7.二人目「北川 真理」



……放課後の16時。あたしの足は、カウンセリング部の部室へと向かっていた。


図書室のさらに奥、廊下の一番突き当たり。そこが部室だった。


別に何か、あいつに相談したいことがあるわけじゃない。ただ……



『偽善者の言葉には、いつも矛盾がある』



「……………………」


あたしはドアノブに手を伸ばし、扉を開けた。


「……そうですか、それならもう安心ですね」


中では、あの男がフローリングの床にあぐらをかいて、スマホで誰かと喋っていた。あたしが入ってきたことに気がついたあいつは、こちらに視線を送り、軽く手を振った。


そして、その上げた手をゆっくりと下ろし、自分とテーブルを挟んで真向かいにある座布団を指差した。そこに座れという意味であることは、あたしにもわかった。


「……………………」


あたしはとりあえず、言われたとおりにその座布団の上に、膝を折り曲げて座った。


「いえいえ、よかったですおばさん。もう退院できるなら」


「……………………」


「それじゃあ、すみません。そろそろ部活が始まりますから、電話を切りますね」


「……………………」


「ええ、ええ。それでは」


そうして、彼は電話を終えた。スマホをズボンのポケットに入れて、あたしに向かって微笑む。


その時、視界にたまたま包帯を巻いているそいつの右腕が映った。あたしはそれから逃げるように、目線を下の方へ切った。


「いや、ごめんね。お待たせ」


「……………………」


「一緒に住んでるおばさんが、この前事故に遭っちゃってさ。少し怪我をしてたんだけど、もう退院できるみたいで安心したよ」


「……………………」


「さてと……えー、とりあえず自己紹介でもしようか。俺の名前は中原 透。カウンセリング部の部長をやってる二年生だ」


「……………………」


「君の名前も、差し支えなければ教えてほしいな」


「……北川 真理、一年生」


「え!?と、年下だったの?」


「なに?文句ある?」


「文句っていうか……いや、ちょっと驚いただけだよ」


中原という男は、頭をかきながら苦笑していた。


「さて、北川さん。今日ここに来てくれたってことは……お昼の続きが必要ってことで、よかったかい?」


「……………………」


「……毒島先生と君で、何かいざこざがあった。そういう風に俺は解釈してるけど、間違いない?」


……あたしは中原から視線を逸らして、黙って頷いた。


「よければ、具体的にどういういざこざがあったか、話してもらえるかな?」


「……具体的に」


「うん、可能な範囲でいいから」


「……宿題を、忘れて、謝された」


「うん」


「それでムカついて、授業を抜け出した」


「……うーんと、北川さんが宿題を忘れて、先生に謝るように言われて、それに怒って北川さんは授業を抜け出したってこと?」


「いや、謝ったのは、クラスメイトの方」


「クラスメイト?」


「クラスメイトの時間奪ったから、謝れって。毒島がそう言った」


「あ、そっちか。確かにあの人は、そういうことやるね」


「……………………」


「それに腹が立って、抜け出した」


「うん」


「その時、何か先生から嫌味なことを言われた?」


「……クビにするって」


「え?クビ?」


「あたしをクビにするって」


「……ん?それはどういう意味?退学にするってこと?」


「そうじゃなくて、部下だったらクビにするって」


「部下だったら?うん?どういうこと?」


「だから!……つまり、その……!」


「いいよいいよ、焦らないで。ゆっくり話してくれていいんだ」


「……だから、つまり、もし毒島が上司で、あたしが部下だったら、すぐクビにするって」


「あーなるほど。もしも二人が会社に勤めていて、そういう関係性だったら、すぐクビだぞっていうことね」


