第25話

「あ……あれ……」


 私は崖に落ちて死んだんだろうか?

 確かに崖へと飛び込んだはず。でも私には意識があった。

 なんとか体を起こして、辺りを見渡すと完全な闇。何も見えなかった。

 体に痛いところはなく、どうやらケガはしてないみたい。

 でも、崖から落ちて無傷ということがあるんだろうか。そして、一緒に落ちたマリウスはどこに行ったのか。

 状況を確認しなくちゃと思ったとき、何かが動いた。


「マリウス!」


 それは人の形をしている。

 そしてキモノに身を包んで、仮面をつけていた。

 そんな格好をしているのはマリウスしかいない。

 しかし、違った。

 仮面を外すとまったく違う顔が出てきた。

 けれど、私はその顔を知っていた。


「神様!?」


 長い髪に凜々しくも愛嬌のある顔。年齢は人間で言うと若いほうに入るけど、神様だとどうなるのかはわからない。

 ハリバルの描いた肖像画に書かれていた人物にそっくりだった。


「ほう、我を知っておるとは」

「本当に神様なの……?」

「いかにも」


 神様は得意げに笑うので、逆に怪しく見える。

 考えてみれば、どうして真っ暗なのに神様の姿が見えるんだろう。そして、神様がその体から光を発していたことに気づく。


「本当に神様ならば教えていだけませんか?」

「言ってみろ」

「どうして神様は人の花嫁を欲するのですか?」

「我が?」


 神様は存外といった顔をする。


「はい、神様が花嫁を要求するから、若い女性が人柱として供えられるのです」

「ふむう……」


 神様は首をひねる。


「まあ確かにそういうことになっているが、我が求めたわけではない。人が勝手にやっていることよ」 

「え、そうなの……」


 ずっと知りたかったことだけど、神様本人に違うと言われてしまうと困ってしまう。


「じゃあ、なんで人柱なんか……」


 神様はまったく望んでいないのに、人が勝手に生贄を捧げている。

 そんなことあっていいんだろうか。

 それでこれまで多くの人が亡くなっただろうし、私たち姉妹も命を落とすところだったんだ。

 これまでの価値観が一気に崩れてしまう。悪いのは神ではなくて人……?


「だがな、あながち間違っているわけではない」

「ど、どういうことですか……?」

「我が人柱を望んでいるわけではないが、人柱は我にとって望ましいものではある」

「うん……?」


 神様の言うことがいまいち要領を得ない。

 神様が人柱を望んでいるなら、私が恨むべきは神様ということになるんだけど。


「神にとって必要なものを知っているか?」

「必要……? 威厳、とかですか?」

「ふむ、そう言うこともできよう。神は威厳を持つことで人に敬拝される。神が神であるためには人に信仰されることが必要なのだ」

「信仰……」

「人が我に花嫁を捧げる行為は、信仰として最も大きなことに部類される。花嫁自体は神にとって不要で無用だが、神を崇敬して信仰する心は大きな要素となる」

「はあ」


 神様の言うことはわからなくもないけれど、人とは立ち位置が違いすぎて、どこまで重要なことを言っているのかは把握できなかった。

 人は威厳や信仰があっても生きていけない。まず、空気や食べ物が必要と言いたくなってしまう。


「では結局、人柱は必要なのでしょうか?」

「あることに越したことはない」

「うーん……。では、人柱を捧げれば、怒りを収めてくれるのでしょうか?」


 人がなぜ人柱を立てるか。安全に、砦などの大地を作り替えるかのような巨大構造物を作るためだ。


「怒り? 我がいつ怒った?」

「ルーベ砦の事故は、神の怒りに触れたから起きたのではないのですか?」

「知らぬな」


 やっぱりだ。

 神が怒ってるから人柱が必要なんて嘘だった。


「えっ、ちょっと待ってください。そうでないなら、神様は何をしにここへ……? 私を娶りに来たんですか?」

「そうだったらどうする?」


 神様は人のように意地悪な顔をする。

 神様は世界の理なんだから、真実だけを話してほしいと思ってしまう。


「……申し訳ありませんが、それにはお応えできません」

「花嫁衣装をしていてよく言う」

「それは……」


 神様がこの場に現れたのは、自分のために用意された花嫁を回収にしに来た、というのが一番納得いく状況だ。

 実際、花嫁の儀では、花嫁の前で神を呼び出すことになっているのだから、祭祀の娘がそれを否定することはできない。


「私は花盗人に盗まれてしまい、その身は花盗人のものとなりました。もはやあなたのものにはなれないのは、神様もご存じではずです」

「ふははは! まさか花盗人の理屈を持ち出されるとはな!」


 神様は快活に笑う。ほんと人間みたいな神様だ。


「ではわかってくださるのですね……?」

「無論。その慣習を始めた者が否定するわけにはいくまいよ」

「え?」

「なんだ知らないのか? 我が花嫁を強奪した英雄譚を」

「えええっー!? 神様が初代花盗人!?」


 花盗人はもともと神話だ。

 大昔、ある神様が創造神の娘に恋をして駆け落ちしてしまった。しかし創造神は許さず、神様に呪いをかけ、岩に縛り付けて動けなくした。そして娘は星にしてしまい、二人の中は永遠に引き裂かれた。


「いかにも」


 神様はここでも得意げに笑った。


「その神より花嫁を盗むとはなんと面白いことか! 久方ぶりに姿を現したかいがあったわ! そら、初代の計らいだ。受け取るがよい」


 そういうと仮面を投げた。

 地面に落ちた仮面は泥のように溶け、膨張するように大きくなっていく。

 そして、形を変えて馬の姿となった。


「我は地の神メレディス。天には決して近づけぬが、天に向かって吹く風ぐらいは起こせる」


 泥の馬は徐々に形が整っていき、たてがみと尻尾が生えて美しい白馬となった。


「我が愛馬の名は天津風(あまつかぜ)」


 私はそこでようやく思い出した。

 ハリバルが書いた肖像画にも白馬が描かれていた。

 やがて白馬が走り出すと、周囲にものすごい突風が吹き荒れる。

 私は飛ばされそうになり、目も開けられないほどだった。


「花嫁よ、かようなところで下らぬ死をさらすな。天に向かって羽ばたき、本懐を遂げてみせよ!」

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