第22話:理解が違えば余裕も違う
グラスを傾ける。無自覚だったけれどひどく乾いていたらしい、ゴクゴクと全て飲み干した。
「それ長浦さんには?」
「言ってない。だってこんなん嘘っぽいやん」
「いや、でもケイタくんにも証言してもらえばさ」
朱里は首を横に振った。曰くケイタくんには見えていなかったらしく、「ここどこ? ってキョロキョロしとってさ、自分で歩いてきた感じもない、みたいな」と付け加えた。
「それっていつのこと?」
「先月……や、今月の頭やったかも。てか何で今まで思い出さんかったんやろ、こんな怪しいこと」
「朱里は俺のことばっかだものねぇ」
「オイオイうぬぼれてんなよ」
互いに肩をすくめてフゥと息を吐く。「蒼介の方があたしのことばっかやけんね」「いやいやお前さんには負けるよ」やれやれと言い合えば話が終わったような雰囲気がふんわり漂った。
けど。これまだ続きがある、よな?
俺は「探しに行ったのか」と先を促した。「え」と朱里は少し視線をふらつかせた後、口元から額へ手を滑らせ、
「うん、そう……、そうだ。あたしの見間違いかもって思ったけど、でももしそうやなかったら警察とか、言わなきゃって思って……」
自分に対して少々雑で他人の困りごとを放っておけない朱里の前で、子供に手を出そうとしていた(と思われる)人物(だよな?)がいた。
そんなのおとなしくしているわけがない。捕まえるとまではいかなくとも一度くらいは探索するだろう。
場所はその近辺、手当たり次第に走り回る朱里が容易に想像できる。そして多分、
「で、あそこの森に入った?」
「え。……う、ん。はい、った」
「そいつを見つけたのか」
「うん。ん……? ううん、そいつはいなかった。えと、あれ、でも。あたしそこで」
あれ、違ったか。てっきりそん時に何かがあって、朱里はこうなってしまったのかと。今まで思い出さなかったのもそれが関係しているからでは、と思ったのだけど。
いかんな。早計とは何だったのか、俺は自分の仮説ありきで考えている。こういうのは良くない、都合のいい解釈で物事を結び付けて考えるようになっては情報を正しく見れなくなる。
朱里の行動を予想するのとは違う、仮説は仮でしかないんだから。朱里の記憶を混乱させることは控えなければ。
だがそんな反省は遅かった。
「誰かに会った気がするんやけど……。う、うぅん……?」
朱里が頭を抱えている。文字通り、両手でこめかみを包み項垂れて。
「あーダメや、思い出せん」
「ごめん、俺が余計なこと言ったせいだ」
「そんなことない。蒼介が話振ってくれたけん思い出したんかもしれんもん。なのに、さぁ、……うがああああ! そっから先ぼやってしとう! 誰に会ったんあたし!」
思い出せそうで出てこないのはどうにも気持ちが悪くもどかしい。どんなに些細なことであってもそうなんだ。
不安定な記憶に困惑していることを俺は前回思い知らされたというのに。今回は先走った追及で朱里を追い込んでしまった。
「朱里、ごめ」
「ごめんとか言わんでよ? あ、無理しなくてイイヨとかもいらん」
「……」
「寧ろありがとうなんやけん」
朱里は首を左へ倒して「ぬーん」、右に倒しては「ぬーん」と言いながら眉間に深くシワを刻む。
やがて腕を組み目を閉じ天井を仰いだところで思い出し作業は中断となった。
ピンポーンと来訪を知らせる音が響く。
「ん、お客さん?」
「あ、もうそんな時間か」
確認しなくても今日の展開は分かっている。モニター画面にはやはり、高宮の姿があった。
前髪を指先で撫でる仕草は彼女の癖なのだろうか、何度も見たような気がする。通話ボタンを押すと『た、高宮ですっ』と丁寧にお辞儀をされた。
「あれ? ちょっと早い気がせん?」
「……言われてみれば」
オートロックの解除をした後で朱里が首を傾げる。
確かに記憶では出発のちょっと前だった。今回はまだ三十分以上ある。
展開は同じでも多少変化している部分もあるんだな。完全に同じとはならないのか。
五周目の今回は最初から俺の意識が違う。
だから目にするもの、聞くもの、全てが大事な情報に思えて。
高宮の訪問時間が変化したことが先への変化に繋がるとは到底思わないのだけど、そういうパターンもあるのだと頭に入れておく。
しかし。俺の意識が違うとなるとその点についての確認作業がない。
そこに割いていた時間がなくなったからケイタくんとの話も聞けたわけだけど、そういった方面以外のちょっとした脱線もまあ生まれるもので。
「蒼介、ほんとに彼女やないの? あたし邪魔やったらどっかお散歩してくるよ」
「彼女? あぁ、高宮はクラスメイトだよ。つか一人で出歩くな、危ない」
「あははっ危ないて、誰もあたしのこと見えとらんのに」
そんなことは分かっていても、俺にとって目の前にいる朱里は普通の女の子だ。「そうやけど。そういうことじゃない」と言えば、朱里は軽く目を大きくしてから笑った。
「ほら、蒼介の方があたしのことばっかやーん。過保護やなあ」
「……」
と、いうか、さぁ。
ふいに込み上げるもやっとしたもの。
こんなくだらないこと言うのはどうかと思うんだけど。気にしなきゃいけないことてんこ盛りだしさ、本当にアレなんだけど。
でも、もやっがもやもやっと広がって、思わず口にしてしまっていた。
「なぁ朱里」
「ん?」
「朱里は、さぁ。俺に彼女いても、何もないの」
「何もないのってなに……あ、お祝いよこせって? 無理無理、何もあげないよ?」
「いや、そうじゃねぇ」
「だってあたし喜んであげられん。ごめんけど」
「……」
それってどういう――そんな質問は声にできなかった。うっすら唇を尖らせる朱里に、脳が浮かれた解釈をしてしまって、ぐっと喉の奥で止まる。
尖らせていた唇をきゅと結び俺をそろり見上げた朱里と視線がぶつかる。
俺が見ていると思っていなかったのか、びくっと跳ねた。眉を揺らして、困っているような、恥ずかしそうな表情になる。
そんな朱里の顔は初めて見た。
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お読みいただきありがとうございます。
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