メラニーパート
第31話
天津風は敵の大軍勢に向かって突っ込んだ。
前列には盾を構えた兵がいる。その後ろに弓を引き絞る者、槍を構える者いる。
その数はロベールのときと比べものにならない。
まさにアリ一匹通さない鉄壁の布陣だ。
マリウスは落馬するほどに体を反らして、戦場に落ちていた槍を手に取る。
「我が名はドラランド軍、神槍のマリウス!! カリファへの亡命を望む!!」
槍を高く掲げ、カリファ軍に向かって叫んだ。
速度は落とさず、武人として勇ましく前進した。
武器を捨てて降伏するという見苦しいことはしない。
カリファが攻撃してきたら死ぬ。もうそれしかないから。
まだ弓は放たれない。
100メートル、50メートルと近づき、兵士たちそれぞれの顔もはっきり見えてくる。
その何百、何千もの目がこっちをにらんでいる。
これまで感じたことない殺意の塊に吐きそうになる。
でもここで無様な姿は見せられない。
死ぬときはマリウスと一緒にかっこよく散ってみせる!
もう少しで軍勢にぶつかりそうだ。
あと数秒。あと数歩……。
盾にぶつかって死ぬか、槍に串刺しになるか……!?
「引けい!!」
号令が下され、眼前に馬が一頭通れるだけの道が開いた。
もう一瞬遅かったら衝突していたかもしれない。
マリウスは天津風を走らせ、その道を泰然と駆けていく。
トカロンとニノンも続いた。
私たちを見張る将兵の目は異常だった。
何をしでかすつもりなのか。急に亡命のために現れた敵は、不審の塊でしかないだろう。
こちらも急に何をされるかわからず、不安と緊張感は凄まじいものだったけど、周りには数千の兵士。煮るなり焼くなり好きにしろって状況だ。
私たちは本陣にある大将の陣幕に通された。
入ったとたん、十数人の将兵ににらまれる。
奥にいたのは、カリファの皇太子テオドールだった。
全身まっ黒な甲冑に身を包んでいることから「黒太子」と呼ばれている。
戦争についてあまり知らない私でも、一目見てその大将がテオドール黒太子だってわかった。
外見は20歳ぐらいに見えるけど、その姿は威厳に満ちていて、この人には絶対に従わないといけないと反射的に思わせてくる。
戦場に似つかわしくない、つやのある長い黒髪で端麗な顔つき。甲冑を着ていなければ女性に見えるかもしれない。
「ここに来た目的は?」
テオドールは簡潔に問う。
やや中性的だけど、冷たく鋭い声だった。
マリウスが少し口を開きかけ、そして閉じた。
なんと答えるかは決めていたはずだけど、このテオドールを前にしてその言葉では説得できないと思ったんだと思う。
中途半端な問答は絶対に許してくれない。そんな雰囲気が痛いほどに伝わってくる。
「我々は」
意を決してマリウスが話し始めるけど、私は言葉をかぶせて言う。
「天に昇るため!」
マリウスだけでなく、そこにいたトカロン、ニノンはもちろん、カリファの将もびっくりしていた。
でも、テオドールだけは眉一つ動かさなかった。
「天に昇れ。私たちは神にそう命じられ、こうして旅をしております。これからお話するのは、ドラランドに馴染みのある神話。我らがベーシリスの神は、創造神によって恋を罪とされ、地に落とされました。星にされた愛する女性に再び出会うため、神は天に昇ろうと地を這いずり回りましたが、それは叶いませんでした」
私はつらつらと神話を語り続けるが、テオドールはまっすぐに見つめるだけで、何も口を挟まず聞いていた。
その目は鋭く、少しの間違いでもあれば、視線だけで殺されてしまいそうだ。
「その思いは我らへ引き継がれたのです。そして、神馬・天津風を授かりました。今は地を駆けるだけの存在、しかしいずれ、自由なる天へと昇ってみせろとおっしゃられた」
陣幕内がしーんと静まりかえる。
将たちはその話を笑い飛ばしたいか、怒鳴って批判したいのだろうけど、テオドールの御前とあって黙って耐えているように見えた。
「そのような戯れ言を私が信じるとでも?」
ようやくテオドールが口を開いた。
もちろん信じてない。こちらを見下しているような感じだ。
「はい、神槍のマリウスが戯れ言を言うために、わざわざ敵国へやってきたと思われますか」
そこであちこちで、カチャっと金属音が鳴り響く。
将たちが剣の柄に手を触れた。
けれどテオドールはすぐに手で制止したため、私は斬られずに済んだ。
「いかにして天へ昇る?」
「わかりません……。でも今は生きることが天に続く道だと思っています」
「ふむ」
テオドールがそう言った瞬間、私の喉元に剣が突きつけられていた。
神速の動きで、自身の剣を抜いて私に向けたのだ。
その動きに反応して次の瞬間には、マリウスとトカロンは剣の柄に手をかけ、カリファの将は皆、剣を抜いていた。
「この場をいかに乗り越え、いかにして生きるか?」
危機一髪とはよく言ったもんだ。髪一本分の距離で、私の喉は引き裂かれてしまう。
私は素手でテオドールの剣を掴んだ。
触っただけなのに皮膚が切れ、鋭い痛みがして血が流れ出る。
「殿下を殺し、数十の将を斬り、数万の大軍を蹴散らしてみせます」
誰でもわかるはったりだ。
テオドールの綺麗な額にしわがよる。
「恋が罪だと言ったな?」
テオドールは剣を私に向けたまま、マリウスを見る。
「仲を引き裂かれ、二度と会えぬようになっても、再び会おうと思うか?」
「思います。この旅で私は恋の尊さを知りました。たとえ死に別れようとも、地に潜り、冥府まで追いかけてみましょうぞ」
マリウスもまた真剣に答える。
そこでテオドールはふっと笑った。
「手を放せ。指が飛ぶぞ」
私は言われるままに刃から手を放した。
テオドールは剣を振って血を飛ばして鞘に収めた。その流れるような動きに見とれてしまいそうだ。
「亡命を許す。恋に興味はないが、地を這いずる者に興味を持った」
マリウスに向かって言う。
「これよりカリファの将としてドラランドを討て」
「はっ!」
マリウスは跪いて頭を下げた。
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