第21話 「 公務員試験に挫折した息子 」

皆さん、今日もお仕事、お疲れ様でした。

公認心理師/キャリアアドバイザーのA☆太郎です。

本日もこれから、ホームルーム「振り返りの会」を始めさせていただきます。


今回のご相談は MIさん(49歳・男性)です。

「私の息子は高校卒業後、就職浪人して公務員受験・専門学校に1年通いましたが、再び採用試験に失敗。家族で相談して、一般就職に切り替えました。ところが、その後の就職活動が難航して意外なくらい採用が決まりません。本人もだんだんやる気そのものを失ってきているようです。一体この先どうすれば良いのか?何か効果的なアドバイスがあれば、よろしくお願い致します」


そうですか。息子さんは、もともと公務員採用を目指しておられたのが上手くいかず、家族会議で進路を変更された。ところが民間企業への就職も思ったようには結果が出ず、モチベーションが下がっておられる状況、ということですね。親御さんとしては、さぞ、ご心配でしょうね。


この「脳内チェンジ!」シリーズでは、【日直】相談者からのお悩みに応えながら、それを日々乗り越える為のセルフトーク・チェンジについて、皆さんと考えていきたいと思います。今回のこの動画を見ていただくと、セルフトークはもちろん、皆さんが今までぼんやり考えていた「人生の選択肢との付き合い方」について、スッキリ、そしてガラリとイメージが変わって、明日からの職業人生が不思議と楽しくなってくると思います。

是非最後までお楽しみ下さい。


それでは早速参りましょうか。ご相談内容のポイントを

抽出・タイム!


【 息子が、公務員受験を失敗して“なんだな~” 】


はい。多少ざっくりとしているかも知れませんが、こんな感じでしょうか。


今回私が気になっているのは一つ。それは相談内容の当事者である、息子さんのイメージがほとんど湧いてこないこと。これは一体どういう事なんでしょう?

キャリアコンサルティング的にいうと、息子さんの転機は「家族会議」にあったのではないかと推察します。つまり、そこでこれまでの「公務員採用」という就職目標が変更され、そればかりか息子さんの中で人生設計の指針までが変わったと想像します。もちろんそれ自体が必ずしも悪い選択とは思いません。ただそれが息子さんにとってはどうだったのか、ということ。


それではお待たせしました。

脳内・チェンジ!


【 一人の人間の挫折を見守ろう 】


ここからはあくまでお伺いしたご相談内容を基にしての、私個人の見解となります。

皆さんにはまず、今回の相談の主人公は息子さんではなく、MIさんであることをご注意して頂きたいを思います。先ほどの私の疑問。息子さんのイメージが伝わってこないこと。それはおそらくMIさんの目に「一個人」としての息子さんが映っていないからだと思います。また、私はこれを、単純に「親離れ子離れ」の問題としては扱いたくないと考えます。というのも、家族問題の「よくあること」の範疇に、収めてしまいたくないと思うからです。

つまりこの問題は、実は息子さんの就職問題とは別に、MIさん個人の問題なのです。この視点が今回とても重要となります。

確かにMIさんにとって息子さんの就職問題は、「赤の他人」への関心事のレベルではないでしょう。ですが今回の相談内容には息子さんの実情ばかりではなく、息子さんが今後社会人としてどう働こうと思っているのか、の未来像も浮かんでこないのです。それが私が一番奇妙に感じることです。

皆さんはそれがどうしてだと思われますか?

それは多分、「公務員試験」が息子さんにとってと云うより、MIさんにとって「選択を留保する」選択であったからだと思います。言い換えると「とりあえず公務員なら安定しているから間違いないだろう」という選択。もちろんこれは私の一考察に因るものですが、もしこの「読み」が当たっているとするなら、息子さんが今、次の就職へのモチベーションが下がっておられるのも納得できます。いえ、正確には「戸惑って」おられるのだと思います。そしてその現状を、MIさんは見誤っておられる可能性すらあると私は推察するのですが、いかがでしょう?

「選択を留保する」だけの人生を歩んできた人間は、実はとてもリスキーです。それというのも、今からの時代は“自分で選べる人間”には楽しいが、そうではない人間にとってはやがて苦痛へと変わる運命にあるからです。もう既に「なんとなく楽に暮らす」という時代は、少なくとも職業選択においては終わっています。全ての職種は「サービス業」に括られ、時代は「ラク」から「楽しむ」へと変化しているのです。そうでないと、此の「情報・サービス過多」の世の中で、既に溢れかえった「ラク」の選択肢に、全員が溺れてしまいかねないからです。

繰り返しになりますが、これは他でもないMIさん個人の生き方の問題です。今回のご相談が興味深いのは、表面上は息子さんの就職問題のようでありながら、実際は50代目前のMIさんの、キャリア意識がその問題の核心と云うことになります。

さて、皆さんにとって「キャリア選び」とはどういうイメージでしょうか?昭和の時代でしたら間違いなく「良い高校、良い大学、良い会社勤め」が社会的にも常識でした。では、今はいかがでしょう?ここで皆さんの意見はかなり分かれると思います。

「言いたいことは分かるけど、それでもやっぱり安定した職場を選ぶのは、今でも常識的判断でしょう」そう仰る方も、そしてその意見に賛同される方も多いでしょう。ですが私は少し違った見方をしています。それは何か?というと「安定」という意識を、どう解像度高く捉えているか、ということです。

この辺で或る程度気づかれている人もおられると思いますが、30年前と今とでは「安定」の意味合いがかなり変わってしまいました。それにしたがって社会全体の動き方もだいぶ変化したと考えざるをえないでしょう。「家族」「夫婦」「子育て」、私たちの身近なテーマにおいて考えれば分かりやすいと思います。自分の世代と、一つ上の世代では、それこそ隔世の感がありませんか?それだけ、実は身近でも「安定」の意味合いは変容してしまったのです。

では現在における「安定」とは何なのでしょうか?

