恋の自覚と帰り道

アリアはディーリアの肩の上でご機嫌だ。

いつもならその笑顔をみているだけで幸福なのに、ぼくの心は重い。

足取りも。

それでも立ち止まらず進むのは、単に手を引っ張られているからだ。


「そろそろ、街道に近い。人も通る。手を離してくれ」

ぼくは溜息をこらえて言った。

ただでさえアリアを人質に取られているようにおもえるのに、さらに手を掴まれたままというのは心臓に悪い。

だがディーリアは静かに首を横に振り、真面目な顔をした。


「本調子ではないんだろ?他人の目なんかほっとけ」

労わりの滲む優しい声だった。

ゆうべのあんな姿をみる前だったら、こっそり胸を熱くしただろう。

今は、あー鳥に触りたいんだなとしかおもえない。

面白くもない30男の手が小鳥の翼に見えるというのだから、病んでいる。

ぼくはちらりとディーリアをみた。

大きな荷をものともせずに歩く。

本当はもっと早く歩けるのに、ぼくに合わせてくれている。


ああ、もったいない。

あんなに誰からも好かれるのに。

あの強烈な小鳥への偏愛さえなければ、もっと幸せになれるだろうに。


「エリー、アリアが寝そうだ」

ディーリアが頭上を気にしながら言った。


昼休憩から、かれこれ3時間。

とうとう肩車にも飽きたころか。

ディーリアがぼくの手をはなして、アリアを胸に抱きなおした。

アリアは、ぽかんと小さく口を開けて眠っている。

安心しきっている。

アリアとディーリアの信頼は強固なままだ。


ぼくは、どうしたらいいんだろう。


「休憩にしよう。肩車してくれたおかげで、ずいぶん早く進めたよ」

ぼくはなるべく普段通りに言った。


いっときは、アリアを抱いてどこかに飛び立ってしまおうと思い詰めたが、ディーリアがアリアをはなさず、タイミングを逸していた。

冷静になってみれば、こんな冬を前にした時期になにもかも捨てて逃げ出すなんて愚かなことだった。


べつに、たいしたことじゃない。

ぼくは自分に言い聞かせた。

ディーリアは長い付き合いの友人で、アリアも懐いている。


ただちょっと鏡に映ったぼくの姿に理想の小鳥を見出して、鏡がなくともその幻影がみえるようになっただけだ。

あんなのディーリアじゃないとおもいたかったが事実だ諦めろ。

距離が近づいたのは、ぼく自身への好意が高じたわけではない。

ぼくが勘違いして、ディーリアを意識していたのは間違いだった。

小鳥と混同した過剰反応さえ気にしなければ、なんの問題もない。

奇声も奇行もぼくを通してみる小鳥に興奮しているだけで、実害はない。


……だめだ。


どれもこれも『たいしたことじゃない』なんておもえない。


「エリーが歩けるなら、アリアはこのまま抱いていこう」

「重いだろう?」

「ぜんぜん。なんなら、エリーも抱えていこうか?」

ディーリアが軽口をたたく。


いつもと変わらない軽口のはずなのに、ぼくじゃなく小鳥を抱いて歩きたいんだなと、気分が沈んだ。


「ぼくは、小鳥じゃない」

自分でも驚くほど冷ややかな声だった。

ゆうべの恐怖は呆れに、そして理不尽な怒りへと変わっていた。


「もちろんだ。優秀な採取者でアリアの自慢の父親だ」

ディーリアがなんの悪気もないような口調で言った。

けれど、それはぼくの望む答えではなかった。


「ディーリアは、ぼくより」

言いかけてあわてて言葉を飲み込む。

ぼくより小鳥のほうが大切なんだろう、なんて。

そんなふうになじりそうだった自分にショックを受ける。

そしてもし、もちろんだあたりまえだと返されたら。

ぼくはまた傷つくだろう。

まるで嫉妬だ。

ぼくは自嘲した。


困ったなあ。

どうやらぼくはやっぱり彼女が好きらしい。

まともに自覚する前に振られてしまったけれど。

かなわない恋敵がある意味自分自身なんて笑えない。

だれもが認める美丈夫や、同じ人狼だというのなら諦めがつくのに。


マリアンナのことは大事に思っていたつもりだったが、結局は同情と打算だったんだろう。

会いたいとも、憎いとさえおもわない。

少なくとも、恋ではなかった。


つまりこれがぼくの初恋なのだ。


積み重ねてきた年月は薪束のようなものだった。

うっかり燃え上がった恋心にくべるには十分すぎるほどの。

百年の恋が冷めるような衝撃でさえ消し損ねるほどに。

勝手に盛り上がって抱きしめたり撫でまわしたりする小鳥マニアだとしても、その手すらはなれれば惜しいとおもう未練が熾火のように燃えている。


ディーリアは凛とした顔に穏やかな笑みを浮かべて、とぎれた言葉の続きをまっている。

「肩車しててもぼくより歩くのが早いな。このペースなら今夜中に街に入れるかもしれない」

意地とプライドを総動員して、あたりさわりのないセリフをひねりだす。

ぼくは男性としては平均程度の身長だが、ディーリアも同じぐらいだ。

女性としては長身だ。

どこ、とはいわないがボリュームがあるので、ぼくより大きく見える。

力も強い。

それに目を惹く美人だ。

なにより優しい。

なんの見返りもなくつねに親切だった。

彼女の願いぐらい、快く叶えるべきじゃないか。


「ああ。早く帰ろう」

力強くこたえて、ディーリアはアリアを抱えなおした。


もうぼくの手は自由だ。

それは、なんだか物足りなかった。


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