下
「えっ、あの、兄さん、その、好きってそれは……」
「ところで月乃ちゃん、課題はいいの?」
「あ……」
どうにか復帰した月乃は先の言葉の真意を言及しようとしたが、秋夜の指摘で目の前の課題の存在を思い出し、止まらざるを得なくなった。
課題は全く手がついてない。月乃の唖然とした表情からそのことを察した秋夜は「飲み物、持ってくるね」と言って立ち上がる。
「飲みたいものはある?」
「……熱いお茶で」
「りょーかい」
扉一枚で隔たれた台所へ向かうのを見送った月乃は、秋夜が帰ってくるまでを目標に意識を目の前の課題に集中させる。
秋夜のことも気になったが……席を外したことは秋夜なりの気遣いあってのことだ。それを理解しているからこそ、諸々の思案を中断して月乃は課題に集中できた。
■■■■
「お疲れ様」
月乃が課題を終えたタイミングで秋夜は二人分のマグカップを持って台所から戻って来た。
「何かやってたんですか?」
「んー、ちょっと夕飯をね。お父さんたち、今日も残業だって」
「ああ……」
月乃は秋夜が長く台所にいた理由に納得して受け取ったマグカップに口をつける。程よく温いお茶が少し冷えていた体に染みた。
「ふぅ……」
「これ飲んだら寝よっか」
「ですね――じゃないです!」
課題を終えたことの達成感も相まって秋夜の言葉を肯定しかけた月乃だが、どうにか踏みとどまる。
月乃的に、まだ先の言葉の真意を聞いてないのに寝るなんて無理なこと。無論、聞かなくても殆ど答えは出ているようなものだが……相手は秋夜。確実な言葉を聞かなければ判断は難しい。
「ありゃりゃ、誤魔化せなかったか」
「そうです。それで、さっきの言葉の真意は――」
「文字通りだよ?」
「――それはつまり、兄さんは私が好き、と」
「うんうん」
「……っ!」
自分で言ったことながら、秋夜にからかわれることもなく肯定されたことで羞恥心が湧いて来た月乃は顔を明後日の方向に向けてぎゅっと目を瞑る。
心臓が煩い。わかってはいたが、よりはっきりとした言葉を肯定されるというのは、非常に心臓に悪いことだった。
「ちなみに異性として、だよ」
「っっっ!」
からかっているような声音で追撃の言葉を重ねられてしまい、月乃は咄嗟に耳まで塞ぐ。
好き――それも異性として、と。それは月乃としては非常に嬉しいことであり、同時に心臓にとっても悪い情報でもあった。何せ想い人からの告白と言っても過言じゃない言葉だ。目も耳も塞いでいるが、その内心、月乃は歓喜でどうにかなりそうだった。
秋夜はその様子を微笑まし気に眺めながら自分のマグカップにお茶のおかわりを注ぐ。彼の顔も心なしか少し赤くなっている。月乃は気づいていなかったが、秋夜も恥ずかしい台詞を言っている自覚はあるのだ。それを上手く月乃にバレないよう隠しているだけで。
「……ここまで計画通りなのかねぇ?」
そう呟きながら秋夜は寝間着に使っている紺色のパーカーのポケットに入れていたスマホの、メッセージアプリの画面を眺める。告白の場面を月乃が見ていたことをリークするメッセージだが、今の秋夜にはそれが果たし状に似た何かにも思えた。
数十分の時間を要したが、月乃はどうにか復帰した。若干表情に疲労が滲んでいるが、顔は真っ赤なまま。どうにか秋夜と話せはするが、顔を合わせて話すのは難しそうだ。
秋夜はそんな月乃の次の言動がどのようなものかと眺めるばかりで、動く気配はなかった。
「……兄さんはズルいです」
「それは褒め言葉として受け取っておくね」
「受け取らないでください」
責めているんです。と目一杯睨みつけている月乃だが、少し頬が膨らんでいるせいで怖さは微塵もない。寧ろ可愛さすら覚えてしまい秋夜は微笑まし気に見つめ返してしまう。
「責められてもねぇ……僕は自分の気持ちを正直に表現しただけだし」
「そっ!? ……れはいいことだと思いますけど! 今じゃなくてもよかったと思います!」
「どうして?」
「どうして、って……」
