下③

その日の夜だった。外が何やら騒がしい。柴影はゆっくりと立ち上がった。そして外を見た。見慣れぬ軍服と向けられた銃口。


「やはり来たか…。」


柴影は大きく深呼吸をした。わかっていたことだ。そして私にしか成し遂げられないことなのだ。そう、何度も頭の中で連呼した。

そして誰も起こさぬよう、そっと外へ出たのだった。両手を上げ、相手の目を鬼のように睨みながら。闇夜の向こうに黒光りするライフルが見えた。柴影は息を飲んだ。そしてゆっくりと息を吐いた。


「…我々に戦う意思は無い。」


野太い声で柴影は言った。しかし相手はアメリカ人、通じるはずもない。すると奥から、ある程度の日本語を話せる者が出てきた。


「では戦いの意思がないことを証明せよ。」


そう言われ柴影は、ゆっくりと膝をつき、軍服のボタンやベルトを外した。そして自ら腕かせを要求したのだ。


「…私はこの隊の隊長です。皆さんも知るように、日本人は集団行動が得意だ。反対に全体の流れに逆らうような行動は苦手である。それゆえ、その団体の長たるものは、その組織の中で絶対的な権力を持つ。その長たる私が、今皆さんの前に短刀の1本すら持たず出てきたのだ。これ以上の表し方がありましょうか?」


睨む銃口が軋む音がする。


「では、名前を伺おう。」


柴影は少し間を置き、嘲笑うように言った。


「敗残兵に名乗る名などありません。」


固い革手袋がギシギシと擦れる。銃を持つアメリカ兵の顔にも苛立ちが見えてきた。


「ではこの場に限り君をジャックと呼ぼう。ジャック、この拠点はアメリカ兵が守っていた。なのに何故、君たち日本兵がいるのかな?」


柴影はふっと鼻で笑った。


「そんなことを聞くために私を起こしたのですか?ここは戦地ですよ。奪うことが仕事のようなものです。」


「…そうだったな。では次に、君たちは何故すぐに投降した?兵士ならば兵士らしく最後まで抗わないのか?」


柴影はまたもふっと鼻で笑った。


「私達は兵士ではありません。」


「これだけの戦績を刻んだ君たちが兵士では無いとするならば、君たちは一体何なのだ。答えられるかい?」


「私達は人間です。」


「我らも人間だと思うが?」


「人を殺し、それに罪悪感も感じぬ者達を人間と呼べましょうか?」


「それは君も同じだろう。私たちの仲間を殺した。それにさ気ほど、君は自らこの戦地では奪うことが仕事だと言ったでは無いか。奪う者が基地だったのか命だったのかの違いでは無いのか?」


この言葉に、柴影大きくため息をついた。


「私は奪うことについてではなく、奪った後の話をしています。この戦場を見てみると、あちらこちらに日本兵の死体がころがっていますね。このような行為が、慈悲や罪悪感の持った人間と呼ばれる生物の行為と言えましょうか。私達、黄昏隊は命を奪ってしまった戦士の皆様をしっかりと弔うことを心情の1つとしております。皆さんのお仲間はあそこに眠っておりますよ。」


そう言って基地の横を指さした。その瞬間、アメリカ兵に動揺が走った。


「殺した兵士全てを弔ったのか?」


「…そもそも、私達は殺すのことを好みません。なので、殺す人数も最小限に控えるようにしています。今回は3人ほどでした。他の皆様は、恐らくこの島のどこかに隠れているでしょう。」


ますますアメリカ兵は動揺した。しかし柴影はなにも気にせず、堂々と口を開いた。


「皆さん、ひとつ質問よろしいでしょうか?」


「…なんだ。」


「日本兵のいる他の基地はどうなったのでしょうか?」


「それなら今しがた、私達が全て潰した。ここが最後の基地だよ。しかし驚いたことに、どの基地も絶望的な状況になってもなお、誰も投降しなかったのだ。やはり日本の精神力には見習うものがあるな。」


「そうですか。皆、勇ましく戦ったということですね。」


「あぁ、そうだとも。」


柴影は口を紡いだ。そしてゆっくりと視線を落とした。

しばらく沈黙が続いたあと、アメリカ兵が口を開いた。


「ではジャック、最後に聞こう。私達は君たちをどう扱うべきか悩んでいる。今すぐ殺しても良いのだが、どうも君たちにはまだ利用価値がありそうだ。どうだ?私達に協力しないか?そうすれば隊の安全は保証しよう。」


