かわるもの、かわらないもの(ディーリア視点)

「いいぞ!足つかえ!」


そう声を掛けた隙に木剣の柄を突きこむ。

真剣ならともかく、木製の剣では柄のほうが太く強い。

ガンッと鈍い音が響き、アリアの手から木剣が離れた。


「あー!もう!」

息を切らせたアリアが、仰向けに転がって叫んだ。


「おいおい、そんなふうに転がったらエリーに叱られるぞ」

「ほっといて!」



「洗い物なら私がやるわ、パパ!」

エリオットの前限定の良い子モードを真似すると、アリアが跳ね起きてとびかかってくる。

アタシは笑って謝りながら、ずいぶんしっかりしてきた体を軽く転がした。


もうすぐ10歳になるアリアはすっかりお転婆に成長していた。

エリオットが片時も離れずにいた頃の、良家のお嬢さんっぽさはない。

年の近いガキに混じって遊んだり手伝い仕事をするには、舐められないようにそれなりに悪ぶることも必要だ。

喧嘩は強い、頭は切れるし、度胸もある。

なにより美少女。

今ではすっかりガキ大将だった。


「暗くなる前に帰るよ、エリーが心配する」

「わかってる。あーもう、なんで勝てないかなあ」

「おいおい、アタシの胸までしかないガキに負けられないよ」


「ディーリアー、アリアー」


アタシたちを呼びながら、フードを深くかぶったエリオットが近づいてくる。

「パパ!買い物なら私が行くってば。ガラスが多いから危ないでしょ」

テポラには少なかったガラス張りの店が増えていた。

エリオットにとっては正体がバレる危険が増したことになる。

最近、どこかしこも景気がいい。

王国への街道整備に雇われた労働者や、その財布を当て込んだ商売人たちがコルドラから溢れて、近くの村まで人が増えているらしい。



「薬屋に納品に行っただけだよ。きっとここでディーリアに稽古をつけてもらってるだろうとおもって」


西日がまぶしい。

明日も晴れだ。

これからどんどん暑くなってくるだろう。

アタシたちは長い影法師を引き連れて、ぶらぶらと家路をたどった。



「ただいまー」

アリアが元気よくドアをあけた。

「アリア、土がついてる。さきに体を洗っておいで」

「はーい」


羽織っていた薄いローブを脱いで手を洗ったエリオットは、そのまま食事の支度をするつもりのようだ。

「アリアの勉強をみてやるんだろ?夕食はアタシがつくるよ」

「そうかい?山羊乳を分けてもらったから、クリーム煮にするつもりだったんだ」


エリオットがキッチンから振り返った。


「了解。まかせといて」

アタシは以前と変わらないエリオットに親指をたててみせた。


そう、変わらない。

最初会ったときに赤ん坊だったアリアがもう少女だ。

まだまだ衰えちゃいないが、アタシもそれなりに年を重ねた。

エリオットだけが、変わらない。

いや、なんだか若返ってみえる気もする。


想像でしかないが、とエリオットは言った。

この姿はかりそめのものなんだろう。

最初に人の、もとの姿に戻りたいと願ったときのまま。

少しずつ変えていくことはできないの?とアタシは尋ねた。

エリオットは首を振った。


『変えるもなにも、ぼくはもうずっと自分の顔をみていないんだ。まだ人だった時の面影も忘れてしまいそうだよ』


鏡に映るのは鳥だけだ。

アタシは初めてあの小鳥を疎ましくおもった。


もしエリオットが自分の顔を思い出せなくなったら?

もし、年をとっていないことを誰かが気づいたら?

エリオットはなるべく顔を隠すようになった。

テポラの街を離れるための準備もした。


ふたりがここに来てもう10年。

いつあやしまれてもおかしくはない。

すくすく育つアリア、順調な仕事、一見のんびりとした毎日にヒリヒリとする緊張感が隠れている。


もちろんそれでも、幸福だと断言できるけれど。



「王国はここよりも身分制度が厳しい。目上の人と話す時は、わたし、あるいはわたくしというんだよ。らくにしていいといわれても、ちゃんと丁寧に話すこと」


弟と再会して以来、エリオットはアリアに礼儀作法を教えるようになった。

いつか自分のルーツを知りたくなったときに、困らないようにと。


「食事にしよう」

我ながらうまくできた。

大きめに切った肉と野菜がゴロゴロと存在感をだしている。

鍋ごとテーブルに置き、器によそう。

おかわりとパンと果物は各自で。


「美味しそうだ。ありがとう、ディーリア。じゃあ、テーブルマナーのおさらいをしよう」

大雑把な家庭料理をものともせず、エリオットが宣言した。

ちまちまお上品に食べると時間がかかる。

よく似た色合いのふたりの、ままごとのような食事の様子をながめながら、アタシは先にコーヒーを飲んでいた。

今はまだ親子でとおるが、10年しないうちに兄妹にしか見えなくなるだろう。


「そういや、手紙がきてたっけ」

ブライアンからだ。

コルドラの親族経由で届けられたそれを、ナイフで開ける。

きっと中は盗み見られているだろうが、ブライアンもわかっている。

見られてもいいことしか書いていないはずだ。


「楽しみ。はやく読んで、ディーリア」

アリアが声を弾ませた。


いよいよ馬車の行き来が本格化して、交流が増えることは両国にとって喜ばしい。

ついては大使館を設けることとなり、マンデヴィル伯爵家が初代大使を拝命した。

妻子とともにコルドラに向かうので、会いに来てほしい。


そんな内容だった。


「到着したら連絡があるだろうが、行って待っておくか?」

知れ渡ってからでは宿が混む。

大叔父のコネを使えばなんとでもなるが、なるべく借りは作りたくない。

大叔父は以前とうって変わってオレにも好意的だ。

なにせ王国との交易の窓口を独占したことで、コルドラの都市国家間での発言力は群を抜くことになった。

それをよく思わない都市もあるが、街道ができてしまえば追いつくのは難しいだろう。

議長としては鼻高々というわけだ。


「ブライアン!来るの?家族がいたんだね」

アリアがぱっと顔を輝かせて言った。

「子どもは、アリアのいとこになるよ」

アタシたちのやりとりを、エリオットは黙って聞いていた。


「エリー、ブライアンには全部話そう。あいつはなにがあってもお前の弟だろ」

エリオットは少し微笑んで、頷いた。

「よし、きまりだ。久しぶりのコルドラだな」


「やったー!釣りだ!それに羊!」

壁に貼った地図を指さしてアリアが喜びの声をあげた。

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