月乃の言葉はそこで途切れてしまう。半ば勢いだけで叫んだが故に、具体的な理由は言語化されていない。考えてすらいなかった。否、考えることを忘れていた、という方が適当だろう。なにせいつもなら、秋夜の「可愛い」や「好き」という言葉でキャパオーバー寸前になった月乃の言葉は受け入れられていたのだから。
秋夜の冗談という形で。
「……兄さんはズルいです」
「それ、さっきも聞いたなぁ」
「ホントにズルいです。不公平です」
「具体的にどのあたりが?」
「兄さんばかり好意を伝えてるところが、です」
「そうかな?」
「そうです……私は、伝えられないから」
そう言って月乃は目を伏せる。膝の上で握られていた両拳はギュッと力強く握られ、肩は震えていた。
「んー、その言い方だと、月乃ちゃんも僕に好意を抱いてることになるんだけど……それでも伝えられてないって、そう僕が捉えても伝わってないって、言える?」
「え?」
諭すような優しい声音で紡がれた言葉で、震えが止まる。
それでも怯えた様子が見え隠れする月乃が、初めて会った頃の月乃と重なって秋夜には見えた。
「僕には、月乃ちゃんも僕のことを好いていくれてるように見えるってこと」
「――っっっっっ!!!」
違うのかな? と秋夜は首を傾げ、上目遣い気味に尋ねる。演技じみた動きであるが、月乃には非常に効果のある一撃だった。
「……違くない、です」
「そう……」
どうにか紡ぎ出した言葉に端的に返して秋夜はマグカップに入っていたお茶を飲み干す。
「……そろそろ寝よっか」
そう言って秋夜は席を立つ。
壁掛けの時計の短針も間もなく日付の変更を告げる時刻を示していた。それほどまで時間が経っていたことに驚きを隠せない月乃だが、納得をした様子で彼女もカップに残っていた分は飲み干して、秋夜に続いて台所に向かう。
「コップ置いといて。先に寝ちゃっていいから」
既に流し台の前に立っていた秋夜は、器用に月乃が来たことを察して、横のコンロをコンコンと叩く。
月乃はその言葉に従ってコップを渡すが、秋夜が先に寝ようとは思っていないため、居間と繋がる扉の前で待っていた。
「あ、あの、兄さん」
「んー、どうしたの?」
「兄さんはその……お、お付き合いをしたい、とか、思わないんですか?」
秋夜は「そうだねえ」と呟き、少し考えるように手を止めて、天上を仰ぐ。
主語が欠けているが……流れを踏まえるに「月乃と」と解釈して間違いないだろう。言葉にすることに気恥ずかしさを覚えながらも、素直に言葉にしようと腹を括って口を開いた。
「そりゃあ、思うよ」
「な、なら――「だけどね、月乃ちゃん」」
月乃の言葉を遮って秋夜は言葉を続ける。その声には悲痛さが漂っており、どことなく寂しげに感じるものだった。
「僕は月乃ちゃんが思ってる以上に臆病で、月乃ちゃん以上に変化することが怖いんだよ」
そういうとこ、やっぱ生活環境が一緒だと似るのかな。と苦笑半分に呟きながら、秋夜は蛇口を捻り水を止めた。
心なしかその顔はうっすらと赤みを帯びているようだった。月乃にもわかる位の、秋夜に余裕がないからこそ隠せなかったそれが、月乃はより秋夜について知ることが出来た気がして嬉しかった。
しかし知れたからこそ分からなければ良かったと思う部分も見つかるもの。それが自分と似てる――否、それ以上に酷いというなら尚更、月乃にとって悪い可能性が脳裏に浮かんだ。
「じゃあ、もしも私が告白したら――」
「きっと付き合うんじゃないかな。だけど、今は止めてね」
「え?」
思わぬ答えを二重に貰い困惑する月乃に、秋夜は急接近して耳元で囁くように言う。
「(僕も今、正直嬉しさでどうにかなりそうだからね)」
「――」
その晩は非常に快眠だった秋夜に対し、月乃は殆ど眠れずに翌朝を迎えることとなった。
藍花の花芽 束白心吏 @ShiYu050766
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