しばらく考えたあと、柴影は聞いた。


「協力とはどのようなことでしょうか?」


「簡単なことだ。これから先、日本軍に嘘の情報を伝え続けろ。もちろんその間は我々が安全を確保するし、役目が終わったなら即刻自由にする。どうだ?受けるかね?」


悪い条件ではなかった。しかし柴影はあることが気になっていて仕方なかった。


「ひとつ聞かせてください。アメリカの狙いはなんですか?」


「…戦争の終結だが?それがどうかしたかね?」


「それを本気で望んでいますか?」


「あぁ、もちろんだとも。いち人間として、また、いちアメリカ人として、早期戦争の終結を望んでいるとも。」


「そうですか。でも、その割に皆さんの目がやたらキラキラと輝いていることが気になりますね。まるで闇夜に混じって獲物を狙う猫のようだ。」


一斉に緊張感が走った。それと同時にアメリカ兵は強い困惑を感じていた。こんな状況の中でもこの日本人は我々を恐れず戯言を言い続ける。何か狙いがあるのか。そう気になって仕方なかった。しかしどこにも動きは無い。しかし警戒は解かなかった。


「何が言いたい?」


その問いに柴影は間髪をいれず答えた。


「あなた方は戦争を楽しんでいる。まるで狩りをするかのような感覚で戦争を起こしているのだ。そんな者たちの協力など、一体誰ができましょうか。」


「私達は本気で戦争の終結を望んでいる。これはアメリカのため、国際的な平和と秩序のため、そして日本の国民のためなのだ。」


彼はそう堂々という。ただ口先だけの言葉を並べた日本語に柴影は静かに怒りを表した。


「ならば、現在日本国内にばらまかれている爆弾の数々はどう説明しますか?あなた方の目論み通り、日本の国民に戦争を続ける動力などありはしない。ただ、馬鹿な上の奴らの戯言に踊らされているだけだ。それなのに戦争とは関係の無い一般市民が、今日もあなた方アメリカ兵により殺されている。これが戦争を止めるものたちの使命ですか?」


「必要な犠牲であると考えている。こうでもしなければ日本軍の上層部はゆらがない。」


柴影は声を荒げた。


「必要な犠牲?そんな言葉を覚える暇があったのなら、人々を救う方法を学んだらどうか!あなた方の言う必要な犠牲が何万人に及んでいると思う!あなた方は何も分かってはいない!意味のわからぬ戯言を抜かすな!」


柴影の言葉にアメリカ兵はより一層警戒を強めた。そして同時に、自尊心を傷つけられたかのような苛立ちを覚えたのだ。


「ではあるというのか?そんな方法が。」


「戦争の早期終息を願う優秀なアメリカ兵の方々が、そんなことをこの敗残兵、ジャックに聞くつもりですか?」


アメリカ兵は皆黙り込んでしまった。沈黙の後、鈍い爆発音による1発の銃弾が柴影の太ももを貫いた。しかし声はあげなかった。眉間に皺を寄せ、ただ目の前のアメリカ兵を順に睨みつけた。


「では交渉は決裂だ。これより作戦を開始する。敗残兵よ。さらばだ。」


アメリカ兵は柴影の眉間に銃を突きつけた。引き金を引こうとした瞬間、柴影は口を開いた。


「…私も日本生まれだ。それゆえ、この心は少なからずあったのですね。」


「何を言って……!」


気づいた時には既に遅かった。柴影は無理やり腕かせを外し、落ちていた木の枝でアメリカ兵の腹部を貫いたのだ。一瞬のうちに非常事態を察知し、隊長の許可無くアメリカ兵は皆一斉に柴影に向けて発砲した。暗闇に爆発音が響く。一通りの発砲を終え、柴影のいた場所を見た。しかしそこに彼の姿は無く、あるのは穴の空いた仲間の死体だけであった。


「奴を探せ!まだそう遠くへは行っていないはずだ!」


柴影を探す中、ある1人のアメリカ兵は叫んだ。


「隊長!あの隊全員の姿がありません!」


基地を捜索していた者が叫んだ。辺りを見渡したが人の居た形跡すら残っていなかったのだ。アメリカ兵は地に寝転ぶ彼らをしっかりと確認している。しかし彼らの姿はまるでカゲロウのようにそこから消えていた。

アメリカ兵の捜索は朝まで続いた。島の隅々まで徹底的に行われた。しかし彼らのいた痕跡すら見つけることは出来なかったのだ。冷たく土に汚れた仲間の死体が昨夜の出来事は夢ではないと語っている。アメリカ兵達はこれまでに感じたことの無い恐怖感を覚えた。


