8.自覚とライバル(1/2)




……私は、すごく怖くなっていた。


昨日、いつものようにカウンセリング部へ行って、中原くんとお喋りしようと思っていたら、部室に入るなり……中原くんから「ああ、西田さんごめん」と言われた。


「今日は1人、カウンセリングのお客がいて……」


「そうなんだ、わかった。また明日来るね」


「うん、ごめんよ」


「ううん、大丈夫。部活、頑張ってね」


申し訳なさそうにしている中原くんへ笑いかけて、いざ帰ろうとしたその時……私はふと、彼に質問をなげかけてみた。


「……あの、中原くん」


「うん?」


「そのカウンセリングのお客って、もしかして前から中原くんが言ってた……ツインテールの、階段で泣いてたっていう……」


「あ、そうそう。よくわかったね」


「……………………」


私は視線を、中原くんの右腕へやった。彼の右腕には包帯が巻かれていて、それが例のツインテール少女に噛まれたものだというのは、私も彼から聞いていた。


「……ねえ中原くん、私が言うのもおこがましいかも知れないけど、中原くんの腕をそんな風にする人のことを、大事にする必要なんてあるの……?」


「大事に、というと?」


「悩みを聞いてあげたり、気にかけてあげたりって……。いや、誰にでも優しいっていうのが、中原くんの良いところかも知れないけど、私はなんだか……心配かも」


「ははは、西田さんは優しいね。心配してくれてありがとう」


「……………………」


「でも、彼女は間違いなく……誰かに話を聞いてほしいと思ってる。その“誰か”が俺でいいなら、俺が聞く。そんな感じだよ」


「…………中原くん」


「それに俺は、誰にでも優しいわけじゃないよ」


「え?」


私が思わず聞き返すと、中原くんは少し切なそうな顔で笑っていた。



……部室を後にし、学校から帰ろうとしたけれど、私はどうしても……胸のモヤモヤが晴れなかった。正門前で立ち止まってしまって、学校から出ることができない。


今、カウンセリング部には、中原くんとそのツインテール少女が二人っきりでいる。その事実に、胸が締め付けられて仕方なかった。


(もし、そのツインテール少女が中原くんのことを好きになったら、どうしよう……)


そんなことが、頭の中をぐるぐるぐるぐる駆け巡る。


だって、中原くんは優しい。本当に優しい。あんな風に優しくされて、嫌な女の子なんているだろうか?


少なくとも私は……絶対嬉しい。間違いなく嬉しい。それを思うと、ずっとそわそわしてしまう。


(……いや、何考えてるんだろ。私は中原くんの彼女じゃないのに、そんな心配しちゃ……中原くんに迷惑だよね。私なんかがそんな……そんな……)


そうやって頭に浮かぶ不安を消そうとするけど、それでも脚は動かない。私はスカートの裾をぎゅっと掴んで、唇を噛み締めていた。


「……………………」


何十分かそこで立ち止まって、いろいろ逡巡した後、私は一旦正門を出てすぐのところで、ツインテール少女が出てくるのを待つことにした。


別に、その子へ何か言いたいわけではない。でも、一目どんな子か見てみたかった。


他の生徒たちが、正門のそばで佇んでいる私を、横目でチラチラと見てくる。その視線に耐えながらも、私はじっとその場で待機した。


……18時を超えて、カウンセリング部が終わる時間になった頃。ようやくその子は現れた。


橙色の長いツインテールをなびかせて、何やら物思いに耽っているような表情を浮かべていた。


「……………………」


私はその子を一目見た途端に……すごく、ショックを受けた。


なんて可愛い子なんだろうって、まず最初にそう思った。


幼子のようなあどけなさが残るけど、顔立ちがすごく綺麗で、赤い瞳の目も宝石みたいな透明感がある。よくお人形さんのようだ、なんて言い方を漫画の中で見かけることがあるけど、彼女に関しては本当に、西洋のお人形さんをそのまま歩かせているような……そんな印象だった。


(こんなに可愛い子と、中原くんはさっきまで一緒だったんだ……)


