第5話:喫茶店とお守り


「そろそろ風呂入ろっかな」

「あ、そっか。仕事」

「ごめんな、夜一人にしちゃうけど。まぁ今日は疲れとるやろしゆっくりしとき~」


 理央さんは昼と夜、掛け持ちで仕事をしている。

 俺が来るので休みを取ったと聞いていたけど昼の仕事だけだったのか。

 丁度いい、なんてのは語弊がありそうだが、正直助かった。

 朱里と話をしようにも理央さんがいると難しいからな。


「あ、そうや。玄関入ってすぐんとこ空き部屋やから使って~。布団しかないけど」

「えっ、そんな。あの、俺ここら辺に雑魚寝させてもらえたら、って」

「いやいや、俺帰ってくるん夜中やから」

「でも」

「ここで蒼寝てたら気ぃ使っちゃうもん。仕事の後はちょっとダラダラしたいけんさ、ごめんけど部屋使ってくれん?」


 俺への気遣いだと分かる言い回し。それに対し遠慮を続けるのはただの我儘だ。「ありがとうございます」と頭を下げる。


「晩御飯どうする? 外行く? アレならなんか作ろか」

「そんなそんな。適当にやります。ついでにちょっとぶらつこうかな」

「九時には帰ってきなさいね」

「オカン」

「そらそうよ、こっちにおる間は俺が保護者」

「ハイ……」

「完全に羽伸ばせると思ったら大間違いやからな。俺の顔の広さナメるなよ~」

「分かってますよー、怖いー」


 立ち上がった理央さんは「お利口さん」と、俺の頭をわしゃわしゃ撫でてリビングを後にした。

 少ししてシャワーの音が聞こえてくる。

 両手を後ろにつき足を伸ばした。


 疲れた。実に。

 拘束されていた手足が自由になった気分だ。そこかしこに入っていた力が抜けていく。


 まあこの場合、拘束していたのは俺自身なのだけど。別に朱里の存在など気にせず、理央さんとのお喋りをきゃっきゃ楽しめば良かったのだから。

 だがそんなんは無理だろう?

 そうできるほど俺は現状を理解していないし把握していないしまだまだ不慣れなのだ。

 そして夢である可能性も捨てていない。


「朱里」

「はあい」

「まじで理央さんに見えてないじゃん。何でよ」

「そんなのこっちが聞きたいよね」


 さりとて、俺には見えている朱里から逃避するのは無謀が過ぎる。だって見えているんだもの。

 もし見えているのが見知らぬ他人であっても、気にせず過ごせるようになるには時間が要るだろう。だって見えて(以下略)。


「なぁ……。いつから、なってんの」

「覚えてない」

「貴様」

「怒らんといてー! だってほんと、なーんかそこら辺がふわっふわしとるんよ」

「じゃあ最後の記憶は? ふわふわしてないやつ」

「うーん……、パンケーキよりホットケーキが好きって熱弁してた。キキョーで」

「お前それ、ふわふわにつられて思い出したろ」

「否定はできぬ」


 キキョーとは喫茶店だ。喫茶・桔梗ききょう

 小学校からの帰り道にあるその店は遠目から見るとほんのり薄暗い印象で、少し近寄りがたかった。

 大きくはない出窓を覗く勇気はなくて、店内の様子を知ることもできなかったな。

 時折コーヒーの香りが漂ってきて、なんて大人な空間なんだろうと、妙にドキドキしてさ。

 子供だけでは入れない雰囲気。いつか行きたい、と憧れの店だった。


 朱里も「大人の人しか入れんね」とよく言っていたが、そうか、もう行ったことがあるんだな。

 ……誰と、だろう。

 まさか、デート?


「蒼介、お守りまだ持っとってくれたんやね」


 どこぞの犯人のようなシルエットと朱里が寄り添う姿が脳内に広がって反応が遅れた。「まあ、うん」と頷いて犯人を頭から消す。


 さて、朱里の目線の先は俺の旅行バッグ。引っ越しの前日に貰ったお守りに注がれていた。

 明らかに手作りのそれは青色の生地に紺の紐が結ばれている。確か二重叶結びだっけ。母さんが教えてくれた、縁起のいい結びよ、と。


 キモいと思われたら嫌だし恥ずかしいしで本人には絶対、ぜぇえええったい、言わないが。

 この五年間、通学鞄につけて持ち歩いていた。中学、高校と常に一緒にいたよ。

 旅行バッグに付け替えたのは無意識だ。スマホの充電器を入れることの方が意識的だったと思う。


「これにはあたしの血と汗が滲んどるんよ」

「細かい作業ダメだもんな、朱里」

「ばあちゃんに教わりながらやりよったんやけど、まーいっぱい失敗してさぁ、指が血だらけなりながら縫ったな~」

「お、おん」


 まさかのマジな血と汗だった。


「あたしもいっつも持ち歩きよる!」

「朱里のもあるのか」

「うん、ばあちゃんがくれた。めっちゃ可愛いんよぉぉ。見る~?」


 返事はしなくとも朱里は見せる気満々だ。

 オーバーサイズのシャツで分からないがショートパンツにポケットがあるのだろう。朱里がごそごそし始めると同時、リビングの扉がコンコンとノックされた。


「え、あ、はいっ」

「入ってもへーき?」

「は、はい、だいじょぶです」

「もしかして電話しとった? ごめんな、邪魔しちゃった?」

「でん……、あっハイしてました! でも全然、全然もうあの、ハイ、大丈夫です」


 扉が開くと微かに熱気が流れてくる。いい香りがふわんとした。シャンプーだろうか。

 そういや理央さんは昔からいい匂いさせてたな、と思った瞬間、俺は理央さんの姿にぎょっとした。


「ちょ、り、りおさ」

「へ?」


 ちょっと待て。理央さん……、下半身にタオルを巻いただけなんだが! いやだ意外と筋肉質!


「あー、ごめんごめん。着替え持ってくの忘れちゃって」

「そ、そうでした、か」

「いやん。あんま見らんといて~」

「乳を隠すな。興味ないっス」

「あそ」


 びっくりはしたが当然ながら俺は全然平気だ。だがここにいるのは俺だけじゃない。

 実は理央さん、朱里がいるんですよ。一応年頃の女の子です。


 特別、朱里をピュアッピュアだと思っているわけではないが、これはちょっと刺激が強いのでは、とソファをちらり見る。

 が、朱里はいつの間にか立っていて、やがて部屋の中をうろつき出した。













――――――――


 お読みいただきありがとうございます。

 一週間ぶりの更新になってしまいました、すみません。


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