第3章:機甲の拳

シリア

ダルアー県

バレガ市


 敵が居る、と睨まれた市街だった。バレガ市はこの地域では物流の拠点だった歴史も有り都市として栄えているし、シリア政府軍の戦線整理に伴う後退により大規模な戦闘は生起していなかった。文民に言わせれば敵も居るかも知れない、程度の地域だが捜索第12連隊はこの市街地に於ける敵情の解明及び掃討を体よく命じられている。


「無茶な」


 フィルターの根本まで燃えた吸い殻を投げ捨てながら川上はそう言った。正体不明の敵を偵察し、撃破する市街地戦闘が1日2日で済めば苦労しない。敵の所属と規模によるが、市街戦は常に損耗を伴うし捜索連隊は損耗に耐えて泥沼の戦闘をする様な大所帯では無かった。それでもやれと言われるなら、やらねばならない。


「実際敵の規模次第だよな。ここにそんな大勢居るとも思えんが」


 住吉少尉は緊張感と安堵感が入り混じった面持ちでそう言った。実際、事前情報によるとシリア政府軍は存在しない地域であった。偶発的な軍事衝突を避ける為か単に面倒なのか、シリア政府軍は各国軍に自軍の位置を通告する事がしばしば有る。もっとも、シリア政府軍が居ない地域をロシア軍が補完していたりするので良い兆候とは限らないのだが。とは言えシリア駐留ロシア軍は他国軍を威圧する為、或いは無駄なトラブルを避ける為に存在を誇示する特長が有る。見る限り居ないという事は、恐らく実際に居ないと判断している。


「こんな時の為の自由シリア軍じゃないんですか?」


「前の戦闘でがっつり損耗してまだ補充が効かないらしいぞ。突撃一番」


 軍官給の避妊具である突撃一番は今、自由シリア軍の様な反政府シリア人武装勢力を指す用語となっていた。彼等は時に敵火点を割り出す為に敵正面に突撃させられるので、単純にそう呼ばれている。帝国陸軍も損耗を局限でき、敵位置も正確に叩けるのだが数少ない問題は反政府シリア人武装勢力が有限である点でこればかりは帝国陸軍には解決出来ない問題だった。その点を理解しているのか単なる嫌がらせなのか、先日には彼らが訓練していたシリア人武装勢力の一派がロシア軍機による爆撃で文字通り蒸発している。レーションを冷たいまま食しながら、静寂とも言える時間を青空の下で過ごしていた。


「クローン人間とか無限に製造して戦争させれば良いのに」


「お前みたいなバカが軍隊にも就職出来なくなったら人生どうすんだよ」


 SF映画ファンの上等兵に川上は優しい言葉を掛けてやった。ともあれ市街地まで1000m程の高台に陣取り待機していて、攻撃前進の合図を待っていた。斥候班は時折稜線から市街地を監視しており、民間人や車輛の往来を報告して来ている。装甲車輛は確認出来ておらず、市街地では日常が送られている様子だ。内戦下でも市民は日常生活を送るしか無いし、そこに帝国陸軍への遠慮など存在し得ない。


「3小隊は損耗が有るから後方警戒だとよ」


「なんだあいつら、使えねーくせに」


 兵卒の雑談を止める下士官は居なかった。捜索連隊1中隊の中で3小隊は不名誉な部隊と見做されている。他方、2中隊は他中隊でありながら高い評価を得ている。配属先は選べないが、人は部隊に染まるものだ。


「2中隊、西側から突入するらしいぞ。久し振りのガチ市街戦だな」


 最後に市街戦訓練をしたのはいつだったか、前進時の警戒方向はどうだったか、等記憶を互いに掘り出しながら将兵は合図を待っていた。時が来れば、攻撃準備射撃が始まる筈だ。この待ち時間は単に砲兵の遅れ待ちに他ならない。