「そう」


あたしはいつも、言葉が足りないと言われてきた。説明する時も相手に意味が通じてなくて、相手も自分もイライラさせるみたいなことが、たくさんあった。


そんなことが多いから、あたしは自分の気持ちを喋るのを諦めてた。どうせ言ったところで伝わらないし、意味ないって。


……でも、中原は話を聞いてくれた。初めてちゃんと、他人から全部聞こうとしてもらえた気がする。


中原は……こいつは偽善者なんだろうか?わからない。


「うーむ、なるほどなあ。おおむね分かってきたぞ」


あたしの話をあらかた聞き終えた中原は、腕を組みながら、なにやら難しい顔をしていた。


「……………………」




『全く……あなた本当に高校生ですか?そんなマナーもひとつクリアできない状態で、よく今まで生きてこられましたね』




その時あたしは、あのババアから言われたことがフラッシュバックして、胸がきゅーっと痛くなっていた。


当時の気持ちがそのままに、今この場で言われたかのように、鮮明に頭に響く。


いつの間にか目に涙が浮かび、顔が熱くなる。


「むーん、どう考えても必要以上に叱責しすぎだよな。あまりにも非合理的だ」


「……………………」


「なぜそんなに怒る必要が……?ああ、なるほど。見せしめなのか。自分が権力を持っていることの」


「……………………」


「やっぱり、あの先生はちっぽけだな。無意味なプライドが……あれ?北川さん、どうしたの?」


中原は、あたしが涙ぐんでいることに気がついた。あたしは両手でごしごしと目を拭って、じっと黙っていた。


「……北川さん」


「……………………」


貝のように押し黙るあたしを見て、中原は腰をあげた。そして、あたしの対面から真横へと移動して、あたしと同じ膝を曲げる座り方をした。


「……なんで、隣に来んの」


「嫌だった?」


「……………………」


「もし本当に嫌だったら、すぐにどくよ」


「……………………」


「これは俺の勝手な推測だけど……今、北川さんにいろいろ言葉を投げかけても、あまり意味ないっていうか……君にとってはただうざったいだけじゃないかなって」


「…………!」


「なら、黙って隣にいる方がいい。そう思ったんだ」


「……………………」


中原は、ぼんやりと前を向いているばかりで、あたしの方へ顔を向けることはなかった。


本当に、ただただじっと隣にいるだけ。


あたしも中原の方を見ることはなく、口を閉ざしてじっとしていた。


「「……………………」」


部室内が、しーんと静まり返っている。でも、不思議と嫌な空間じゃなかった。


普通なら、互いに黙り込んでしまった空間って、変な緊張感があってそわそわするけど、中原とはそんな風に感じなかった。


どうしてなのかはわからない。でも……少なくとも中原は、あたしに何も言葉を求めなかった。


何も話さなくていいと、何も気を遣わなくていいと、そういう雰囲気だった。だから気持ちが楽だった。


自分が発達障がいでも、許してもらえているような、そんな感覚だった。


(……こんなやつ、初めて会った)


あたしは最初、この中原も偽善者だと思った。


適当にあたしに優しくして、自分の評価をあげたいだけのやつなんだって。毒島と同じ部類だって。じゃなきゃ、初対面のあたしに優しく声をかける理由がない。



『偽善者の言葉には、いつも矛盾がある』



でも、中原からそう言われて、確かにそうかもと納得した。


毒島は嘘つきだ。あたしたちのためなんて思ってない。だから言葉に矛盾がある。でも中原には、矛盾を感じたことはない。こいつと話すと、頭がすっきりするというか、気持ちがよくなる。


だから余計に不思議だった。なんで初対面のあたしに、優しく振る舞うことができるのか。腕を噛んで傷つけたのに、なんで話を聞いてくれるのか?偽善でないなら、本当に善意で?


