第1話:再会は突然に


 ***



『じゃあ毎年二百本ずつ、針用意しとくけん』


 背を向けていた朱里は目元を拭うような仕草をすると、くるり振り返ってそう悪戯っぽく笑った。

 指を切ってないのにその罰は有効なのか。頭の片隅に浮かんだ言葉は口に出来ず。

 あの時俺は多分、朱里に見惚れていた。



 そんな記憶がよみがえるのは今日が八月十七日、五年前交わした約束を果たしにかつての地元へ向かう特別な日だからだろう。

 だけど始まりは同じだ。俺のために鳥たちが歌うことはないし、季節外れの桜が舞うこともない。


「ほんとに整った顔してるわぁ」


 朝の情報番組をBGMに母さんと朝食。話題は最近公開されたばかりの邦画(異世界転移が舞台)に出ている俳優だ。


「あっ。蒼介もかっこいいよ?」

「……なに。「あっ」て」

「ちょっと気だるげな目とか、クセっ毛とか。お母さんの好み」

「それは(お気遣い)ドーモ」


 いつもと同じ朝。だけど今日はリビングを包む朝の光がいつもよりキラキラしてる。

 でもそんなのは気のせいで。

 俺の浮かれた気分がそう見せているだけだ。



 *



 午前十時、クラスメイトの高宮凛がきた。


 毛先が巻かれたポニーテールを揺らし、微笑む目元と口元はほんのり色づいていて。

 肩のとこがぱふっとした白いワンピースは胸元が少々アレで目のやり場が困る。なるべく下を見ないようにすれば高宮の顔を凝視してしまって目を逸らされた。


「あの、ちょっと聞いたんだけど。会いたい人がいる、んだよね」

「ん? あー、うん」

「……何年も会ってないんでしょ? 楽しみだね」

「まあね、うん。楽しみ」

「その人も今頃きっとドキドキしてる、よね」


 ピタと首が固まる。

 何故かすんなりと頷けなかった。


 朱里がドキドキしている? そのことに引っかかるものがあった。

 アイツの性格とか、そういうことじゃない。昨夜送ったメッセージの返信がないのも関係ない。

 再会への緊張や不安とかがあるでもなくて。

 ただ、何か。モヤっとしたものが過る。……なんだ?


「……あ、っとごめん。そろそろ」

「あっ、うん」

「本当ありがとう。助かったよ」

「いえいえっ」


 緩くカーブさせた前髪を指でふわりと撫でて視線を落とす。その姿に既視感が走った。前にもこんな高宮を見たような。……どこでだっけ。

 無言になった彼女を見下ろせば『ていうか、ただの――』、ふっと声がした。

 それは高宮の声のように思ったけど、でも目の前にいる彼女の口は開いていない。


「……ていうか、ただの口実だし」


 眉間にシワが小さく生まれる。だってなんだ、今の感覚。

 高宮が言う前に何で俺は分かった?

 というか確かにハッキリと声がして、もっと言うなら思い出した感じだっ、た……?


 いや、いやいや。おかしいだろ、言われてもないのに思い出すってなんだよ。



 ***



 午後五時半。ようやく到着した。

 友人らが見送ってくれた印象的な記憶の場所に時を経て立ち、昔と変わらない風景、駅舎を見回す。

 離れて五年。一度もこの土地を訪れていない。

 

 なのに、


「久々、か……?」


 何の感情も広がらない。端的に言えば懐かしくないというか。

 昨日まで俺はワクワクソワソワ、そりゃあもう吐きそうなくらい興奮してたっつーのに。


 新幹線、乗り換えの電車。ここに辿り着くまで、様々な景色を見た。懐かしい制服姿を見かけることもあった。聞こえる言葉は方言だらけだった。

 だけど今と同じで、特に感情の起伏などなくて。

 それでも、この地に戻ってくれば。そう思っていたのに。


「あっつ……」


 帰ってきた。五年ぶりだ。


 ベンチと公衆電話、自販機二台。土地を持て余しているのか無駄に広いロータリー。間違いなくここはかつての最寄り駅。

 高い空、無人の静寂。結構な距離なのにこの先すぐと嘘つきな古びたうどん屋の看板。

 うん、全て懐かしい記憶と一致する光景。


 五年ぶりなんだ。なのにやっぱり俺は――あ、駄目だ。なんか悲しくなってきた。


「俺、冷たい人間やったんかな」

「なん言いよんやか。クールぶってるだけやろ」

「……」


 言葉にしたら割とガチめに悲しくなるも一瞬だけだった。

 無人だった真横から声が。俺の情けない独り言へのツッコミが聞こえたから。


 右側、視界の端に栗色の髪が映る。

 その声が誰かなんて見なくても分かるけどぐいんと首はそちらへ動く。

 黒のショートパンツに真っ白なオーバーサイズのシャツを着た女の子が一人、立っていた。

 それはやっぱり、


「朱里!」


 だった。


 え、どこから出てきた? いつ?

 率直な疑問は言葉にならない。心臓が跳ねてそれどころではない。


 朱里だ、朱里がいる。

 あ、髪伸びてる。ショート以外せんって言ってたのに。身長、縮んだ? あ、俺が伸びたのか。

 小ぶりな鼻も色素の薄い瞳の色も狸みたいな丸い目も、変わってない。だけど顎がシャープに、ふっくらしてた頬もすっきりしている。

 おお……、やばい。朱里がなんかちょっと、大人だ。


「な、んだよお前。どっから出てきた」

「えっ! うそ、蒼介……」


 数秒空いた間の後、出た声はちょっと上擦ってしまった。

 本来なら再会は明日の予定で。だからこんな突然に再会が訪れたら嬉しいよりも驚きがでかい。

 ……しかしだ。声をかけてきた朱里の方が驚いているのはどういうことか。


「何でそっちがびっくりしてんの」

「だって! 蒼介、私のこと分かるん?」

「分かるわ。俺の記憶力馬鹿にしすぎじゃない?」

「そうじゃなくって!」


 両手で顔を覆い「う~~~~」と唸り声をあげた朱里はその状態で左右に上半身を揺らしたり足踏みをする。

 ぎょっとしつつも「どうしたどうした」と声をかければピタリと動きが止まった。

 バッと両手を退けた朱里は満面の笑みを向けるから、思わず俺の表情筋もつられ――


「良かった! 見えるんや!?」

「はい?」


 なかった。朱里とは対照的に俺は固まった。




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