子どもが寝た後に

ぼくたちは移動スピードをあげて、門が閉まる前に街に滑り込んだ。

「荷を置くのに、家に寄らせてもらっても?」

ディーリアが控えめに尋ねた。

さんざん荷物を持たせて戸口で追い返すような真似はできない。

「簡単だが食事を作るよ。酒もある」


少し躊躇って、つづけた。

人じゃないことはもう知られているのだ。

「泊まっていくといい」

ぼく顔をあげずに言った。


「いいのか?」

ディーリアの声が明るい。

よほど小鳥が好きなのだ。

自然と苦く頬が歪む。

きっと醜い顔をしているにちがいなかった。

ついこのあいだまで幸せだったのに、今は苦しかった。



すっかり日の落ちた小道を歩き、小さな家についた。

煉瓦造りの古い家だ。

前の住人だった妻に先立たれた老人が死んで以来そのままだったのを家具ごと買い取ったのだ。


この家を探してくれたのも、ディーリアだった。

埃のつもった屋内の掃除も手伝ってくれた。

アリアが大声で泣いてもうるさがったりはしなかった。

この街に来てからの思い出のひとつひとつにディーリアがいる。

人としての感覚が薄れて気づかなかっただけで、ディーリアはとっくに特別だったのだ。


食品を売る店はもう閉まっている。

だから、夕食といっても野営と同じビスケットと、家にあった干し肉を使ったスープだ。

それでも、ビスケットにはたっぷりの木苺のジャムを添えたから、アリアは大喜びだった。


「こんなものしかなくて悪い。酒場にでも行けばもっと飲み食いできたな」

食事に誘ったものの、考えてみれば盛り場はこれからが稼ぎ時だ。

わざわざ小さい子どもに合わせてもらう必要はなかった。


「いや、ここのほうがくつろげるし。いまさら追い出さないでよ」

おどけるディーリアにアリアがしがみついた。

「うちにいていいよ!お風呂にいこう!」


「アリア、食べたばかりだから、さっと洗うだけだよ。パパといこう」

「えー、じゃあ、ディーリアと洗ってくる」


よほど、はなれがたいようだ。

湯はもう温めてある。


「すまないが、アリアといってきてくれるか?」

ぼくは溜息まじりにディーリアに頼んだ。

頷いたディーリアはぼくとアリアに優しいまなざしを向けていた。

今までと変わらないようでいて、いつもより熱っぽい視線に頬が赤らむ。


でも、それはぼくじゃないものへの視線だ。

命を与えられアリアと暮らせるのはフェニックスのおかげだと感謝してきたが、いまは嫌いになりそうだった。



ふたりが湯を使っているあいだに、テーブルを片付けて食器を洗う。

それから、干し肉とチーズを小さく切って、香ばしい木の実を炒る。

正直かなり質素ではあるが、ないよりマシだ。


「あ、黒林檎と蔓葡萄の果実酒しかない」

麦から作る強い酒を切らしていた。

これまでは、ディーリアが持ち込んだものを飲むことが多かったから、うっかりしていた。


「まいったな」

酒があると誘ったのに、これではがっかりだろう。

酒場なら開いている。

いくらか多めに払えば、分けてもらえるだろうか。


「パパ、洗ってきたー」

「エリーも湯が冷めるまえに入ってきてくれ」

さっぱりして部屋着に着替えたふたりが炊事場に顔をだす。

ぼくは水をいれたカップに、夏柚子の果汁を垂らした。

アリアの入浴後のお楽しみだった。


「麦火酒がないから、ちょっと酒場で分けてもらってくるよ」

そういうと、ディーリアはカップの夏柚子水を慌てて飲み干した。

「一日中歩いて、もう夜じゃない!」

「平気だ。べつに疲れていない」

「それでも。まったり寛ぎたいだけなんだから、酒の種類なんか気にしないよ」


軽く言い合いになるのを気にとめず、アリアは夏柚子水を飲み終えた。

「私もうねる。パパ、おやすみー」


「……じゃあ歯を磨こう」



アリアが5歳になって、本人のもう赤ちゃんじゃないという意見で寝室を分けた。