「あ?」


 とぼけた声色で煙草を咥えた上等兵が血相を変え咄嗟に身を屈める。切り裂く様な短い飛翔音で飛び去る物体は本体中央から斜めに炎を吹いて飛んで行く。対戦車誘導弾に違いないと判断した川上は咄嗟に周りの兵士に車輛から離れる様に指示しようとし、言われずともそうしている様子に安心を覚えた。驚きで呼吸すら忘れそうな操縦手がニュートラルのままアクセルを踏み込み、適正回転数から逸脱した高回転で唸る。左側面の排気管から白煙を吹き出した74式戦車は悲鳴にも似た排気音を挙げた。


「ATM、車長オーバーライド!」


 撃たれたまま後退する事が単に性に合わない南山は操作桿を手に砲塔を高速旋回させ対戦車誘導弾の射撃位置を捉える。車長用眼鏡で誘導弾を再装填する敵を照準線に見据え、撃発スイッチを押し込んでやる。装填手が発射ガスと共に薬莢を吐き出した砲尾環に対榴を滑り込ませ、安全装置を解除し砲塔内の取っ手を掴む。砲塔内で砲弾を180度反転させる動作も新兵教育以来の慣れた動作だ。換気の為に開け放ったハッチから押し入る太陽光が照らすガスの靄の中で南山は装填完了を確認し再度ハッチから頭を出す。


「撃たれてるぞ、退がれ!」


「操縦手後退用意、後へ!」


 黒羽の声に手を振り了解の合図をしつつ操縦手に後退を命じた。稜線上での視察で射撃を受ける事は珍しくないが、敵が対戦車誘導弾を持っているのは厄介だ。後退2速で稜線の影に引っ込み、他中隊の動向を伺う。戦車小隊がいつでも殴り込みに行ける事は確認しなくても解っていた。後はトロ臭い歩兵の決心待ちだと南山は考えている。


「行けるのか? 歩兵!」


 自分に聞かれましても、と言う顔で困惑と嫌悪感を等しく表に出す一等兵に舌打ちし南山は砲塔内へ滑り込んだ。決定権の無い他部隊の兵卒に何かを訊いても仕方ないのは軍隊の常だが、とかく戦車乗員とは自分の意に沿う人間しかこの世に居ないと思う傾向が強い職種だ。ともあれ予定より前倒しで攻撃する事が決定され、南山率いる戦車小隊を先頭にWAPC中隊が雪崩れ込むべく前進順序が決定された。地ならしは戦闘工兵が行い、それはいかにもロケットと言う轟音を立て目に見える速さで頭上をふらふらと飛んでいた。


「地雷原処理ロケットですね、気が利いてる」


 単一の大型弾頭で地雷原を吹き飛ばす地雷原処理車はシリアの地でも地ならし要員として活躍していた。衝撃波が大気を押し飛ばし、漫画に描いた様なキノコ雲型の爆炎を挙げ目標の建物を文字通り破壊する様子に兵士達は高らかな歓声を挙げる。命懸けで突入させられる建物がこれで幾つか減ったのだ。


「前進用意、前へ!」


 この為に軍人になったんだと誰もが思うだろう、戦闘車輛の攻撃前進はそれ程勇壮なものだ。分隊長席から頭を覗かせながらWAPCの車長は敵の射撃が無い事を祈った。巻き上げる砂塵を纏った縦隊は、広大な車線に則り市街への突入を図る。


「砲塔1時500敵散兵対榴行進射、撃て!」


 射撃号令を受けた砲手は砲安定を有効化し、30㎞毎時での行進射に挑んだ。とは言え戦車砲からすれば目と鼻の先であるし、目標も建造物だ。74式戦車の教本では露出した対戦車砲や散兵に行進射を行えと記載されているが、舗装路上を走行しているし外す様な目標では無い。低速旋回で微調整し、敵が居る2階建ての住居へと対戦車榴弾を撃ち込んだ。


