妻は出て行った、アリアを置いて

「貴族だから結婚したのに平民になるなんて、騙されたわ!」

男に向かって、マリアンナはきっぱり言い切った。



初めて会ったとき、彼女はまだ17だった。

親族は処刑され、その配下は領民に背かれ殺されていた。

よほど恨みをかっていたようだった。

マリアンナだけが教会に匿われて無事だった。

ぼくは立て直しのために国から派遣され現地に入った文官のひとりだった。

怖いと、助けてといって泣く彼女を振り払うことなどできなかった。

幸い、ぼくには恋人も婚約者もいなかった。

伯爵家の長男ではあったが、あとを継ぐのは勇猛果敢な弟のほうがいい。

いざという時には私兵を率いて戦う強さが求められる武門の家には、不向きな人間だと自覚していた。

そう思っていたから、縁談は避けていたのだ。


これも何かの縁だと思った。


ぼくはマリアンナと結婚し生家を離れた。

家は弟が継ぐだろう。

そしてアリアが生まれた。

こんなはずじゃなかったとヒステリックになることはあったが、若くして妊娠中の女性ならそういうこともあるとただ耳を傾けた。

アリアは可愛かった。

乳房が垂れるから嫌だというマリアンナに代わって乳母を探し、温めたヤギの乳をのませた。

げっぷのさせたかたも覚えた。

毎日幸せだった。

けれど、マリアンナは幸せではなかったのだ。

伯爵夫人になりたかっただけで、ぼくを好きではなかったのだ。


「追い出した使用人たちがどこぞに訴えるかもしれない、急ごう」

マリアンナと賊なのか騎士なのかわからない若者がキスを交わして、一緒に部屋を出ていった。


(そうか)


妻と間男に殺されたというのに、他人事のようにおもえた。

今さら腹を立てたところで、もう死んでしまったのだ。

ただ、アリアのことだけが案じられた。


(あいつが義父になるのか)


不安しかない。


第一マリアンナはおむつを替えたこともないのだ。

だれがアリアの面倒をみてくれるのか。

まだ這うこともできないのに。



ぼくはアリアを探して屋敷を飛び回った。

隠れることも忘れていたが、不思議とだれも気に留めなかった。


賊を装っていた連中はちょっと小ぎれいになっていた。

「出発!」

マリアンナと二人乗りした男が声を張った。

アリアはいない。


私兵へと姿を改めた騎馬の集団はぞろぞろと屋敷を出ていった。


(アリア!)

「ピチュピピィ!」



こわい。


そう聞こえたきがした。




アリア?


よばれるようにたどりついたのは、厨房の大きなパン焼きがまだった。

煉瓦の壁と鉄の扉の向こうで、泣き声がする。


こんなところに隠したのか。


使用人はやめさせたといっていた。

だれにも見つけられずに死んでしまうとわかっておいていったのか。

神殿に捨てるほどの情けもないのか。

ぼくは自分が殺されたよりずっと激しい怒りを感じた。


はやく出してやらなければ。


けれど、小鳥の身では重い扉は開けられない。


(ああ、いっときでももとの姿にもどれれば)


その瞬間、ぼくは以前の姿で立っていた。

なにが起こったのかわからない。

けれど、この奇跡が終わる前に。


ぼくは重い鉄の扉を開けた。

煤まみれのアリアをひっぱりだす。

いつからここにいたのだろう。

「ああ、もう大丈夫だ。パパが来たよ」


「ああー、うー」

アリアは一本だけ歯の生えた口を開けて笑い、私の髪を握り口に入れようとした。


「アリア、よかった。奇跡だ、神よ、感謝します」


ぼくはアリアを抱いて子ども部屋へ戻った。

二階の廊下の窓に目をむけて、ぼくは固まった。

ガラスには、アリアしか映っていなかった。





ぼくはアリアを抱いて神殿へと歩いていた。

小さな神殿は、村の集会場でもある。

マリアンナのことを伝えて、使用人も戻ってもらわなければ。


「……神殿には、鏡があったな」


ぼくは普通の人間に戻ったようにみえるが、ガラスや鏡には小さい金の鳥の姿で映る。

人の姿に戻りたいと願って変化したように、もし、鳥の姿になりたいと願えば小鳥の姿になるのだろうか。


このことを誰かに話すべきかどうか、ぼくはわからなかった。

昨日射られた矢傷もないのが、この体が偽物である証拠だ。

魔の森の呪いだと判断されれば、最悪もう人ではない化け物だと殺されるだろう。


「せめて、アリアを託せる人を探すまでは内緒にしよう」


鏡やガラスに映らないように気をつけなければ。



「ああ!エリオットさま、ご無事でよかった!」

「お屋敷に妙な連中が集まっていたので心配しました」

顔見知りの農家の夫婦が駆け寄ってきた。


「もう彼らは出ていったよ。マリアンナの知り合いだったようだ」

そう答えると、彼らは顔を曇らせた。

それほど彼女の評判は悪い。

ぼくは苦笑するしかなかった。


「マリアンナとは別れた。彼女は出ていった。アリアを置いて」

捨ててとは言わないことにした。

ぼくを殺そうとしたことも。

アリアの母親がそんな人間だったというのは知られたくない。


「ええっ!」

「そりゃあ、その、大変なことで」


「いや、気にかけてくれて嬉しいよ。これからもよろしく頼む」

「だああぅ」


アリアも挨拶をしている。

なんて賢いんだろうか。



神殿のまわりはいつになく賑やかだった。

「やあ、なにかあったのかい?」


「あ、エリオットさま、すごいことがあったんです!」

「マイクが金に光る鳥をみたんです。それはマイクに金の羽を一枚落としてくれて」

「その羽に触ったジェム爺さんが歩けるようになったんですよ!」

「マイクと爺さんが神様のおかげだって、神殿にお礼に来たんです」

「神官様はきっとフェニックスだったんだろうとおっしゃってます」

「もう羽は光らなくなったけれど、こんな奇跡は珍しいって」

「きっと領主さまにも報告されますよ!」


「へえ、そりゃよかったね」

ぼくは棒読みに言った。

心当たりがありすぎた。

フェニックス?

そんなもの、本当にいたのか?

100年ごとに燃えて生まれ変わる神獣だっけ。


そう。

もえて、うまれかわる。

なるほど。


ぼくは神殿に行くのをやめた。

アリアと引き離されるわけにはいかない。



商店で馬を取り寄せてほしいと依頼し、すぐに食べられるものを買った。

「歩いてこられたんですか?アリアさまを抱いて?」

店主が驚いていた。

馬がいないのだからしょうがない。

それに、なぜか疲労を感じない。


……これもフェニックスの力だろうか。


帰りは店主が馬車で送ってくれた。

マリアンナが出ていき使用人もいないと知ると、毎日御用聞きに来ると申し出てくれた。

ありがたいことだった。

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