かわりに、寝付くまでそばで見ているのがぼくの役目になった。

そのまま一緒に寝てしまうことも多いけれど。

だが、今夜はその役目はディーリアにとられてしまった。

ならその間に酒を買いに行こうと思ったが、それはナシだとディーリアにくぎをさされた。


結局、アリアをディーリアにまかせて、風呂へはいる。

ふたりとも洗い場しか使わなかったので、湯舟の湯はきれいでたくさん残っていた。

冷めかけた湯を桶に汲み、手早く髪と体を洗う。

さっと体を拭いて、濡れた髪をくるむ。


「でも、もし」

ぼくは浴室を振り返った。

情けない勘違いがきっかけとはいえ、ぼくはディーリアへの恋心に気づいてしまった。

一度自覚すれば、それは年季の入った片想いだった。

もちろん、成就はむずかしいとわかっている。

ぼくは人でさえない。


けれど。

ディーリアは自分は人狼だと言った。

ぼくと同じく人ではないと。

それに。

彼女は小鳥に興奮する特殊な嗜好らしい。

ならば、小鳥と同化しているぼくにもチャンスがあるんじゃないか。

そんな考えが頭から消えない。

友人としてよくしてもらっておいて、さらに小鳥をエサに触れてもらおうなんて。

『ちょっと小鳥に触りたかっただけだ』

なんの下心もなく言い放たれた言葉を思い出すたび胸が痛む。


「そんなこと。きっと、もっと惨めになるのに」



風呂をでると、一つきりのソファでディーリアがくつろいでいた。


「アリア、ベッドに入って10数えるまえに眠っちまったよ」

「そうか。ありがとう」


ぼく果実酒の瓶とカップ、ささやかなつまみの皿をローテーブルに置いた。

ディーリアが心持ち端につめ、ぼくはとなりに腰をおろした。

触れないはずの肩が熱い。


「楽しかったな」

「おかげで冬支度に余裕ができたよ」

ぼくたちはカップを持ち上げて無事の帰還を祝った。


「人狼とはどんな種族なんだ?」

「頑丈で身体能力は高い。頭はほどほどだが、研究肌の変わり者は賢者と言われる」


へえ。


「興奮したときの先祖返りや、老化で制御が甘くなると、オオカミの特徴がでることもある。耳とか」

「それは、ちょっとみてみたいな」

「アタシは出たことないがな。月いちぐらいで、獣性が強くなって、そのときはまあ、ちょっと」

ディーリアは言い淀んだ。


「ちょっと?」


うすうす気づいたがぼくは続きを促した。

「ケダモノっぽくなるかも。アタシはそこまで影響されないほうだから、安心してくれ」


むしろ残念だ。

「小鳥好きはもともとなのか?」


「ええっ、いや、エリーだけだ。特別だ。あの姿をみたとたんザワザワって。それこそ時期でもないのに、狼になりそうだった。びっくりしたよ」


特別。


フェニックスではないぼくへの言葉なら、どれほど嬉しかったか。


「じゃあ、ほら小鳥だ。食べさせてくれ」

ぼくはディーリアの脚に手を置いて、目を閉じて口を開けた。


マリアンナと愛人が睦みあっていた光景を思い出して、同じように凭れてみる。

ちなみにぼくがマリアンナのポジションだ。

あんな若く美しい娘ならともかく、30男のぼくでは痛々しいだけだと理性が嘆く。

それでも、手練手管を持ち合わせないぼくには彼女を真似るのと小鳥だと言い張るぐらいしかできない。


ディーリアは無言だった。

何の反応もない。

軽蔑されたらもう友人でもいられない。

恐怖と後悔に襲われながら、ぼくは薄目をあけた。

耳を真っ赤にしたディーリアの燃える氷みたいな目と見つめ合う。


どうやら刺さったらしい。

(本当に小鳥が好きなんだな)

ぼくは安堵したような呆れたような複雑な気持ちで鳴いた。

「ぴいぴい」

木の実がひとつぶ、口に入れられた。

ディーリアの指がぼくの唇を掠めた。

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