「良いねえ、戦車がたまには仕事してんじゃねえか! やっつけろ!」


 捜索連隊の装甲車中隊に居る歩兵には機甲科の偵察出身者と歩兵科出身の者が混在しているが、いずれも戦車乗員と相性の良い人間では無い。それでも市街戦に於いて戦車が最も重要な兵器である事に変わりは無い。ガラガラと崩れる建造物から敵が出て来る事は無く部隊は前進を継続している。戦車が道を拓く事は歴史が証明している通りで、対戦車榴弾が大気を切り裂き市街地へと突入して行った。


「サウス右側方を超越する、注意せよ」


「サウス了」


 74式戦車の右横をぶつける勢いで超越しWAPCの停車位置を選定する。重機関銃を撃ち込み安全化しながら左右の路肩に停車した。急制動だが揺られる事も無く、兵士達は済々と後部ハッチを開けて下車戦闘に移行する。外から差し込む日光に向け駆け出した彼等は据銃して周囲に警戒の目を向ける。


「前方接敵!」


 大声で報せながら89式小銃の切り替えレバーを270度回転させ路上を伺いに来た敵を撃つ。AKらしい小銃を放して崩れ落ちた敵に、根岸は3発撃ち込んで死亡している事を確認した。服装的には現地人武装勢力の様子で、何ら抵抗する事無く命を落としてしまったらしい。彼に続く意気で小銃を手に飛び出して来たおよそ訓練されているとは思えない襲撃者を難なく掃討し、幹線道路沿いの安全化を試みる。


「1小隊続け、2小隊右へ!」


「2小隊良し!」


 2個小隊で道路左右に展開し、訓練通りの警戒方向を各兵士が警戒する。もっとも捜索第12連隊は市街地戦闘訓練をほぼ行っておらず、漠然と歩道だったり壁沿いだったりを縦隊で歩く。特に戦車からの誤射を避ける為に、小隊単位以下への部隊の分割は原則禁止されているから見た目には電車ごっこである。


「人っ子ひとり居ませんね」


「そりゃ巻き添えで死にたくないだろうからな」


 紛争地帯の戦慣れした住民は建物から出ず窓際にも姿を見せない傾向が有った。中には射撃する戦車の真横を私有車で駆け抜ける猛者も居るのだが、多くの地元民はどこの陣営であれ兵士という生き物を信用しない。川上はいつでも射撃出来る様に親指を切り替えレバーに掛けながら周囲の兆候に気を配る。その瞬間、ドアを開け放って現地人らしい褐色の肌をした母親が息子を連れ飛び出して来た。


「前方接敵!」


「おい撃つな! 非武装だぞ、弾の無駄だ」


 走り去る民間人に射撃しようとする一等兵を止め、川上は銃口を上げさせた。彼の射撃が上手であれば、そんな制止をする機会も無かった筈だ。射撃しようとしたのも武装の有無を確認しての事では無く、味方以外の動く物は撃ちたいのが兵士の習性によるものだ。言われてみれば非武装でしたと切り替えレバーを安全位置に戻し小銃を下げる。その親子の行動が正解だったかは結果が証明するだろう。帝国陸軍の市街地戦闘教範に民間人の付随被害に関する記述は無く、戦闘行動の自制は各部隊指揮官の裁量に委ねられている。


「おい、こいつATMだぞ」


「地雷原処理車が吹き飛ばしたらしいな」


 TOWかと思われた対戦車誘導弾の発射機だが違っていた。9M133や9K115の様なロシア製品でも無い、ドイツ製の13㎝ PAW 2000であった。 Panzerabwehrwerferこと対戦車弾発射器と呼ばれるこの兵器名称は携行型の対戦車誘導弾を指しており、シリアに存在する勢力に運用が確認されたのは初のことである。操作員の原形はおよそ残っていないが、千切れた軍服……厳密に言えば中身ごと千切れた軍服を見ても答えは確かであった。


「小隊長、こいつら武装親衛隊です」


 さも一大事かの様に報せる伍長に黒羽は全く興味無さそうな視線を送る。行けと言われた土地で自分達を攻撃して来た敵を撃っているのだ、それが問題だと言うなら政治家が勝手に解決すれば良い。敵の人種が何であれ等しく価値が無いし、軍人の脳は外交問題を考える様に出来ていない。自分達だって満州国軍の国章を戦闘服に着用しているのだ。口元の砂埃を砂埃まみれの袖で拭いながら黒羽は訊ねる。


