鏡の中の真実 (ディーリア視点)
テポラに、この街に来るまで料理も裁縫もしたことがなかったというが、エリオットはその腕をめきめきとあげていた。
屋台や食堂ばかりでは子どもの体には味が濃すぎるらしい。
「いいにおい!」
こんがりと焼けたもも肉の皮は黄金色だ。
豪華な燭台と、飾られた花が華やかだ。
料理も雰囲気も、高級といわれるレストランにも引けはとらない。
なにより気心の知れた三人で囲むテーブルは、幸福そのものに思えた。
かつて、どこにいても、だれといても、勝手な疎外感を感じていた頃とは大違いだった。
アタシは改めて家の中をみた。
やはりガラスは使われていない。
明かりとりの窓は木戸で開け閉めするタイプだ。
貧しい家なら、珍しいことではない。
けれど、エリオットはかなり稼いでいるし、アリアのために家を整えることに余念がない。
そうおもうと、不自然でもあった。
それに。
鏡もない?
「ディーリア?」
「ああ、ごめんよ。ぼんやりしていた」
「紅茶、ミルクをいれる?って」
「いや。果物が甘かったから、渋いほうがいいな」
「了解」
エリオットとアリアが採取のついでに採ってくる木の実はとびきり美味しい。
めったに取れないから、売り物にはせずうちで食べるのだという。
神の森に行ってるんじゃないか?
これまでなんどもそう尋ねようとして、口をつぐんだ。
余計なことを言って、心を閉ざされるのは恐ろしかった。
また孤独になりたくなかった。
「あのさ」
人狼って知ってる?
そう続ける勇気はなかった。
「なんだい?」
「アリアに剣や弓、教えてもいい?」
アタシは狡く言葉を選んだ。
もちろん、アリアは可愛いし、本人が望むなら鍛えてやりたい。
食事を終えたアリアはもう眠ってしまったが、きっと喜ぶだろう。
だけど、それだけじゃない。
もっと必要としてほしい、頼りにしてほしい、せっかく得た居場所を守りたい。
「忙しいだろ?いいのかい?」
嬉しそうなエリオットに胸が暖かくなる。
「かまわない。アリアにも『だいたい家族』っていわれたし」
もちろんエリオットが父親だけど、アタシにも親代わりができるだろうか。
そう答えると、エリオットは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ぼくたちはディーリアの邪魔になっているんじゃないか?こんなに世話になっておいてなんだが、そろそろ君も結婚して自分の家族を持つべきじゃないかともおもうんだ」
突き放されたような気がした。
きっとすごく情けない顔をしたんだろう。
エリオットは慌てたように言葉を継いだ。
「ぼくもアリアも君が大好きだ。だからこそ、後悔しないようにしてほしいんだ」
「後悔はしない。結婚願望はないし、現状で十分幸せだから」
エリオットは納得したようには見えなかったが、それ以上その話はしなかった。
アタシは逃げるように家をでた。
自分の宿に戻る気にはなれなかった。
長期契約の荷物を置いて寝るだけの部屋に愛着はない。
アタシはその足で、一族の賢者を訪ねることにした。
聞きたいことができたのだ。
*
「鏡やガラスに映らないのは、魂のないものだ」
老いた人狼はぼさぼさとした獣の耳を自慢げに動かして言った。
人より頑丈で病気にもかかりにくい人狼は総じて長生きだが、なかでもこの老狼は特別だった。
すでに人型をとれなくなってきているのに、その目は知性の光がある。
以前のアタシにはそれは悲惨なことに感じられたが、今はそうでもない。
本人が気にしていないのなら、姿など問題ではないのだ。
「つまり、ゴーストや吸血鬼などだ」
「ゴースト……」
「ああ、だがゴーストが完全に人に化けるのは不可能だ。吸血鬼であれば正体を隠す知恵もあるだろう。もし見かけたら油断するな、かれらは強敵だ」
アタシは曖昧に頷いた。
エリオットやアリアが吸血鬼だとは思えない。
「翼をもつ人について聞いたことはある?」
半人半獣の老人が目を輝かせた。
「ディーリア、なにをみつけた?」
「みつけてない、聞いただけだ」
「一部の教会では、神の使いを背中に翼のある姿で描くことがあるらしい」
「神……」
神の使いも、魂をもたない吸血鬼も、エリオットらしくない。
アタシの知る彼は、子煩悩で努力家で穏やかな、気持ちのよい人間そのものだ。
「ありがとう、また来る」
アタシは根掘り葉掘り尋ねてくる老人を振り払った。
エリオットがなにものであれ、アタシの気持ちは変わらない。
もし人目を憚る種族であるのなら、力になりたい。
それだけだ。
*
アタシは胸ポケットに忍ばせた小さな鏡を取り出した。
エリオットはアリアの新しい背負い袋の肩紐をなおしている。
いくらか縫い縮めるようだ。
彼らに背を向けて、そっと鏡越しに様子を窺う。
いない。
アリアだけだ。
魂のない呪われた生き物だというのか?
たとえそうであっても、エリオットはエリオットだ。
きらりと何かが光った。
目を凝らすとアリアの影から小鳥が出てくるのがみえた。
尾羽の長い金色の美しい鳥だった。
いかにも面倒見よく、アリアの側をちょんちょんと動いている。
ぞわりと狼の獣性が刺激された。
ぱくりとくわえて、ぼりぼり食ってしまいたい衝動が胸に燻ぶる。
「エリー?」
「なんだい?」
なんでもないような返事があった。
振り向けばアリアの背負い袋をもったエリオットが微笑んでいる。
おまえの正体は小鳥か?とはとても言い出せなかった。
「えーと、とり肉、好きだったよな?」
「ああ、好きだけど?どうかしたか?」
「いや、気になっただけだ」
姿など気にしないといったが、やはり気になる場合もあるのだ。
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