実は、それに今答えは存在しません。いえ、本当は以前から答えは存在しなかったのですが、社会の趨勢としては、ずっと「金・地位・名誉・便利・楽」が形を変え、名称を変えて謳われてきただけです。そしてそのことで私たちの心は救われてきた一面があります。ですが現況の大きな特徴は、もうそれすらも「疑わしい」と皆が思い始めていること。ところが、それに変わるものはまだ見い出していないという、非常に「宙ぶらりん」な状態と云うことになります。ですから先ほど申し上げたように、皆さんの意見は二分されて当然なのです。その証拠に、物質的な「セレブ志向」も根強い代わりに、一方でスピリチュアルな「個人主義」に流れる人もいる。或いはその融合型さえも。そしてそれらにすら便乗できない「ごく普通の」人たちの中で「選択を保留し続ける」選択が増えるのです。つまり「選択肢をたくさん掻き集めて、今は当面のことにしか手を出さない」という人たち。その手段として一番手っ取り早いのが、やはり「それなりの金」を稼ぎ、貯め込むことになるのです。

私は「お金」は大事な道具だと思います。もっと子どもの頃から使い方を学ばせるべきだと考えています。しかし注意したいのは、あくまで「道具としての」の扱い方です。ですが、先ほどの「選択を保留し続ける」人たちは、そのうち「お金」を目的として崇め始めます。何故なら、いずれどこかで「選択する」ことを始めないと、「お金集め」を目的にするしか、生きる意味がなくなってしまうからです。「お金さえ確保しておけば、いつかどうにかなるよ」と、呪文のように唱え続けながら…。

行動経済学でもよく知られているように、選択肢が多過ぎると、私たちは選択そのものを控えるか、保留しやすい傾向にあるようです。そう考えると、今の若者にとって自己選択は、もしかしたら「苦行」そのものなのかも知れません。そしてその結果も決して「約束された未来」とは限らないとしたら尚更でしょう。皆さんなら、そんな状況でも楽々と自分の「この先」を選んで、前へ進むことができますか?私なら「若い頃には自信がなかった」と言い切ることができます。それほど今の時代には、豊かな選択肢が、かえって意義ある選択を難しくさせている一面があるということ。

ただ、これは年齢には関係ないと思います。要は「選ぶ」訓練・修行を積むか、否かの問題でしょう。喩えれば「車の運転」です。今まで、親とか、誰か他の人の車に乗せてもらってた人が、改めて「自分」という車を運転しようとするならば、当然トレーニングは必要となるわけです。車の基本構造・仕組みも学ばなければなりません。ところが現在の社会では、自己選択・自己決定については、誰からも教えを乞うことはできません。この人生で、核心的なテーマにおいて、それぞれが「自己責任」と云う名の「徒手空拳」に頼らざるを得ないという状況なのです。これはこれで、国益にすら関わる問題ですよね。

話を少し戻しましょう。MIさんのキャリア意識について。今回のチェンジトークは【 一人の人間の挫折を見守ろう 】

にしましたが、この「一人の人間」とは、必ずしも息子さんを指すわけではありません。MIさんご自身でも構わない。いや、むしろMIさんこそ相応しい、と申し上げたら叱られるでしょうか(苦笑)。

思い返せば実に当然のことですが、人生は常に「山あり、谷あり」。私たちはまず、その真実を受け入れる潔さが必要なのではないでしょうか?それから先、何を、どう選択するかは、確かに個々人の“価値基準”の問題です。答えになるかどうかは分かりませんが、「安定」とは正しく、その“価値基準”の確かさのこと。著書『HAPPIER』で知られるタル・ベン・シャハーは、その“価値基準”を3つの要素=意義(meaning)、喜び(pleasure)、強み(strength)に分け「MPSプロセス」と名付けて紹介していますが、私はその個人的「特性」の確かさを高めるためには、折々の自己決定・自己選択をしながら、自らの判断を検証、学んでいくしかないと考えています。そして自分の中にやがて見い出される「安定」こそが、いわゆる「自信」と呼ばれるものだと思うのですが、皆さんはいかが思われますか?


まとめです。

今回のチェンジトークは、【 一人の人間の挫折を見守ろう 】

チェンジ・ポイントは

① 自分の問題と、他人(息子)のそれとを区別する「客観性」

② 自分の特性=“価値基準”を鮮明にする「意識性」

③ 自分の特性=「意義・喜び・強み」を活かして自己選択する「自律性」

④ 人生の紆余曲折を受け止め、一歩ずつ前に進んでいく「愛・勇気・楽しむ」方向性

以上、4点でした。


今回は、最後にこの言葉で締めくくりたいと思います。

『選ぶことを怖れる人間は、やがて選ばれもしなくなる』

お互いに、自分の価値観、つまり選択基準だけはしっかりと見据えていたいですよね。


このチャンネルでは「働く皆さん」のお悩み解決をサポートし、これからも幸福(ウェルビーイング)についてのより深い学びのヒントになる内容を発信していきますので、是非チャンネル登録をお願いします。

今回の動画が皆さんの心に響いたのなら嬉しいです。

それではまたこのチャンネルでお会いしましょう。皆さん、ごきげんよう。おやすみなさい。

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脳内チェンジ!【 今日の “ なんだかな~ ” 】 桂英太郎 @0348

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