第19話:四周目の終了


 人間の本能なのだろうか、衝撃を受けたそこを擦ったり押さえたりしようと腕が動くも、たったそれだけで鋭い痛みが走って何もできない。

 うぐ、と喉が押しあがる。深い呼吸を試したら激痛が襲った。


 俺の前で膝をつけた朱里の顔が歪んでいる。心配してくれているのだろうけどこっちが心配になるほど苦しそうに見えて、だから笑ってやった。

 強張っていた朱里の顔が少し緩む。「蒼介、生きてるね、良かった」と俺の体に手を伸ばした。

 きっと触れて確認したいんだろう、怪我はないかと不安なんだろう。

 だけどやっぱり、俺たちが触れ合うことはなかった。


「そんなに飛ぶとは思わなんだ」


 土を踏みしめる音が地面についた手へ伝わって、ゆっくりと近付いてくるアカリへ目線を向ける。


「言うたろ、加減が難しいんじゃ。わしも困っておる、不便で仕様がない」

「……お、まえ、なんなん……だよ」


 朱里の真後ろまで来たアカリは俺の言葉に首を僅かに傾げて、


「何を言うておる。麦野朱里じゃ、お前の昔馴染みで再会の約束をした相手」


 そう返してきた。

 正直、むかっとした。何が朱里だてめぇ、と。

 すかさず朱里が抗議する。


「あたしそんな喋り方せんし! やるなら徹底してくれん!?」

はやれておる、心配するな。しかしお前、もう少し淑やかにできんのか。容姿はそこそこ恵まれておるのに勿体ない」

「うげ、いきなり褒めてきたっちゃけど。そんなん喜ばんけんな! ちっとも嬉しくないけんな!」

「やかましいのう。後で相手しちゃるからおとなしくしとれ」


 足がぴたり止まる。朱里の真横、俺の前に立ったアカリを見上げる。


「呼吸が苦しそうじゃな、蒼介。楽にしてやるぞ」

「……ぃ、ッ!」


 髪を掴まれ、思いきり上へ引っ張られた。そのままの状態でアカリの指は首筋をなぞり始める。

 その行為は触診されているようだった。ふにふにと顎下を押され、ごくりとのんだ不安は喉を上下させる。

 アカリの口元に笑みが浮かぶ。しかしすぐに「ちっ」と舌打ちへ変わった。


「――、ここではちと距離があるか」


 ぽつり。それはあまりに小さかったけれど聞き逃さなかった。

 傍らで「離せ!」と叫ぶ朱里の声にかき消されてもおかしくない呟きは、まるで俺に言ってるかのようにさえ思った。


 なんだ、ここだと不都合なのか?

 距離があるとは?

 どこか目的地でもあんのか。


「……おい。連れていきたい場所あんなら、さっさと行けよ」


 わざわざこの場所に連れてきたのは単純に人目を避けたのかと思ったが、そうじゃないのかもしれない。この付近、もしくはこの森の中に何かがあるのでは?


「何でここまで来たんだよ、何がしてぇのお前」


 相変わらず呼吸はしづらいしいろいろ痛い。だけど流暢に口は動く。

 どうせコイツは俺を殺すんだろう? これから死にゆく奴に何らかの情報が漏れたとて、何の支障もないだろうよ。

 喋れ、べらべらと得意げに語ってくれ。


「……何でと言われてもなあ。ここが邪魔されないから、だが。それ以外に何があろう」

「ここに来るまでもあったわ、んな場所。田舎ナメんなよ、てめえ」

「いやはや。随分元気なことよ」


 パッ。アカリの手が離れて、俺は木にもたれるように倒れた。

 朱里は口を閉ざし突っ立ってこちらを窺う。眉をひそめて、多分耐えてくれているのだ。俺の邪魔をしないように。

 だからもっと頑張りたい。聞き出したい。

 なのに、背中の痛みがじんじんとぶり返してきて。くそ、言葉が続いてくれん。頭回らん。


「聞きたいことはそれだけか」

「……いや、まだある。あり過ぎて悩んでる」

「そうか。しかしわしはもう飽きた」

「ははっ……、んなこと言うなよ。再会の約束をした相手だろ」


 俺の言葉にアカリは「ふむ」と頷き、ワンピースの裾をたくし上げる。見えたのは白い太もも――に巻かれた黒い、ベルト?

 ゲームや映画で見たことがある。思い出すそれらの使用方法は共通していた。

 そう、大抵そこには武器が隠されてい、て……。


「最期はちゃんと朱里で終わらせてやろう」


 見える景色は創作物の映像じゃない。現実。

 アカリがそこから取り出したのはナイフだった。


「ここに来た理由教えちゃあね。蒼介と二人っきりになりたかったっちゃん」


 ゆっくり、垂れる横髪を耳にかけながらアカリは微笑む。

 まるで作られたもの。まさに偽物だ。俺は乾いた笑いをこぼした。


「……朱里はそんな、可愛らしく喋れんぞ」

「それは残念。だが最期にいいもん見られて良かったではないか。じゃあさようなら」

「蒼介ッッ!」


 逆手に持たれたナイフがきらり光る。先端が真っ直ぐ、見上げていた俺へ振り下ろされ――


 刹那、視界を埋める真っ白なシャツ。

 俺を守るように、アカリと俺の隙間に飛び込んできた朱里の背中だった。


 その瞬間、感情がゴトンと動く。このままやと朱里が刺される!

 そう思うと同時「朱里!」と叫んで、背中をどかそうと手を伸ばした。けれど手が届くことも、ナイフが朱里を刺すこともない。

 ……あぁ、俺も朱里もアホやん。

 触れんって分かっとるのに、体が動くやなんて。


 朱里の体をすり抜けた刃の先端が俺の喉に突き立てられた。








 ……――遠のく意識の中、聞こえた声はアカリだった。


「蒼介お前、見えておったのか」


 あかり……朱里はどこや。

 そばにいるのか? 分からん、顔が動かせない。視界も、固定されたみたいに移動しない。

 映るのは真っ赤な世界。


「つくづく不愉快じゃ」


 それはこっちの台詞だ。

 何でコイツの声しかせんのか。


 朱里。大丈夫なんだよな……?

 そこにいるよな?

 頼むから、何か喋ってくれよ。

 なあ、あか……――

















――――――――


 お読みいただきありがとうございます。

 二月入って初めての更新、申し訳ないです。

 待っててくれた方おられましたら本当すみません、ありがとうございます。


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