かわるもの、かわらないもの(ディーリア視点)
「いいぞ!足つかえ!」
そう声を掛けた隙に木剣の柄を突きこむ。
真剣ならともかく、木製の剣では柄のほうが太く強い。
ガンッと鈍い音が響き、アリアの手から木剣が離れた。
「あー!もう!」
息を切らせたアリアが、仰向けに転がって叫んだ。
「おいおい、そんなふうに転がったらエリーに叱られるぞ」
「ほっといて!」
「洗い物なら私がやるわ、パパ!」
エリオットの前限定の良い子モードを真似すると、アリアが跳ね起きてとびかかってくる。
アタシは笑って謝りながら、ずいぶんしっかりしてきた体を軽く転がした。
もうすぐ10歳になるアリアはすっかりお転婆に成長していた。
エリオットが片時も離れずにいた頃の、良家のお嬢さんっぽさはない。
年の近いガキに混じって遊んだり手伝い仕事をするには、舐められないようにそれなりに悪ぶることも必要だ。
喧嘩は強い、頭は切れるし、度胸もある。
なにより美少女。
今ではすっかりガキ大将だった。
「暗くなる前に帰るよ、エリーが心配する」
「わかってる。あーもう、なんで勝てないかなあ」
「おいおい、アタシの胸までしかないガキに負けられないよ」
「ディーリアー、アリアー」
アタシたちを呼びながら、フードを深くかぶったエリオットが近づいてくる。
「パパ!買い物なら私が行くってば。ガラスが多いから危ないでしょ」
テポラには少なかったガラス張りの店が増えていた。
エリオットにとっては正体がバレる危険が増したことになる。
最近、どこかしこも景気がいい。
王国への街道整備に雇われた労働者や、その財布を当て込んだ商売人たちがコルドラから溢れて、近くの村まで人が増えているらしい。
「薬屋に納品に行っただけだよ。きっとここでディーリアに稽古をつけてもらってるだろうとおもって」
西日がまぶしい。
明日も晴れだ。
これからどんどん暑くなってくるだろう。
アタシたちは長い影法師を引き連れて、ぶらぶらと家路をたどった。
*
「ただいまー」
アリアが元気よくドアをあけた。
「アリア、土がついてる。さきに体を洗っておいで」
「はーい」
羽織っていた薄いローブを脱いで手を洗ったエリオットは、そのまま食事の支度をするつもりのようだ。
「アリアの勉強をみてやるんだろ?夕食はアタシがつくるよ」
「そうかい?山羊乳を分けてもらったから、クリーム煮にするつもりだったんだ」
エリオットがキッチンから振り返った。
「了解。まかせといて」
アタシは以前と変わらないエリオットに親指をたててみせた。
そう、変わらない。
最初会ったときに赤ん坊だったアリアがもう少女だ。
まだまだ衰えちゃいないが、アタシもそれなりに年を重ねた。
エリオットだけが、変わらない。
いや、なんだか若返ってみえる気もする。
想像でしかないが、とエリオットは言った。
この姿はかりそめのものなんだろう。
最初に人の、もとの姿に戻りたいと願ったときのまま。
少しずつ変えていくことはできないの?とアタシは尋ねた。
エリオットは首を振った。
『変えるもなにも、ぼくはもうずっと自分の顔をみていないんだ。まだ人だった時の面影も忘れてしまいそうだよ』
鏡に映るのは鳥だけだ。
アタシは初めてあの小鳥を疎ましくおもった。
もしエリオットが自分の顔を思い出せなくなったら?
もし、年をとっていないことを誰かが気づいたら?
エリオットはなるべく顔を隠すようになった。
テポラの街を離れるための準備もした。
ふたりがここに来てもう10年。
いつあやしまれてもおかしくはない。
すくすく育つアリア、順調な仕事、一見のんびりとした毎日にヒリヒリとする緊張感が隠れている。
もちろんそれでも、幸福だと断言できるけれど。
*
「王国はここよりも身分制度が厳しい。目上の人と話す時は、わたし、あるいはわたくしというんだよ。らくにしていいといわれても、ちゃんと丁寧に話すこと」
弟と再会して以来、エリオットはアリアに礼儀作法を教えるようになった。
いつか自分のルーツを知りたくなったときに、困らないようにと。
「食事にしよう」
我ながらうまくできた。
大きめに切った肉と野菜がゴロゴロと存在感をだしている。
鍋ごとテーブルに置き、器によそう。
おかわりとパンと果物は各自で。
「美味しそうだ。ありがとう、ディーリア。じゃあ、テーブルマナーのおさらいをしよう」
大雑把な家庭料理をものともせず、エリオットが宣言した。
ちまちまお上品に食べると時間がかかる。
よく似た色合いのふたりの、ままごとのような食事の様子をながめながら、アタシは先にコーヒーを飲んでいた。
今はまだ親子でとおるが、10年しないうちに兄妹にしか見えなくなるだろう。
「そういや、手紙がきてたっけ」
ブライアンからだ。
コルドラの親族経由で届けられたそれを、ナイフで開ける。
きっと中は盗み見られているだろうが、ブライアンもわかっている。
見られてもいいことしか書いていないはずだ。
「楽しみ。はやく読んで、ディーリア」
アリアが声を弾ませた。
いよいよ馬車の行き来が本格化して、交流が増えることは両国にとって喜ばしい。
ついては大使館を設けることとなり、マンデヴィル伯爵家が初代大使を拝命した。
妻子とともにコルドラに向かうので、会いに来てほしい。
そんな内容だった。
「到着したら連絡があるだろうが、行って待っておくか?」
知れ渡ってからでは宿が混む。
大叔父のコネを使えばなんとでもなるが、なるべく借りは作りたくない。
大叔父は以前とうって変わってオレにも好意的だ。
なにせ王国との交易の窓口を独占したことで、コルドラの都市国家間での発言力は群を抜くことになった。
それをよく思わない都市もあるが、街道ができてしまえば追いつくのは難しいだろう。
議長としては鼻高々というわけだ。
「ブライアン!来るの?家族がいたんだね」
アリアがぱっと顔を輝かせて言った。
「子どもは、アリアのいとこになるよ」
アタシたちのやりとりを、エリオットは黙って聞いていた。
「エリー、ブライアンには全部話そう。あいつはなにがあってもお前の弟だろ」
エリオットは少し微笑んで、頷いた。
「よし、きまりだ。久しぶりのコルドラだな」
「やったー!釣りだ!それに羊!」
壁に貼った地図を指さしてアリアが喜びの声をあげた。
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