そのことを改めて認識した途端、私は急に……さっきまで抑え込もうと必死だった不安が、一気に増大した。


もしこの子が中原くんを好きになったら、私なんて勝ち目がない。私みたいなブサイクなんて、簡単に一蹴される。そう、私なんかじゃ……。


「……………………」


その時、たまたまツインテールの少女と目があった。心臓がきゅっと掴まれたような感覚に襲われて、私の身体はカチンと固まってしまった。


「……………………」


何を思ったのか、そのツインテール少女は私の顔を見て、眉をしかめていた。それはまるで「何見てんだよ?」と言わんばかりの表情だった。


(……ああ、ダメだ。私この子、絶対苦手なタイプだ)


こういう気の強い感じの人は、男性は当然だけど、女性でも苦手に感じる。あのオラオラパワーにいつも気圧されて、小さく萎縮してしまう。


彼女は私の横をスタスタと通りすぎて、そのまま学校から去っていってしまった。









……翌日。私は目の下にクマを作って、学校に登校していた。


結局、昨夜は一睡もできなかった。あの子の顔がずーっと浮かんで、それが全く消せなかった。


私と目が合い、顔をしかめた時のことが何回も何回も、頭の中でリピートされてしまう。そして仕舞いには、「お前はブスだ」とその

子が私へ語りかけてくる妄想まで見え始めていた。



『よくそんな顔で、中原くんのそばにいたいと思えるね?』



そんな感じで、妄想の中のあの子が、私を睨みながら告げてくる。


「……えー、この徳川家の三代目である家光についてだが~」


先生が授業を淡々と進めているけど、私は全く頭に入って来なかった。眠気と不安に頭を支配されて、手元にあるノートは真っ白なままだった。


でもクラスメイトのみんなは、板書されたものを黙々とノートに写している。シャーペンのカリカリと鳴る音がやけに耳に届く。


その音を聞いていると……自分がさらに、授業にもついていけないダメな人間なように感じてしまって、胸が苦しくなる。


(わ、私も集中しなきゃ……。今はあの子のことは忘れて……授業に、授業に……)



『だいたい、中原くんのことをあなたはどう思ってるわけ?』



でも、やっぱりまた妄想の彼女が私の頭に現れる。現実に見たあの眉をしかめた顔よりも、さらに怖く……人間じゃないような恐ろしい顔で。


(……私は、中原くんのことを……)



『また好きになるつもり?先輩の件で懲りたって言ってたくせに、ちょっと優しくされたらまた好きになるの?裏切られるのを怖がってたくせに、結局寂しくなって、また誰かにすがるんだ?』



(…………違う、私はただ……中原くんが部室に来ていいよって言ってくれて……それが嬉しくて……)


カリカリカリカリカリ……


クラスメイトたちの、シャーペンを動かす音が聞こえる。


私を置いてきぼりにする音が聞こえる。



『まあ、どっちでもいいよ。あなたが中原くんを好きであろうが、そうでなかろうが。どっちにしたって、中原くんはあなたなんか眼中にないから』



「……………………」



『中原くんは、私のもの。私みたいに可愛くて明るい女の子が隣にいる方が、彼だって嬉しいもの』



「…………い、いや……」


カリカリカリカリカリカリカリ



『あなたみたいなブスの陰キャと付き合ったって、楽しいわけないじゃない。身の程を知った方がいいよ』



「分かってる……そんなこと分かってるから、もうこれ以上……追い詰めないで…………」


カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ



『ねえ、あなた生きてる価値あるの?あなたみたいな人が生きてたところで、なんにもならないじゃない。授業にもついていけない、誰からも好かれない。そんなあなたが今この瞬間いなくなっても、誰も気がつかない』



「やめ……やめ、て……」



カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ



『ほら、早く。なにしてるの?』






さっさと死になさいよ






「やめてーーーーーーーーーーーー!!!」




……私は、いつの間にか席を立っていた。


絶叫が教室いっぱいに広がって、「やめて」の「て」の部分が、若干反響しているように聞こえた。


「はあ……はあ……」


滝のように額から流れる汗を、私は拭うことすらしなかった。机やノートの上にポタポタと落ちて、それをただ黙って見ているだけだった。


「ど、どうした?西田」


先生から声をかけられて、私はハッと我に返った。


先生からも、クラスメイトたち全員からも、注目を浴びている。一点に私へ視線が集まっている。


その目に耐えきれなくなった私は、吐きそうになっている口を押え「すみません、早退します」と小声で告げてから、荷物も持たずに直ぐ様教室を出て、女子トイレに駆け込んだ。