「総統の顔写真でも持ってたか?」


「不明、バラバラですので……」


 腕を拾い上げた伍長がそう言った。憶測で敵の所属を判断するのも良くないが、もう少し程度の良い死体でも見つかれば確証が取れるだろう。ともあれ武装親衛隊であるとすれば厄介な相手である。第二次世界大戦からこっち、思想的に強烈な隊員と単に母国で食い扶持の無い志願兵を組み合わせて運用していた武装親衛隊は国防軍が堂々と介入し難いドイツ国外での特別任務を遂行している国営テロリストだ。ユダヤ人狩りから敵性国内での反政府武装勢力の教育訓練、果ては単に戦闘部隊として地域紛争に介入するなど様々な任務を担っている……と言うのが陸軍省の見解だ。


「憶測で物を言うな」


「すみません」


 敵が何者だろうと仕事は変わらない、その上で面倒な報告は無い方が良い。黒羽は暗識した地図から小隊が確保すべき地域を思い出し前進目標を確定させる。見晴らしが良く射撃に適するとされた礼拝堂は戦車砲の射撃で既に半壊していた。頑丈な建造物は全てトーチカになるのが市街戦の常である。叩き込まれた対戦車榴弾は適切に効果を発揮し、そこに居るのが誰であれその居場所を破砕している。


「前進方向この方向、前へ」


「前へ」


 復唱する根岸を先頭に1小隊は前進を再開、89式小銃を肩の高さで構える彼は足音ひとつ立てず後続の兵士が着いて来れる速度で歩き始める。彼だけで歩くならもっと速かろうが、部隊として動く以上は仕方がない。車道に面した交差点に接近し根岸は一旦部隊を止める。堂々と交差点を横断するよりは危険性を下げる為、路地に侵入し交差点から50mほど離れた建物の裏手に進んだ。訓練でやった通り、では済ませずにお前とお前は左を警戒、お前とお前は右を警戒と口頭で警戒方向を割り振る。組み合わせも兵卒と軍曹で個人の能力に過剰な期待を抱かない様に務めており、誰もがその指示に疑問を抱かない。


「敵無し」


「前方敵無し」


 89式小銃の狭い照門を覗き込み街路を見張る、ただそれだけの事だが彼等を狙う敵が居ないとも限らない。根岸が頷き、小銃を携えたまま兵卒と共に小走りで道路を横断する。戦車が横行しても差し支えない広さの道路で、横断するには危険が有った。彼が幼さの残る顔を見上げ、何かを叫ぼうとした瞬間に銃声を浴びながら膝から崩れ落ちる。


「前方に敵!」


 川上は切り替えレバーを連射位置に下ろし指切りで2発3発と射撃し敵の制圧を試みる。敵の銃声は大音量で、それは大口径機関銃であると名乗っている。当たり所の良い敵弾は壁で弾かれるが、薄い壁や窓は遮蔽物として機能していない。川上の後ろに着く村上は震える内股気味の足をその勇気で動かし弾倉交換する川上の援護に身を乗り出した。機関銃射撃を制圧するのに89式小銃で充分か、そんな議論の余地は無い。根岸は即座に踵を返し倒れた兵卒を捕まえ片手で引き摺ったが、処置の必要は無かった様だ。


「カバー!」


 そう叫び据銃する瞬間、彼は最も深く人生と向き合う事が出来た。窓から覗く敵の機関銃がほんの少し斜めに見えた、つまり彼の方を向いていない。89式小銃の小さな照門で正確に覗くより先に切り替えレバーを単発まで回し中指で引き金を引く。全く反動を感じさせない89式小銃でさえ暴れる程度の肩着けで放った射撃はそのことごとくが外れたが、敵の機関銃手を引っ込める事には成功した。