……わからない。


「……中原」


「うん?」


「なんであたしのこと、そんな気にかけられるの?」


「え?」


「……いや、その。腕とか、いろいろあったのに。普通に怒られると思ってたから」


「ああ、まあ……うん、そうだね。腕に関してはさすがに謝ってくれたら嬉しいけど、それは今じゃなくていいよ」


「……………………」


「でも、そうだね。俺も広い意味では、毒島先生と同じ偽善者だと思うよ」


「……え?」


あたしは中原の横顔を見つめた。彼はただ真っ直ぐに前を見やるだけだった。


「俺は、俺の自己満足で声をかけてる」


「……………………」


「君が階段で泣いていたのを見て、放っておけなくなった。放っておいたら、きっと俺はずっと気になってモヤモヤしてしまうから」


「……………………」


「そのモヤモヤを晴らすために、声をかけた。だからこうして君の話を聞こうとしたり、何か話をしようとするのは、君のためじゃない。俺のためだよ」


「……………………」


「全部俺の自己満足だし、ただのお節介。だから君は、別に何も気にしなくていい。俺も好き勝手やらせてもらってるから、君も好き勝手やればいいさ」


「……………………」


……その時、あたしは中原は嘘をついていると直感した。


『自分のためだ』って仕切りに言っているけど、そうじゃない。本当に自分のためなら、あたしが泣いていてもモヤモヤしないはず。そのことはあたしでもわかった。毒島と同じく、何か矛盾したことを言っているように感じた。


「……………………」


でもその嘘は、毒島と違って、なんだかあったかい気がした。










「……ん、もうこんな時間か」


中原がスマホで時間を確認して、そう呟いた。


「何時になった?中原」


「18時。そろそろ部室を閉めなきゃ」


「……ん、わかった」


「俺、一応毎日部活やってるからさ、また来たいなと思ったら来なよ」


「……………………」


「毒島先生のことについても、いろいろまた話そう。教頭先生とかに毒島先生のことを一緒に相談しに行ってもいいし、ただ愚痴を駄弁るだけでもいいし」


あたしは、静かに黙って頷いた。


「よし、それじゃあ俺は少し部室を掃除してから帰るから、北川さんはお先にどうぞ」


「……………………」


中原からそう言われたあたしは、出入口の方へと進み、扉を開けた。


そして、いざ出ていこうとしたその時、あたしはふいに中原へこんなことを尋ねた。


「ねえ」


「うん?」


「腕、痛む?」


「腕?ああ、全然全然、大したことないよ」


「……………………」


「心配してくれてありがとう、北川さん」


「……別に、心配してたわけじゃないし」


「そっか、でもありがとう」


「……………………」


あたしは中原の笑顔をまともに直視できずに、そのまま下を向いて扉を閉めた。


部室を抜けて、下駄箱へ行き、学校の正門を出る。いつもの帰宅コースなのに、なんだか景色がいつもと違う気がした。


「……中原、か」


無意識の内に彼の名前が、あたしの口をついていた。


「ん?」


ふと気がつくと、正門を過ぎてすぐのところに、ある女子生徒が立っていた。


灰色のショートヘアで、右目が前髪で隠れている。


その少女が、なんでかよくわからないけど、じっとあたしのことを見つめていた。


(なんか気持ち悪)


そう思いながらも、あたしはその少女の横を通りすぎて、家へと向かった。


「……………………」


でも、その日は真っ直ぐ帰ることはなかった。途中で100円ショップで寄り道をすることにした。













……ガヤガヤと騒がしい、朝の登校時間。俺はいつものようにあくびをしながら、正門をくぐっていた。


「ふあー、また今日も1日始まるのか~」


眠気をなんとか堪えつつ、俺は下駄箱へと向かった。


「……ん」


時々、右腕がピリッと痛む時がある。そんな時は一旦立ち止まって、包帯の上から手で擦るのがいい。


「おばさんたちにも無駄に心配かけちゃったからな……早く治るといいけど」


まあ仕方ないかと思いながら、俺は自分の下駄箱の前についた。下駄箱は上下二段に別れていて、上段が上履き、下段が外靴を入れるようになっている。


俺は上段から上履きを取り出して、外靴を下段へと入れようとした。


「ん?」


その時、下段には既に何かが入っていることに気がついた。それは、一枚の手紙と小さな消毒液だった。


「手紙と消毒液……?なんだこれ?」


手紙の方は、100円ショップとかによくある、花柄のかわいらしい一枚紙だった。


それには、差出人の名前は書かれていなかった。しかも、書いてあるのはたった一言だけ。




『ごめんなさい』




「……………………」


でも俺は、それは誰からの手紙なのかすぐに分かった。嬉しくて口許がつい緩みながら、俺はその手紙を丁寧に四つに折り、制服の胸ポケットに……大事にしまった。






──────────────────

後書き


「カミングアウト」私がADHDであることについて

https://kakuyomu.jp/users/gentlemenofgakenoue/news/16817330665838414743




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