第22話

 数日ぶりに体を洗うことができて、心身共に綺麗になった気がする。


「ふう……」


 私たちは倉庫としている小さい小屋を借り、荷物を片づけてくつろいでいた。

 何度も二人で野宿したけれど、改めて小屋の中で二人っきりだと思うと、妙に意識してしまう。

 道中、二人で交代して睡眠を取っていたけど、マリウスはあまり寝ていなかったと思う。やっぱりマリウスは自分がなんとかしなければという意識が強すぎる。

 でも今日はさすがに疲れたのか、マリウスはもう横になって寝てしまった。

 久しぶりに屋根と壁のある環境はそれだけでほっとする。それは雨風を防ぎ、剣や矢も通さないのではないかと思うほど。

 それでも剣を抱いて眠るのはマリウスらしかった。

 私はマリウスの横に腰を下ろす。

 ここ数日はずっと厳しい顔をしていたが、今は穏やかな顔で静かな寝息を立てている。

 私をかばってケガした腕はよくなってきた。ようやく新しい包帯を巻けてちょっと安心できた。


「ありがとう」


 私はそう言ってマリウスの髪を撫でた。

 この逃避行で私のできることはほとんどなかった。全部マリウスのおかげだ。

 これまでもこれからもマリウスの世話になると思う。

 でも、マリウスほどの人にそこまでしてもらう価値や意味は自分にあるんだろうか。

 何もなければ、騎士として後世まで武名を馳せることになったはず。でもすべて私のために無に帰してしまった。


「私は何をしてあげるんだろう……。」


 考えても答えは出ない。

 自分があまりにもちっぽけ過ぎて涙が出そうだ。


「……いけない。ネガティブになっても何も解決しない」


 どこで難をしのぐか、どうやってニノンを助けるか、など困難は他にもいっぱいあるけど、今すぐどうにかなるものじゃない。

 今日は安心できる寝床を確保できたんだ。それに満足して寝てしまおう。

 私はマリウスの隣で横になる。

 静寂の中に微かに聞こえるマリウスの寝息。

 体を寄せると温かくとても安心できる。この温かさに何度も助けられてきた。心を引き裂くような困難があっても自分を保っていられる、ここにいさせてくれる。

 床に耳をつけたとき、かすかに振動を感じた。

 初めは気のせいかと思ったけど、一定の間隔で振動が伝わってくる。

 それはどんどん近くなってくる。

 たぶん足音だ。

 私ははっとして体を起こす。


「マリウス」


 マリウスを起こそうとしたけど、マリウスはすでに剣の柄を握り、耳を地面につけていた。

 マリウスも同じように思ったようだ。

 この足音はハリバルじゃない。敵が静かに接近してきている。

 小屋に窓はないため、周りの様子はわからないけど、かなりの数がいるんじゃないかと思う。


「バレたの?」


 私は小声で聞く。


「いや、裏切られたらしい」

「え? ハリバルさんが通報したってこと?」

「俺たちがここに立ち寄る当たりはつけていたかもしれないが、それにしても早すぎる」


 私たちがハリバルの山小屋についたのが昼間だ。

 そしてその深夜には、追っ手は準備万端、ひっそりと奇襲しかけようとしている。


「どうしてそんなこと……」

「叔父の嫌いな政治的な話だ。安寧を失いたくなければ居場所を教えろと脅され、取引をしたんだろう。人の自由など思った以上にもろいようだ」


 おそらく積極的に私たちをはめようとしたわけじゃないんだろうけど、結果的にはどっちでも同じ。

 こっちは寝起きの状態、向こうは完全武装して取り囲んでいる。絶体絶命だ。


「相手の出方によるが……強行突破するしかない」


 マリウスはいつも以上に真剣なトーンで答える。

 それだけ状況が状況のようだった。

 きっとすでに幾重にも包囲されていて、簡単には突破できない。

 そのとき、外から大声で呼びかけられた。


「我々はすでに包囲している! 速やかに花嫁を返せ!」


 それはマリウスの父ロベールのものだった。


「元来、花盗人に取られたものは取り返さないのが流儀。だがそれは人間同士においてのことだ。神の花嫁を奪った行為は許しがたい蛮行。直ちに花嫁を返せば、神にも慈悲があろう」


 ロベールは細かく事情を説明するけれど、これはこっちへの呼びかけをしつつ、兵士たちの士気を上げるために言っているようだった。

 恋愛成就のために花盗人は許されることになっている。なのにそれを妨害するのは、人の営みを否定することで、兵士にとってあまり気分のいいことじゃない。でも今回は神の意向に沿う行為だと主張する。


「これが父の慈悲ということか」

「どういうこと?」

「花盗人がまことの罪人であれば、こうして呼びかける必要はない。すぐに討ち取り、花嫁を奪還すればいい話だ。だが、一気に攻めて来ないのは、俺に対しての配慮だろう」

「命は助けたいってことね」


 確かにロベールはマリウスの名前を出さなかった。

 身内の恥を隠したかったのかもしれないけど、どちらにせよマリウスを殺したいという思いはあるように思えた。


「ああ。だが、その甘さを後悔することになろう」


 そう言ってマリウスは伝統衣装を羽織り、花盗人の仮面をつけた。

 私もハリバルにもらったナイフを手に取る。

 しかし、マリウスは私の腕を掴んで首を振った。


「私だって戦えるよ」

「それはわかっている。……でも、君が戦ったら共犯になってしまう」


 その腕を振り払おうとするがまったく動かなかった。


「わかった……」


 マリウスは私が戦えることは認めてくれた。でも、これはあくまでもマリウスが一方的に誘拐しただけで、私は関係ない、という状況にしたかったんだ。

 共犯で構わないと言いたかったけど、マリウスの意思の強さは腕にこもる力から伝わって来たので、私は諦めるしかなかった。

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