「あの家だ、二階!」


「弾倉交換!」


 村上は槓桿が止まった事で薬室を確認し、訓練通り味方と入れ替わって弾倉交換する気で居た。7.62㎜機関銃弾で膝を撃ち抜かれ、丁度関節が消し飛ぶまで。防弾チョッキが奇跡的に上半身への被弾を食い止めているが、本人の意識は被弾の圧力による血液の急激な変動によりその瞬間に彼方へ飛んでしまった。


「村上負傷!」


 即座に渋谷が援護射撃を加え、川上が尿と血液の混合物による水溜まりから村上を引き摺り出す。渋谷の89式小銃は抽筒子の具合が悪いらしく薬莢をあちこちに吐き散らしたがそれでも確実に動作して89式普通弾を敵に浴びせており、その間に川上が汚物と血の一筆書きを残して村上を引き摺る。その真横で黒羽は携帯無線機のオニギリに叫んだ。


「サウス、サウス、目標を射撃で指示する!」


 川上は中隊本部より同行していた衛生兵に半ば奪われる形で村上を引き渡した。自らが班員にしてやれた事が止血帯の留め具を回し切ることだけであった不甲斐なさと衛生への信頼から、川上は再度小銃を執る。衛生兵は村上をWAPCに載せ後送したい様で、その旨を黒羽に具申していた。連隊本部の衛生小隊であれば救える可能性が有ると判断しての事だ。


「サウス了解、ナナゴーが射撃する!」


 74式戦車小隊の2車が前進し黒羽達の真横に勇み出る。渋谷と交替した黒羽は低い位置にブラテを巻き付け目印にした弾倉を装填し直す。89式小銃を浅い肩着けで構え、敵が居る建物に短連射で撃ち込み戦車に射撃目標を報せた。曳光弾を視認した車長はハッチから潜り砲塔をオーバーライドさせ、火力支援の切り札たる105㎜戦車砲を指向する。黒羽が小隊に呼び掛けると同時に戦車砲は十字を切り終わり対戦車榴弾を叩き込んだ。


「命中続いて撃て!」


 砲手によりダメ押しの次弾が放たれた直後、黒羽は壁から頭を覗かせ様子を伺う。敵の機関銃座は行方不明になっており、その光景は即断を生んだ。砂塵が晴れる前に道路を横断し根岸と合流を果たすべきだ。WAPCによる後送は許可され、衛生兵はその屈強さで村上を担いで行く。


「行くぞ!」


 黒羽はそう叫んで駆け出し、川上が手近な兵士を従え道路を横断した。家屋に退避していた根岸は全く無事で、そこには民間人が居ると言って出て来た。砂煙に包まれた建造物、敵の機関銃陣地であった家屋に迫り手信号で手榴弾を用意させる。兵士達が遅れず取り付いた事を確認し川上の合図で半開きのドアから手榴弾を投げ込んだ。


「手榴弾!」


 F1手榴弾を参考に生産された皇軍の手榴弾を投げ込んで扉を閉める。中で敵が騒ぐ声は聞こえなかった。爆発と共に扉が浮き上がり、川上は根岸がそれを引き開けると同時に突入した。埃と絨毯の綿毛が舞う中で89式小銃の照門越しに敵を捉え、撃たれる前に撃てる速度で小銃を指向する。その敵は小銃の被筒部を手に無防備な姿を見せていた。


「Bitte! Bitte!」


 ふらふらと出て来てドイツ語で何かを告げた敵に指切り短連射で89式普通弾を食らわせる。突入前から戦車砲の射撃と手榴弾で粗方の敵は死亡していた様で、川上達の仕事は無かった。彼が撃ち殺した最後の敵は武装親衛隊の袖章が縫われた戦闘服を着用していて、惨めにも首元を撃ち抜かれて即死していた。遠い異国の地で総統の為に命を落とした彼の眼は青く肌は蝋人形の様に白い。


