第24話

「わざと隙を作って、ここへ追い込んだんだ……。俺が浅はかだった……」


 ロベールは地形を把握した上で、私たちがこの崖に進みやすいように兵を配置していたようだ。

 

「私のミス……?」

「メラニーのせいじゃない。あそこでは進むしかなかった。ロベールが一つ上手だったんだ……」


 策士ロベール。

 奇策で何百、何千ものカリファの将兵を葬ってきた、ベーシリス随一の知将。

 決して侮ってはいけない相手だということにようやく気づく。

 しかしあまりにも遅すぎた。

 背後から喧噪が迫ってきて、あっという間に退路は大勢の兵で埋め尽くされてしまった。

 そして中から、一人の騎士が前に進み出る。

 策士ロベール本人だ。


「剣を捨てて降伏せよ。今なら命だけは助けてやろう。速やかに花嫁を解放するのだ!」


 きっとそれは最後の警告。

 後方から弓兵が出てきて、弓に矢をつがえた。

 10、20じゃきかない。無数の矢がこちらに向けられている。

 脅しの可能性はあるけれど、ロベールは顔は父のそれではなく、自分の策から逃れようとした愚かな敵に向けられたものだった。


「……マリウス、降伏しよう」


 私は決断した。

 このままだと二人とも確実に死んでしまう。

 崖は深く、とても飛び降りられない。

 また、いくらマリウスといっても、強引にこの包囲を突破するのもかなり難しいだろう。もはや父の慈悲はないんだ。


「バカを言うな!」

「でも、どうしようもないじゃない!」


 マリウスに否定されるが、私の気持ちは変わらない。

 降伏すれば、私はその後連れ戻されて、人柱になるんだろうか。たぶんもう私がニノンでないことはバレているから、ニノンが既定通りに人柱になるかもしれない。

 一方はマリウスはどうだろう。きっと重罪になる。でもさすがロベールも息子の命を奪わないと思う。

 私の本音ははじめから決まってる。

 私は……マリウスに死んでほしくない。


「諦めるな!!!」


 マリウスに一喝される。

 マリウスにこんな大声で叫ばれたことがなかったので、絶体絶命の戦場できょとんとしてしまう。

 おそらく周りの兵士たちも同じだと思う。


「俺は君を助けると言っただろ! なぜそれを信じてくれない!」


 信じてる。

 でも現況は人が突破できるようなものじゃないんだ。マリウスもわかってるはず。


「俺は誓ったんだ……。必ずやこの包囲を突破してみせる。そして、君と果てしなく広がる自由な大空を見る!!」


 マリウスの目は真剣そのものだ。絶望しているわけでもないし、甘えがあるわけでもない。

 本当に生還できると信じている。


「……信じるよ」


 そんな目を見させられたら、私も覚悟を変えないといけないじゃない。

 このまま死ぬ運命だったとしても、私はこの判断を絶対に後悔したりしない!


「きゃっ!?」


 突然、マリウスは馬上で私を自分の胸のほうへ引き寄せた。

 矢が当たらないようにかばうためだ。


「突破するぞ、松風!!」


 マリウスに呼応するように、松風が高らかにいなないた。

 そして弓兵に向かって突撃させる。

 弓兵は突撃に怯えながらも退くことなく、攻撃の号令を待っている。

 本当ならこっちが動き出したときに攻撃命令を下すべきだったのに、すぐにそれをしなかったのはロベールにも迷いがあったのかもしれない。


「放て!!」


 しかしついにロベールの号令が下った。

 弓兵が右手を放し、矢は待ちかねたかのように前へと勇んで進み始める。

 矢は吸い込まれるようにこっちに向かってきた。


「なっ!?」


 マリウスが困惑の声を上げる。

 それは私も同じだった。急に体が後ろに傾いたからだ。

 マリウスは矢を甘んじて受けるつもりだったが、松風は前足を空高く上げてのけぞった。

 矢に驚いたんだろうか。


「きゃあっ!?」


 私たちは振り落とされて、落馬してしまう。

 地面に衝突しないよう、マリウスがかばってくれたけど、強い衝撃が伝わってきた。

 松風の悲痛ないななきが聞こえる。

 そして目の前に大きな音を立てて倒れ込んだ。

 それには無数の矢が突き刺さっている。

 私はいななきが断末魔だったことを知る。

 そしてでようやく、松風が驚いて私たちを振り落としたのではなく、その身を挺して私たちを助けるために一人立ちはだかったことを理解した。

 百戦錬磨のマリウスの愛馬が矢に驚くわけがない。私は無礼なことを考えてしまった。


「松風!!」


 マリウスが駆け寄るが、反応はなく、すでに事切れていた。

 数日、私たちのため休みなく走り続けてくれた松風が、最後まで私たちにその命を燃やしてくれた。

 自然と涙が溢れ出てくる。

 松風のために泣いてあげたいのは思うのはマリウスも同じだったと思う。でも、マリウスはすぐに立ち上がって私をかばうように抱える。

 そう、危機的状況はまだ続いているんだ。

 弓兵はすでに次の矢をつがえていて、その手を放せばすぐに私たちの体に突き刺さる。

 マリウスは弓兵に剣を向けて牽制しようとするが、松風という突破力を失い、この多勢無勢ではただの強がりにしか敵には見えないと思う。

 けれどマリウスは違った。


「我は花盗人! 神の花嫁を盗む大罪人なり! 者ども、我と共に神の怒りを受ける覚悟はあるか!?」


 魂がぶつかってくるかのような叫びに、兵士たちはたじろいだ。

 ただ一兵に数百の兵はおびえて一歩退き、冷や汗をかいた。


「勇なき者は退け! 神の妻を奪う罪、神の怒りは我が引き受けん! そばにおれば巻き込まれようぞ!!」


 マリウスは私を抱えたまま一歩ずつゆっくり前進する。

 鬼気迫るとはこのことだろう。

 マリウスにすさまじい威厳を感じ取って、兵士たちもそれに合わせて一歩ずつ下がった。


「ひ、怯むな!! たかが一兵に何を手間取っておる! 放て放て!!」


 それでも名騎士ロベールは的確に命令を下す。

 弓兵も職責を果たすべく、勇気を振り絞って、矢をつかむ手を放した。

 死ぬ。

 私はそう思った。

 さすがのマリウスも至近距離の矢を防げるわけがない。

 でも私は怖くなかった。マリウスと一緒に死ねるなら何も不安はない。

 この数日間つらかったけど、マリウスと何度も困難を乗り越えた経験は何にも代えがたかった。

 マリウスにさらわれて私は幸せ者だ。もはや何も思い残すことはないだろう。

 ……そんなわけあるか!


「マリウス!」


 マリウスは一緒に生還すると言ってくれたんだ。少しの可能性にでも賭けてやる!

 私はマリウスの腕を強く引っ張る。

 そしてマリウスを道連れに崖下めがけて飛び込んだ。

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