「げぇーー!おえっ!」


トイレの便器に向かって、口を開いてみた。でも、何も出てくるものはなく、ただ唾液が何滴か垂れるだけだった。


お腹から込み上げてきたものは物理的なものじゃなくて、精神的なものだったんだなと頭の中で思いながら、私はため息をついた。


「……………………」


脱力感に包まれていた私は、ふらふらとした足取りでカウンセリング部へと向かっていた。


もちろん、今はまだ授業中。部室が開いているわけがないし、中原くんがいるわけでもない。


それでも私は、ここに来たかった。


「……はあ」


部室の扉を背にして、私はその場にしゃがみこんだ。


床にお尻を置いて、膝を曲げて三角に座る。


「……………………」


この時、私は猛烈な眠気に襲われていた。昨夜から全く寝れていないことに加えて、教室を抜け出したことでドッと疲れが押し寄せてきていて、もう既に目蓋が重くなっていた。


「……中原くん」


なんとか悪夢を見ないように、頭の中に彼の顔を浮かべようとした。


でも、それは間に合わなかった。気絶して意識を失うかのように、私はいつの間にか眠ってしまっていた……。











……その眠りから覚めたのは、肩を揺さぶられたからだった。


小さく優しく、誰かが私の肩を叩いていた。


「……ん」


うっすらと眼を開けると、隣にはしゃがみこんで、私を心配そうに見ている中原くんがいた。


「大丈夫?西田さん」


「……………………」


「何かあった?なんだか顔色が悪いよ?」


「……中原、くん」


掠れるような声で彼の名前を呼んだ時、全身がぶるっと寒気に襲われた。


そしてそのまま、むずむずとした鼻がくしゅんっとくしゃみをした。


「ああ、やっぱりよくないよ。こんなところで寝てたら、身体冷えちゃうよ?」


中原くんは学ランのポケットから、ふた付きタイプの缶を取り出した。


「はい、西田さん。ココアだよ」


「え……?」


「今しがた自販機で買ってきたばかりだから、あったかいよ。ほら、どうぞ?」


「…………でも、これ」


「ん?」


「中原くんのじゃ、ないの?」


「ああ、違う違う。これは西田さん用に買ったやつだよ」


「……………………」


「部室の前で西田さんが寝ててさ、なんだか寒そうに身体を震わせてたから、起こす前に買ってきたんだ」


「……………………」


「それじゃあ、はい。もし飲みたくない気分だったら、飲まなくてもいいよ。持ってるだけでもあったかいと思うから」


私は目をぱちくりさせて、言われるがままに中原くんからココアを受け取った。


ふたを開けて、少し中身を口にする。温かいココアが鼻に香って、ほっと心が落ち着いた。


「どう?西田さん。あったかい?」


「……うん」


「そっか、良かった!」


「……………………」


「今日は、何か嫌なことでもあった?もし俺でよかったら、話聞くよ?」


「……………………」


「あ、それとも今は眠たい?もしあれだったら、部室の中で寝ていいよ。今日は相談に来た人も断るようにするからさ」


「……………………」


……私は、もう我慢できなかった。


中原くんの優しさが、あんまりにも染みて……涙が溢れて仕方なかった。


口をへの字に曲げて、眉をひそめる。ココアを持つ両手が震えて止まらない。




(……好き)




私は、はっきりと心の中で、彼に言った。


(中原くん、好き。大好き)


先輩に裏切られてから、もう二度と誰かに恋なんてできないと、そう思っていた。


誰にも心を開けないって、諦めてた。


「に、西田さん……?どうしたの?」


「……………………」


「……ハンカチ、いる?」


「……ううん、大丈夫」


「そ、そう?」


「……ありがとう、中原くん。いつもいつも、本当に……」


そう、どれだけ私が中原くんに救われているか、全部話してしまいたい。


こんなに私は嬉しいんだよ?支えられたんだよ?って、彼に伝えたい。


……だけど、今はまだその勇気がない。


(でも……でももう、私の心は今固まった。彼のことが好き。本当に好き。一緒にそばにいられるなら、私は……)




なんだってする。




「……………………」


ふと、私は中原くんの背中の向こう側……廊下の奥の方から、誰かが歩いてくるのが見えていた。


……それが一体誰なのか、私にはもう察しがついていた。


「何してんの?中原」


こちらへとやって来たその人は、中原くんへそう問いかけた。


その真っ赤な瞳で、私たち二人を見下ろしながら。












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