……………………………………………………


その頃、黄昏隊は海の上にいた。その中には太ももに包帯を巻く柴影の姿もあった。

なぜ逃げることが出来たのか。そう、彼らはアメリカ兵が攻めてくることを知っていたのだ。最初に気がついたのは柴影だった。情報を集めるうちに、アメリカの巨大戦艦があの島に近づいていることを知ったのだ。彼らは戦艦が来る前に行動を起こす。そう睨み、柴影は隊員全員にひとつの合言葉を決めた。これが聞こえたらすぐにその場をされ。痕跡も残すな。そして密かに島の裏に隠してある船で脱出しろと決めていたのだ。その合言葉は「敗残兵」。決して日本軍が使わない言葉を選んだ。これによりあのアメリカ兵との会話の最中のセリフに皆反応し、余裕を持って脱出することが出来たのだ。これは黄昏隊の対応力を使った作戦であった。

しかし今後の問題も多い。我々はこれからどうすれば良いのか。それが一番の課題であった。日本へ帰れば、戦争から逃げてきた臆病者として生きてゆくしかない。黄昏隊の隊員にとってそれは死を選びたくなるほどの恐ろしさだった。ガタガタと揺れる船で、彼らは真っ暗な道をどう進めば良いか必死に考えた。そんな中で、柴影は元気よく声を張り上げた。


「皆!本当におつかれだった。これで我々は晴れて自由の身である。これから日本へ向かおうと思うが、反対の者はいるか?」


はじめは誰もあげなかった。しかし少し時間がたった頃、あきらがゆっくりと手を挙げた。


「隊長、我々はこれからどうすれば良いのでしょう…。戦争から逃げてきた我々に行く場所などありません。」


その場の全員が黙り込んだ。当たり前だ。今この船に乗る我々は、日本国民からすればただの敗残兵である。拠点のひとつも守らず、すたこらと逃げてきた我々に居場所などあるはずもなかった。

しばらくの沈黙の後、柴影は重たい口を開いた。


「我らは今日を生きながらえた。血を被り、死体を踏みつけ、闇に呑まれながらも、死にものぐるいで地を駆け巡り、今日の生き場所を探した。そんな我らとって、明日はどこにいるのか、それ以前に明日は生きていられるのか、そんなことは眼中にも無く、また興味も無い。今、この場で息ができている。その事実だけで十分だった。」


「…誰かの言葉ですか?」


1人の隊員が聞く。柴影はゆっくりと口を開いた。


「…これはな、私の父の言葉だ。私の父も軍人でな、何度も死地をくぐり抜けた豪傑な人だった。だけどな、とても優しくて、そして誰より仲間を大切にする人だったんだ。この言葉はな、そんな父が私の幼い頃にいつも言っていた言葉だ。」


「…隊長、この言葉には、一体どんな意味があるのでしょうか?」


少し考えたあと、柴影はゆっくりと呟いた。


「ざっくり言うと、生きていれば丸儲けってことかな。生きてさえいれば、何度でもやり直せる。そういうことじゃないかな。」


「私達も…ですか?」


「あぁ、もちろん…。」


どこか元気の無い柴影の声に違和感を覚えた。1人の隊員が脈を計る。明らかに弱い。当然であった。太ももを撃ち抜かれ、その状態で何キロも走り、適切な処置もできなかったのだ。柴影は鼻で笑った。


「バレちゃったか…。」


何も声に出なかった。皆の目に涙が浮かぶ。柴影はそれでも笑っていた。


「皆、顔を上げなさい。もうすぐでお別れらしい。だから最後に伝えておこう。この先、生きていくことが辛くなることも多々あるだろう。しかし挫けては行けない。挫けそうな時はなんとしてでも立ち直りなさい。過去をふりかえってもいい、仲間に泣き喚いてもいい。生き続けることこそ、我々の役目である。わかったか?」


隊員は皆静かに頷いた。悲しい、辛い、嫌だ、そんな感情が連鎖した。しかし時は実に残酷であった。柴影は笑ったまま、ゆっくりと目を閉じた。大粒の涙がこぼれ落ちる。隣にいたあきらは冷たくなった柴影の手を強く握った。これが死だ。そう心から痛感した。


「隊長、我々は強く生きますよ。」


あきらの言葉に皆大きくうなづいた。何も言わぬ死体に彼らは思い思いの言葉を言った。思い出、感謝、冗談。しかし彼らの気持ちは悲しみのであった。だが、いつか前を向けるだろう。だから今は泣き続けよう。そう誓った。泣く彼らの涙に赤く染まる朝焼けが映る。東の空は美しかった。








































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西向く我らに生は無し 黒潮旗魚 @kurosiokajiki

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