。さすがに、全部を解読しようと思ったら、かなりの根気と時間が必要になるわ」
「いや、それでも大助かりだよ。ちょっとずつでも、着実に魔導書の解明が進むのであれば、これまでとは雲泥の差だ」
そう言って、レオンが私の腕をぎゅっと握って来る。
実際のところ、私はほとんど何もしていないのだから、イケメンに自分の手を触られている現状は、二重の意味で恥ずかしかった。
そうして、話が一段落すれば、すかさずグレイソンが改めて私に礼を言った。
「カナミ様、先ほどはどうもありがとうございました」
(いきなり、態度が変わり過ぎでしょ……)
ビビアンが言うには、グレイソンはレオン以外からの話を聞かないという。
この態度の急変は、レオンから私のことを聞いたためなのだろうが、それにしたっていきなりの急変に、ちょっと頭が追いつかなかった。
「グレイソンが何かしたのか?」
「ううん。ちょっと自室に囚われていたのよ」
「ああ……」
私が答えれば、たちまちレオンが明後日のほうを向いた。
なるほど。
事情が読めた。
おおかた、心配性のグレイソンが鬱陶しくて、日本に向かう際にレオン自身が監禁したのだろう。
レオンのことを嫌っているビビアンはともかく、ここまでレオンを大好きなグレイソンならば、日本にまでついて来ることは明らかだった。第一、先ほどは日本に向かうことさえ、必死に止めようとしていた気がする。
「おっほん」
ビビアンの咳払い。
「しかし、どうするおつもりですか、レオン様? カナミ様は元々、お妃様としてお披露目する予定でしたよね? それなのに、魔導書の解明が私たちにはできず、私たちの派閥から別の大賢者を立てられない以上、カナミ様を大賢者として紹介する以外に、方法がなくなってしまいました。レオン様派の勢力を伸ばせたのは喜ばしいことですが、お妃様の件はいったいどうすれば?」
「大賢者?」
聞き慣れない言葉に、私はついつい口を挟んでいた。
「一般の魔法使いとは桁違いの力を持つ、偉大な魔法使いのことだ。当初の予定では、ビビアンを大賢者にするつもりだった」
「つもりだったって……。そんな簡単にできるものなの?」
「いや、無理だな。最初から、無謀であることは私も分かっていたさ。だが、そうしなければならないほど、大賢者を巡る争いで私は劣勢だった。だからと言って見限ってくれるなよ、カナミ。私が必ず王位につく。そこだけは決して譲らない。そなたを必ず妃にしてみせよう。……もっとも、元から王族のカナミには、妃という地位も、あまり憧れるものでもないかもしれないが……」
まただ。
また、レオンは何か勘違いをしている。
「だから別に、私は王族じゃないわよ?」
「何を言うか?」
レオンが呆れたように笑った。
「そなたはカナミ=タチバナだろう? 自分でタチバナと言っていたではないか」
「ええ、だから苗字でしょう?」
「むぅ? 苗字は王族にしかない特権だろう?」
「えっ……」
絶句。
ようやく、レオンが誤解した事情が、私にも飲み込めて来ていた。
この世界の一般人は、苗字を持たないのだ。
おかめの私がモテモテの上にチートだなんて……そんなに都合の良い異世界で、本当にいいんですか? 御咲花 すゆ花 @suyuka_misahana
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