「ドイツ人でしたね」


「面倒だな、何でこんな所に居るんだ」


 訊こうにも死んでます、と言いかけて川上は飲み込んだ。黒羽は階段から上に89式小銃を向けたが、戦車砲の射撃により壁の大部分が崩落している。登れる所まで階段を上って伺うと機関銃手だった兵士と弾薬手だった兵士が破裂して倒れていて、敵の生存者がこの建物に居ない事は明らかだった。総統の為に命を賭した集団の成れの果てがそこに有る。


「お前ら逆襲に備えろ、ボケっとすんな」


「了解」


 黒羽は水を飲む間もなくサウスに現在位置を報告し、中隊本部へ報告と他中隊の現状確認を行う。負傷者は速やかに死者となった事で良くも悪くも救護処置を行う必要は無くなった様だ。川上は無線を盗み聞きし村上の末路を知ったが、彼自身が驚く程に感情の揺らぎは無い。優秀な歩測要員であり、人として良い奴であった。恐らく駆け足で眞喜志を追いかけているだろう。小隊にとって目下の問題は敵の能力と意図であり、その現在位置である。


「ヒトマル現在位置、A道B道交点より西方100の位置。ニイマル現在位置送れ」


 城田は中隊長として掌握している敵情を黒羽に伝え、メモするでも無く黒羽はそれを記憶していく。これは幹部としての黒羽の強みであり、この記憶力で彼は部隊を指揮していると言っても過言では無い。川上は血で汚れた革手を脱いでポケットに押し込み、指通りのゴワつく官品の戦闘手袋に着け替える。


「この家、トイレどこっすかね?」


「その辺でしろよ」


 川上に指示された安藤は仕方なく食器棚の側面に小便を浴びせた。トイレだったと思われる個室は戦車砲の砲撃で崩れ落ちた天井の下敷きになっている。安藤の傍に居た川上はもう少し奥の部屋でしろと言おうとしたが、安藤の戦闘服から包皮に包まれた桃色の亀頭が露わになったところで諦めて目を背ける。蛇口からだらしなく、長々と放たれる小便を嗅ぎながらこの家の住人が外国人のトイレにされた我が家へ帰って来る事が有るのか、川上がその答えを知る事は無い。


「1小隊、前進再行だ。装具点検良いな?」


 兵士達は小銃や鉄帽、弾帯サスペンダーや防弾チョッキを手で触れ確認しそれぞれの班長へ報告する。そんな中で1人の兵士が目を輝かせながら敵の小銃を拾い上げていた。樹脂製の外装を採用して固定倍率の眼鏡を備えた近未来的なそれは89式小銃とは毛色が違う物だ。


「聞かれてるんだから答えろやボケ」


 装具点検報告をしない兵卒に渋谷が蹴りを入れ、下士官らしい圧の有る声で報告を促す。初の実戦に興奮していた様子で、蹴られて我に返り弾嚢や救急品袋を確認し脱落していない事を新隊員の様に確認した。言われる前からやれと言う価値すら無いと見放した態度を見せながら根岸は黒羽に報告する。


「異常無し」


「了解」


 ここで将校から兵卒を直接指導をする必要は無いだろう、黒羽は各軍曹と目を合わせた上で前進順序と経路を示す。当初の目標である建物は事実上存在しない為、1中隊左翼に位置する1小隊については2中隊の予定経路上である集合住宅が目下の目標となった。


「サウス、ヒトマルについてはサウス前方100の位置。誤射に注意」


「サウス了。前方100の交点まで前進する」


 74式戦車が前進している事を聴音で確認し、黒羽は前進再行を指示した。戦車の存在感は味方を勇気付ける。平素どれだけいがみ合おうと、89式小銃を携え歩く将兵にとって105㎜戦車砲と装甲ほど頼もしい物は無い。左右に横行する路地に根岸と川上が同時に背中合わせで半身を乗り出し据銃、後続が通れる様に道を開け前進方向に進む。小隊での電車ごっこで全ての建物を検索出来る訳では無い為、軍事的に価値が有りそうな目標を見積りそこを安全化するしか無い。自分が見えない範囲、味方の他部隊や敵や民間人がどうなっているかに興味は無かった。

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大東亜共栄圏西へ 江上 @sugimotosan

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