第17話:アカリと朱里


「久しぶりやね、蒼介!」

「え、あ……ひさし、ぶり」


 顎をあげて俺を見上げる小さな顔。ふわりと前髪が流れて、色素の薄い瞳に俺が見えた。

 挨拶を返したのは条件反射で、頭の中は混乱していた。


 さっきまで確かにあった違和感、思考。なのに今俺の中には全く正反対の想いが込み上げている。

 ここにいるのは――朱里だ、と。


「具合悪いん? うわ、ちょ。汗やばいやん。水分取っとる?」

「……や、大丈夫。お前どっか行くとこ?」

「あー、うん。ご飯」


 長浦さんに見えていて、俺を心配し腕にそっと触れて、食事をするというアカリ。

 俺にしか見えなくて。ご飯も食べんし眠らんでもいい。触ることもできない、朱里。

 もしかして。夢、だったのだろうか。

 だって現実的に考えて、こっちの方がやないか……。


 ――いや、違う。違うだろ、俺。

 さっき……今! 見ただろ!

 頭に広がる映像は怯えていた彼、そしてその彼を見るコイツの目だ。


 色がないと表現すればいいのか。

 あの時俺は底のない無を見た気がした。深淵、こんな色素の薄い瞳にそんなもん感じるなんて。

 朱里はあんな目つきを人に向けたりしない。ましてや相手は小さな子供。


 そうだ、俺の感じたことを気のせいにするな。

 コイツがどんなに朱里そのものでも、さっきの違和感は間違いなく俺の中にあっただろ。

 忘れるな。流されるな。

 冷静に目の前を見るんや。事象だけを見ろ。


「蒼介も一緒に行こ」

「……」


 背を伸ばして呼吸をゆっくり繰り返す。

 これは、ついていくべき、か。

 コイツの正体を探れる、そんな機会を逃すわけにはいかないよな。

 膝が小刻みに揺れているのに気付いたのは「おう」と頷いた時だった。くそ、情けねぇ。


 くるり。踵を返し歩き出したアカリに続いて踏み出した足は、まるで引っ張られてるみたいだった。

 なんだ、この感覚……。

 足は俺の意思で動いている。だって今一歩、止まれた。

 だけど、何だ、何かおかしい。

 まだここを離れるわけにはいかないと思っているのに。朱里を置いていく気はないのに。そうハッキリ思う気持ちがすぐにぼんやりとしたものになる。

 歩く。この背中についていく。それだけが強く在って、それ以外は流れていくような――



「蒼介!」


 後ろから朱里の声が響いた途端、蝉の声が脳を揺らして眉間に力が入る。

 次いで戸惑った。それは二つある。

 いつの間に駅のロータリーから出たんだ、ということが一つ目。

 そして、


「何でコイツおんの!? どういうこと!?」


 今、俺の足は止まっている。だけどそれは朱里の声に反応してだっただろうか。前を歩くコイツが止まったから、ではなかったか? という疑問だ。


 ダメだ、明確じゃない。でもアカリが足を止めたことは、間違いない。

 もしかしてコイツ、朱里の声が聞こえている?


「蒼介、離れて!」


 振り返らずにそんなことを考えている間に、俺とアカリの間に朱里が立っていた。

 止めようとしているのか、朱里は俺の腕を掴もうとする。だけどそれは何にも触れることなく、空を切るだけだった。

 朱里の必死の静止は俺に届かない。胸が苦しくなった。でもそれと同時に、やっぱり俺の知る朱里はこっちだ、と思った。


 さっきアカリに触れられた時、俺の感情に動きはなかったのに。触れられない朱里の方がよっぽど体温を感じて――。

 髪をかきあげる。

 その体勢のままアカリの反応を待った。


「……蒼介、ちょっと歩くけどいい?」


 考える時間はない。だけど考えろ。


 アカリは背中を向けたままだ。何故振り返らないのか、朱里がいるせいかと思うが断言はできない。

 アカリは朱里に気付いていないをしているのだろうか。

 足を止めた以外の反応がないから判断できない。


 俺もそれに倣うべきか。

 朱里に対して俺が無反応であれば、コイツは構わず進む?


 では、もし俺が朱里へ何らかの反応をしたら、コイツはどう動く。

 ……俺を殺す、のだろうか。


 ふざけろ、まだ何も分かってない。

 これじゃ前回と大して変わらんことになる。


「あぁ。いいよ」

「なんで!? 蒼介、行ったらいかんって!」


 朱里の声は無視だ。

 口元に指を一本添えて「シッ」とでも伝えれば、朱里に何らかの意思表示ができるかもしれない。

 だけどこんだけ騒いでいる朱里が急に黙ったりすればアカリがどう思うか分からない。


 ごめん、朱里。本当にごめん。心の中で詫びて俺はアカリの背中に「どうした、行かないのか」と投げてみた。

 アカリはやっぱり振り返らず、「行くよー」と軽い口調で返してきて。

 俺らは再び歩き出した。


「蒼介、背ぇ伸びたね」

「! あぁ、まぁ。もうちょいほしいけど」

「贅沢もんやなぁ」


 びっくりした。コイツは朱里の姿だけじゃなく記憶も朱里と同じなのか?

 それとも俺の情報を持っているだけ?

 昔話でもするか? 朱里なら知っていて当然の話でもして様子を見る?

 間を空けるのは勿体ない気がしてどうすべきか頭をフル回転させる。考えろ、考えろ。


 しかし、そんな俺を他所に口をフル回転させる者が一人。


「おいあたし! 蒼介に何かしたら許さんけんな!」

「……」

「聞こえてないんか、あたしのくせに!」

「……」

「あたしやったらあたしのこと見えとけちゃ!」


 あぶねぇ、ツッコミかけた。あたしのくせにってなんだよ、と言いそうになった。


「つかコレ、この服! あたしのやんか! ちょっと大人っぽすぎて似合わんなって一回しか着とらんのに! なん勝手に着とーと!?」

「……」

「え、てかなんでそんな着こなしとうの? え、あたしもイケるってこと? 客観的に見らんと分からんこともあるんやなぁ……」


 しみじみ。じゃねぇのよ。

 こっちは必死で聞こえないフリしてんだぞ、頼むからおとなしくしててくんない。

 アカリが振り返らないからどうにか保ってられるけど、俺の肩ぷるっぷるしてっからね。


 だけどさっきの、気が付いたらこんなとこまで来てました状態にはなっていない。

 ギャーギャーやってる朱里のおかげかもしれないな。目の前に自分がいるというのにコイツはあまりにもいつも通りだから冷静でいられる。


 そう冷静に。ちゃんと周りを見れて、これおかしいなって思えてる。


「……アカリ、どこ行くつもりなん」

「うちに行くつもりー」

「いや、こっちにお前んちないよ」


 だってここ、森だもの。

 朱里の家は方向が違うし、この森を抜けるというならかなりの遠回りだ。

 いや、寄り道ならありえるよ。ここで俺らはよく遊んでたし、朱里は今でも来ているらしいし。

 ありえるよ。だけどそれは朱里であればの話。

 コイツはアカリだ。こんな場所にのほほんとついていくのは、危険すぎる。















――――――――


 どこで切ればいいか悩み過ぎてめっちゃ時間かかった、、

 お読みいただきありがとうございます。

 楽しんでいただけてれば嬉しいです!


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