焦りと反省
重い。
腕一本、腹にのったそれはずっしりと存在を主張している。
目を開くと、ディーリアの寝顔がとびこんできた。
その顔に見惚れる。
濃いまつげ、ちょうどよい鼻梁、何度も口づけた唇。
ぼくは慌てて目をそらした。
もう朝だ。
色事の余韻にひたっている場合ではない。
どうやら寝過ごしたようだった。
いつもなら起こしに来るはずのアリアの声はしない。
まだ眠っているんだろうか。
「アリア?」
こたえはない。
アリアの眠っていたベッドはもぬけのからだ。
「ディーリア!アリアがいない!」
肩を揺さぶってぼくは叫んだ。
部屋の鍵はあいていた。
自分で外にでたのだ。
朝食をとりにいったのかもしれない。
ディーリアに念のため一階ロビーを見に行ってもらい、ぼくは二階の食堂へと走った。
なぜ目が覚めなかったのか。
いつもなら気づいたはずだ。
ディーリアの体温に安心しきっていた。
もちろんディーリアのせいじゃない。
アリアはぼくの子なのだ。
*
ぼくは食堂のテーブルにその姿を見つけた。
「アリア!」
「父さん、こっちだよ!いまブライアンと朝ごはんたべたとこ」
「勝手にいなくなるな!おどかさないでくれ!」
アリアを抱きしめる。
よかった。
ほんとうによかった。
安堵の涙にその顔がぼやけた。
「ごめんなさい」
ぼくのただならぬ様子にアリアは戸惑いながら謝った。
ディーリアも駆けつけてくる。
おなじテーブルについていたブライアンが眉を顰めた。
「兄上、ディーリア。アリアを責めるのはお門違いでしょう」
責めるつもりなんてない。
無事でほっとしただけだ。
そう言う間もなく、ブライアンは席を立った。
「どうぞお二人も朝食を済ませてください。アリアは私が預かります」
ふたりはもう食事を終えていたようだった。
返事を待たずにブライアンはアリアの手を引いて行ってしまった。
置いていかれたぼくの肩にディーリアンがぽんと手をのせた。
*
「ここだ」
ディーリアが言った。
<青輝石の間>
長期滞在者のための一角だった。
ぼくたちは大きなソファを勧められ、腰をおろした。
向かいではアリアがブライアンにくっついている。
「アリア、こっちにおいで」
ぼくは膝を叩いてみせた。
「いま、地図みてるのー」
テーブルには広大な森をはさんだ両側の地図がおかれていた。
中心部に描きこまれた円が魔の森なのだろう。
ブライアンが指さす。
「私はこの円に添って進み、コルドラ近くに出ました。兄上とアリアはこの森をまっすぐに抜け、テポラについたのでしょう」
テポラ、コルドラ、それにマンデヴィル。
すべて捨ててきたはずなのに、それは一続きの紙にあった。
郷愁に似た感傷がわきあがる。
混乱のなかアリアだけを抱いて歩いた道のりだった。
「兄上、これから国交をむすび交易が始まれば周辺部に道ができるでしょう。これを機に王国へ戻っていただけませんか?父上も心配しています」
ブライアンの気持ちは嬉しかった。
心が揺れなかったわけではない。
けれど、ぼくが戻れば伯爵家はもめごとに巻き込まれるだろう。
ぼくは首を振った。
「ぼくは一度死んでもう人間じゃない。この姿はアリアを育てられるようにというフェニックスの慈悲だとおもっている。どうかこれを父上に」
ブライアンにハンカチに乗せた金の羽を渡す。
ブライアンはじっとそれをみて、言った。
「じつは、陛下がお怪我をされています。父上はきっと陛下のためにつかうでしょう」
「それは父上のよろしいように」
「ありがとうございます、兄上」
ぼくはもう一枚の羽を求められなかったことに安堵した。
父の健康を願ったことで羽は落ちたが、面識のない陛下のためフェニックスの力を使うことはできなさそうだった。
ブライアンが大切そうに羽をしまいこんでから言った。
「兄上、ではこれからもディーリアとテポラに潜み暮らすのですか?」
ぼくはディーリアを見た。
ディーリアは自慢げに微笑んで言った。
「アタシたちの一族は、人間じゃない。人狼なんだ」
突然の告白にブライアンはじっとディーリアをみつめた。
「エリーが人じゃないことは最初から知ってた。これは運命の出会いだとおもっている」
ディーリアはブライアンの視線を受け止めて断言した。
ぼくは胸が熱くなった。
小鳥好きが高じた勘違いからはじまったとしても、彼女の言葉を信じたかった。
「わかりました。兄をたのみます」
「ブライアン……」
家族から認められるということが、これほど嬉しいものだとは。
ぼくは涙が流れるのをとめられなかった。
ディーリアも驚いたような顔をして、それからくしゃりと微笑んだ。
「任せて。エリーもアリアもちゃんと守る」
「いえ、アリアは私が引き取ります」
ブライアンがきっぱりと言った。
心臓がとまったような驚きに、ぼくは血の気が引くのを感じた。
アリアは地図を迷路にみたてて遊んでいる。
「そんな、アリアはぼくの娘だ」
「親子を引き離すのか!」
ぼくたちの反論を、ブライアンは静かに聞いていた。
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