第18話:逃げたい、逃げられない、逃げたくない


 もしあのまま、気が付いたらここにいました状態だったなら、俺はどうなっていたんだろう。

 そんなことをふと思った。


 駅から離れ車通りも少ない。辺りに住宅はなく商店もないこの場所は昼間でも静かだ。

 当時、大人たちが入るなと言っていたけど、そういう立地が関係しているのではないかと思う。もちろん、単純に危ないという意味もあるだろうけど。

 風が吹けば木々の揺らぎは轟音となり、少し怖かった記憶がある。

 それでもこの場所に嫌な印象はなく、朱里や友人らと楽しく過ごした記憶の方が大きい。


 だけどアカリの背景にあるせいか、楽しかった記憶は思い出せない。ただただ不安を煽ってくる。


「蒼介! 戻ろう!」


 すっかり歩を止めた俺とアカリの間にできた距離に、朱里は両手を広げて「ダメ!」と立ち、ぶんぶん頭を横に振った。

 うん分かってる、良くない予感しかないよ。

 言われなくても体が進もうとしないさ。

 だけど、


「うるさいのう、お前」


 ようやくこちらに振り返ったアカリが言葉を放ったんだ。――朱里へ。


「ああ、しまった。うっかり口を開いてしもうたわ」


 朱里と俺は目を合わせる。

 ……やっぱり、コイツ朱里のこと認識してたのか。


「蒼介、逃げよう!」

「いい加減うっとうしい。無用じゃ、散れ」

「なっ、なんなんお前! さっきまであたしのこと無視しとったやん、何で急にべらべら喋るん!」

「ならば黙ろう。お前はそうやって喚くことしかできんからな、精々騒いで見ておれ」


 そう言うとアカリは「蒼介、こっち」と手招きするから、思わず引きつった笑顔を返してしまった。

 いやいや、ないわ、アカリお前。

 朱里に気付いていない(フリだけど)俺からすれば、口調変わって一人で喋ってる奴だぞ。

 そんな奴の手招きに「はーい」って行くと思うの?


「……いや、お前何言ってんの」

「でかい独り言じゃ、気にするな」

「無理だわ。つーかなんなん、その喋り方」


 なんて雑な誤魔化しだ。

 いや、誤魔化す気もないのか?


「あー、分かった分かった。話しちゃるからはよ進め」


 アカリは至極面倒そうに言うと腕を組んで林道の先を顎で促した。

 すかさず朱里が首を振る。


「蒼介、ダメやけんね。戻ろ」


 俺だって行きたくないよ。

 こんな場所で、本性(なのかは分からんが)出されて、もうアレじゃん。俺ここで殺されるじゃん。


 今、この場を逃げることは可能か?

 逃げられたとして、再び機会はくるのか?


 俺が得られた朱里の情報は何もない。

 分かったことは、アカリは朱里を認識していた。喋り方がなんか違う。これだけだぞ?

 肝心の朱里についての情報は何もないんだ。


 考えろ、どうすればいい。

 何を言えば朱里の話にできるんだ。――逃げたい。何を言えばお喋りに付き合ってくれる。――死ぬとか普通に無理。どうすれば、――どうすれば。


 元々、逃げる考えはなかった。だけど想像もしてなかったアカリの振る舞いに弱音が思考の邪魔をする。


「ほら、蒼介」


 地面を睨んでいた俺の視界にスニーカーが映る。ハッと顔をあげた次の瞬間、手首を掴まれた。

 ミシ……、何かが軋む音がする。それが自分の中から聞こえたものだと理解したのは手の平が膨張しているような感覚がしてからだった。


 頭のてっぺんから足の爪先まで恐怖が走る。

 動揺からか、俺の口から出た声は不自然なほどでかかった。


「折れる折れる! そんな強く掴む必要あるかね!?」

「おお、すまんすまん。どうも加減がなぁ」

「行きゃあいいんだろ、離せ! 五年会わんうちに握力ゴリラになったな!」

「嘘やん! あたし握力チワワやって!」

「素直にそうすればいいものを。全く手のかかる小僧よ」


 芽生えた恐怖や不安はどうやっても消せそうにない。逃げたい気持ちは強くなった。

 だけど分かってしまった、これは逃げられない、と。

 諦めというよりは受け入れた感じだろうか、おかげで俺の思考は定まった。

 とにかくどんな些細なことも頭に刻むんだ。


 今回はこれまでと違う。俺と朱里は最初から話せて、俺には記憶がある。

 そして朱里ではないアカリだと認識したうえで、接触している。

 この機会を、絶対無駄にしない。


 この先、俺を待ち受けているものが何か。

 事情とか分からんけど殺される可能性が高い。と思う。

 から考えて、今回は今日がその日だったということだろう。

 しかしそれがすぐに実行されるかは俺次第なんじゃないか? まだチャンスはあるはずだ。

 何か、もっと朱里について。何故コイツが朱里の姿になっているのか、何か、何か――



 思案数秒。それは突然だった。


「ほら、離してやるから先を歩け」

「蒼介!」


 朱里の声が一瞬で遠くなった。

 地面にあったはずの足が浮いて、掴まれていた手首は解放される。

 そして背中に強い衝撃を受けた。

 は……?


「……いっ、て……」

「蒼介!」


 なんだ、何が起きた。

 何もかもが一瞬だった。まるで強風に押されているような速度で吹っ飛んだ。

 アカリが手を離した瞬間、俺は放り投げられたのか……? いやいや、俺人間ですよ、砲丸投げじゃあるまいし。


 木に叩きつけられたのだと気付いたのは体がずるり地面に落ちてから。「がはっ……」背中への強い衝撃のせいか、呼吸は咽たものしか出てこない。


 どういうことよ、何でこんな、二人と距離ができてんの。

 まるで瞬間移動だ。だけどこんな痛みがあるんなら二度とごめんだわ、こんな移動方法。


 全身で荒れた呼吸を繰り返す。

 駆け寄ってくる朱里がぼんやりと、見えた。




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