決断と別れ

必要な人みんなに足りるように。

そう願いながら、ぼくは羽を降らせた。

どうやればいいかは、本能的にわかっていた。


だんだんと翼が重くなる。

羽が抜けてしまったからなのか、力が減ってしまったからなのか、ぼくにはわからなかった。

こっちを見上げて指さす人たちの顔は明るい。


よかった。

数が足りなくて奪い合いになったりはしなさそうだ。

安心するとどっと疲労感が押し寄せてきた。

こんなにくたびれたのはこの姿になって初めてだった。

やはりフェニックスの力を使いすぎたのだろう。


大使館のまえで、ブライアンが兵に指示をだしている。

アリアと一緒にいるのがブライアンの奥さんだろう。

ディーリアの姿がないのは、救助に駆け付けたからか。


(アリアをよろしくたのむよ)


ぼくは心のなかでそう告げると、パタパタと羽ばたいた。

降りて休憩したかったが、この姿は目立つ。

つかまって籠にいれられるのは恐ろしい。

ぼくは、人間なのだ。

すくなくとも、かつては。


人のこない安全なところへ隠れよう。

ぼくはフェニックスの故郷、魔の森を目指した。



街を離れると、空をみあげる人はいなくなった。

コルドラが攻撃されたことが知れたのだろう、

引きかえして行く商人の馬車や、駆けつける兵士の上を飛ぶ。


森へ入ると一安心だ。

道をそれてまばらに木の生えている場所をみつける。

枝にとまって翼をたたむと、そのまま眠ってしまいたくなる。


だめだ。

今のぼくではカラスにもやられてしまう。

ぼくは注意深くあたりの気配を窺いながら、しばし羽を休めた。

空腹を感じないフェニックス仕様がありがたい。

餌なんてとれる気がしないし、虫を食べるのはごめんだ。


がさっと音がした。

びくりとそっちをみると、巨大な狼があらわれた。


「ぴぃ!」


ぼくは悲鳴をあげて飛び立った。

狼は木に登らないだろうけれど、そんなことを考える余裕はなかった。

ぼりぼり嚙み砕かれてひとのみにされる妄想に羽が逆立った。

鳥の本能だった。


必死に逃げて、またちょっと枝で休む。

(ああ驚いた。でも、もう十分離れただろう)

「ルルルー」

ほっとすると、自然と囀っていた。

これも本能だった。



けれど狼は再び現れた。

ぼくのとまる木のまわりをまわって、グルグルと妙な唸り声をあげている。


(追いかけてきたのか!)

大丈夫、木には登れないんだ。

自分に言い聞かせる。


ドン!

後足で立ち上がった狼が大きな両前足を木の幹に置いた。


「ピピイィ」

枝の揺れと、狼の迫力に、ぼくは情けない声をあげてまた飛び立った。

あまりに短い休憩だった。


それからは悪夢のようだった。

逃げても逃げても、狼が追ってくる。

ぼくなんかより食べ応えのある鹿でも獲ればいいのに、と言ってやりたいが言葉が通じるはずもない。


だんだん暗くなってくる。

夜飛ぶのは怖い。

ぼくは隠れる場所を探した。

枝にとまるのは目立ってしょうがない。

倒木の隙間をみつけて、覗き込む。

先客や、変な虫なんかはいないようだ。

ぼくは尻尾からじりじりと後ろにさがっていった。

すっぽりと頭まで隠れてから、くわえていた大きな葉をはなす。

これで外からは見えないはずだ。



ガサガサと大きな動物の動く音がする。

ぼくは心臓が痛くなるほど息をひそめた。

大きな爪が葉っぱと腐った幹を砕くんじゃないか。

生きた心地もしなかった。


けれど、うろうろと草や枝を踏む音は止んだ。


見つからなかった?

ぼくは喜びと安堵のあまり囀りそうになった。

やっとゆっくり休める。

朝になったら、東に向かってとべるだろう。


暗い穴でじっとしていると、少しずつ力が溜まってくるように感じられた。




葉の隙間からまぶしい光が差し込んできた。

あやしい物音はしない。

ぼく私はそっと葉っぱのカーテンを外に押しだした。

頭を覗かせて最初に目に入ったのは、此方をみつめる狼のアイスブルーの瞳だった。

ぼくはこの瞳を知っている。


「……ピルウウ(ディーリア)?」

「ガウン」


なぜ狼なのか。

そう驚く以前に、ぼくは徒労感に項垂れた。

必死で逃げていた相手がディーリアだったとは。

あんな恐ろしい思いをしたのは、まったく無駄だったのだ。


「クーン」

ディーリアは申し訳なさそうに鼻を鳴らした。



それからは順調だった。

ぼくが飛ぶよりディーリアが走るほうがはやい。

背中に乗せてもらおうかとおもったが、転げ落ちてしまった。

ディーリアはウサギや鹿をとってきてぼりぼりと食べた。

元人間の葛藤とかはないようだ。

ぼくはなるべく高い枝にとまって現場をみないようにした。

とても他人事ではない。

おやつと間違えられるのはごめんだ。


「ガウ!」

食事を終えたディーリアが呼ぶ。

ぼくは舞い降りると丸まって横たわるギデオンの腹毛に埋もれた。

わざわざ狼の毛を当てにしなくとも、自前の羽毛があるのだが。

枝にとまって眠ろうとすると、悲しげにグルグル唸りながらうろうろと歩き回るのだ。


べろんとディーリアの舌が顔を舐める。


「ぴ!」


おやすみの挨拶とわかっていても、怖い。

でも、怖がって申し訳ない気持もある。

「ルルルー、ピチュピチュ、リルリルルルル」

ぼくはしばらく小さく囀った。

ディーリアの耳がピクピク動いている。


木々の梢の隙間から、大きな月がみえていた。




そうして、ぼく達は魔の森へとたどり着いた。

崖の側にいるだけで、力が満ちてくるようだ。

なかに降りればもっと効果があるだろう。

けれど狼であるディーリアはこの切り立った崖を降りることはできない。


「ぴいぴいぴ」

ぼくはこの崖ぎわに留まることにした。


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