狼と小鳥

ぼくが魔の森のなかに飛んでいこうとしないことに、ディーリアはほっとしたようだった。

そんな薄情だとおもわれていたのだろうか。

恋人になってからももう3年以上経つのに。

そういえば、付き合いはじめは小鳥への偏愛が高じた変態だとおもったっけ。

それでもディーリアが好きで、むしろフェニックスのおかげで愛してもらえて幸運だったとおもうようになった。

今はそれもいい思い出だ。


もう人の姿にもどれないとしても、決して忘れない。

ぼくは心の中でふふっと笑った。


フェニックスの生活は悪くない。

食事の苦労がないから、ただひらひら飛び回って、時折囀る。

ちょっとでも力を戻すために、魔の森の上を飛ぶことが多い。

夜になるとディーリアの腹毛で眠る。


気楽なものだった。



アリアはどうしているだろう。

ブライアン家族はきっとよくしてくれている。

けれど。


会いたい。


成長する姿をみたかった。

時折そんなさびしさにとらわれて、ぼくは大きな声で鳴く。

涙はこぼれない。

鳴き声はただの囀りでしかない。

なのに、そういう時、ディーリアはかならず黙って寄り添った。

ときに低く遠吠えのように声をそろえることもあった。


季節はもう秋だった。




その日、ディーリアは森に狩りに行ったきり、暗くなってもなかなか戻らなかった。

いつもの場所、寝心地のいい洞だ、でディーリアを待ちながら、ぼくはいつものように人の姿になりたいと念じた。

体のなかで泡立つような感覚はあるが、外に出る前に消えてしまう。

まだまだ、力が足りないようだ。


どうやら、変化した姿を維持するのはそう大変じゃなく、最初に変えるのが大変なようだ。

はじめにすぐ人間になれたのは、生まれ持った力が満タンだったからだ。

それでも、コルドラでありったけの羽をおとしたときに空っぽになったフェニックスの力はゆっくり戻ってきてはいる。

(フェニックスの寿命は100年。まだ90年残っている。きっと間に合う)

いつか、もう一度人の姿になって、アリアに会いに行くことができるはずだ。

(ディーリアも一緒に)

人狼は人より頑強で長寿だとディーリアはいっていた。


結局、その夜ディーリアは戻らなかった。



三日がたった。

ぼくは枝で眠ることにした。

ディーリアのいない洞は広すぎて落ち着かないのだ。


(だいじょうぶ。ディーリアより強い獣なんていない)


新しくできた街道からは離れている。

人間の兵士たちに狙われることもないはずだ。


(ここの生活に飽きて、どこかにいっただけだ)


ぼくは自分にそう言いきかせた。

捨てられたとおもうのは辛かったが、ディーリアになにかあって、もしかして死んだのかもしれないと考えるのはもっといやだった。

(もともとひとりではなれるつもりだったんだ)

ディーリアが狼になって追ってくるなんておもわなかった。


ぼくは魔の森ではなく、崖のこちら側の森をとぶようになった。

(こっち側でも、ちゃんと力は回復していくし)

効率は悪いけれど。


精一杯大きく囀りを響かせた。

(小鳥は歌が好きなんだ)

声を聞きつけた狐にとびかかられたりもしたけれど。

(べつに、探してるわけじゃない)


一日一日と日は過ぎた。



ある日、手負いの熊が死んでいるのをみつけた。

太い枝が口から頭に突き刺さっている。


「リルリルリルリル、リルリルリルリル、ぴい」

ぼくは声を張り上げた。


地面をちょんちょんと歩きながら、リルリル呼び続けた。

返事はない。

やがて大きな洞があった。

きっとさっきの熊の穴だ。

低空飛行でとびこむ。


熊の集めただろう枯葉に埋もれるようにしてディーリアが倒れていた。

人間の姿で。


「ピイピイピイッ」


腹を守るように丸まった体の、肩に降りて呼ぶ。

ディーリアは目を覚まさない。

顔色もひどい。

でも、死んではいない。


(ディーリアを助けたい)

溜まった力がすっと抜ける感覚があった。

一枚の羽がおちて、ディーリアに触れた。



「よりによって、獲物を探してかなり遠くまで離れたときに、人間の姿に戻っちまってさ」

「ぴ」

ディーリアはさっきの熊の肉を削いで、たき火で炙っていた。

たき火は、石を打ち合わせた火花を、乾燥した草に火を移してつけた。

さすがハンター、器用なものだった。


「すぐエリーのところにもどろうとしたんだが、二本足は遅くて困ったぜ」

「ピョ」

心配したんだ。

……さびしかった。

ぼくは肩にとまって髪をくちばしで引っ張った。


お返しのように、ディーリアが人差し指で喉をくすぐった。

「武器もないから、食料確保も一苦労で」

「ルルル」

戻っても服を着ていてよかったな。

ぼくも気まずいおもいをするところだったよ。


「雨が降ってきて、見つけた洞にはいったら先住者がいて」

殺して巣を奪ったんだな。

ディーリアが半分ほど火の通った熊肉に齧りつく。

どうやら、人の姿では完全な生肉は無理なようだ。

ぼくはほっとした。


「寒いし、ケガして、腹も減って、しかたなく寝てたらエリーが来てくれた」

「ピルウウ」

「ありがとう」





熊肉を食べおえたディーリアが立ちあがる。

「さあ、帰ろう」

ぼくは首を傾げた。

ディーリアは人間にもどったのだから、街にもどればいい。

武器も調味料もなく、これから冬にむかう森のなかにいるなんて愚かなことだった。



「ピュイピュイ(街に帰れ)」

ぼくは、ひとりでも大丈夫だ。

無事が確認できて本当によかった。


こんどはディーリアが首を傾げた。

ディーリアが話せるようになっても、意思疎通は難しかった。


ぼくは梢の上のもっと上まで舞い上がった。

遠くに森に切れめが見える。

あれがブライアンの作った街道だろう。


ぼくはそっちへ向かって飛んだ。


「エリー?そっちは逆だよ」


そういいながらディーリアが慌ててついてくる。

やはり狼の時に比べると、移動に時間がかかるようだ。

ときおり振り返ってディーリアを待ちながら、ぼくは街道を目指した。

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