第18羽 羽化のお守り

 もしもの話。

 僕と母さんが同じ血液型だったらどうしたろう。

 仮に血が足りなくて死にかけた息子が目の前にいたとして――


 母は僕に血を与え分けてくれただろうか? 

 

 いや、あの人が生きていたとしても輸血を望まないだろう。

 希少な血液型か。

 昔から僕のことを過保護に扱っていたのはそういう理由だったのかな。

 案外母さんも幼い頃からこういうブラッドコンプレックスを抱えていたのかもしれない。

 しかし、母さんはあまり過去を語りたがらない。

 おそらく教義に反したことをしたという罪悪感が付きまとっているのだろう。

 普通の血液型なら何か変わっていたのかな。

 というか、普通の血液型って何型なんだよ。

 まあそれこそ、朝の情報番組の占い結果が変わる程度のことか。


 そもそも母さんが入信した理由も僕は深く知らない。

 教祖が「産めよ増やせよ」と言ったから産んだだけで、教祖が「愛せ」と言ったから、愛しただけだったのではないか。

 教祖が「殺せ」と言ったら、僕のことを殺そうとしたのだろうか? 

 ねえ、どうだったの? 

 母さんは僕のことを本当のところ愛していたのだろうか? 

 結局怖くて最期まで聞けずじまいだった。


「こうなったら」


 アンナさんの僕の腕を掴む力が強くなる。


「超緊急措置として私のO型Rhプラスを直接ぶち込む……輸血するしか手がないわね」


 なんだか物騒になってきたな。

 きな臭いというか血生ちなま臭くなってきた。


「待って」


 すると平坦な声で横やりが入った。

 かと思えば次の瞬間、その無感動の声は驚くべきことを提案したのだった。


「私の血を使って」

「マユハ、今はあんたの変態性に付き合ってる暇はないの」

「嘘ではない。事実」


 そしてマユハは衝撃の告白をした。


「私の血液型はO型Rh-null」

「……怒るわよ?」

「信じて」


 マユハは無感情な声質とは裏腹に真剣そのものだった。

 しばし長女と末妹の間に無言が続いた。

 目の見えない僕が不安になるなか、数秒逡巡してからアンナさんは決断を下す。


「わかったわ」


 僕はもう身を委ねるしかない。

 不安も感じないほどに意識が遠のいていく。

 背筋が寒い。

 でも血は温かい。

 今さらだけど他人に触れられただけで、鼻血を出す奴が他人の血を体内に入れられた日にはショック死するんじゃなかろうか。

 それでもやらなければこのまま死を待つのみだ。

 僕のほうはともかくマユハは血液量的に大丈夫なのだろうか。

 そしてこの処置を施してアンナさんは法律的な責任はどうなるのだろう。

 僕に輸血したせいで誰かが傷つくのは絶対にあってはならない。 

 しかし、もう僕の声はれていた。

 声も出せないほどに。


「一刻を争う。平行してマユハの血液検査もしましょう。嘘だったら拳骨でも許さないからね」


 そしてようやく輸血が始められる。

 僕の左腕にチクッと針が刺された。

 同じように繭のベッドに寝かされたマユハも針を刺されているはずだ。

 僕とマユハはまるで蝶が花の蜜を吸うように赤い血の通る管で繋がった。

 赤血球、ヘモグロビン、白血球、血小板、抗体が共有される。

 ジュワッと温かな血液が体内に侵入して循環する。

 真っ赤なガソリンが心臓というエンジンを激しく動かす。

 減量明けの格闘家のように全身の細胞に血液が染み渡った。

 その後のマユハの血液型判定は僕と同じ結果でありアンナさんも驚いたようだった。


「輸血袋……じゃなくて、マユハ」


 どんな言い間違いだろう。


「あなた、どうして自分の血液型を知ってたの?」

「生まれたときから知っていた。このときのために私は生まれたから」

「あっそ」


 マユハの言葉をアンナさんは軽く聞き流す。


「生理は?」

「心配しなくていい」

「ふうん」


 アンナさんは医者としてなのか、姉妹としてなのか、たぶん両方の気遣いを見せる。


「世界でも43人しかいないとされる黄金の血か。その44号と45号がまさかこんな近くにいるとはね。スタンド使いはお互いに引かれ合うみたいなもんか」


 どちらかといえばO型の人が蚊に刺されやすいみたいなものかもしれない。

 何にせよ、この姉妹は僕の命の恩人だった。

 この姉妹が僕のことを教団員の息子だと認識しているのかは知らないけど。

 妹のほうはなぜか僕を父親扱いしてくるし。

 正直言って怖すぎるんだよなぁ。

 同い年だぞ。

 しかし、僕がテラアースだということはさすがに気づいてないと思う。

 気がかりなのはマユハの手引きで僕はテラアースになってしまったということだ。

 マユハに関してはちょっと変わった子だということしか今はわからない。


 ともあれ、アンナさんは僕のせいで手指とか服が血まみれになってしまったことだろう。

 すると突如、カキーンジジィッという必殺仕事人のような音が聞こえた。

 それから燻したようなタールの匂いが漂う。

 アンナさんは噛みしめるように一息ついた。

 一瞬ためらったのち、僕は問うた。


「タバコ……たしなむんですね?」

「お酒も好きよ」

「へえ」

「どうも私がサタンの娘です。なーんちゃって」


 自虐的なアンナさんだった。

 教団内で見たアンナさんのイメージとはかけ離れている。

 むしろ真逆である。

 ふと疑念がよぎる。

 

 この人、本物なのかな?

 目の見えない僕を騙しているのでは? 

 

 しかし、案外教祖の子供というのは親の決めた教義をないがしろにするものなのかもしれない。

 門限を破るような感覚なのかもね。

 僕は目が見えないから煙草を吸ってないと言われれば確かめようがないにもかかわらず、アンナさんは嘘をつかなかった。

 大人はすぐに嘘をついて子供を騙すのに。

 そういう意味では信用できそうだ。


「そういえばトウタくんはヤンキー?」

「……盲目の不良がいますかね?」


 それもある種の偏見かもしれないけど。

 そもそも目が見えないんだからガン飛ばしようがない。


「だってトウタくん、イカちー髪色してるからさ」

「え?」

「髪の色が半分抜けてる。逆プリン頭だわよ?」

「そんなカッパみたいな髪色になってるんですか?」


 これも後遺症のひとつか。僕は優等生で通ってるわけでも別にないのだけど不良だと思われたくもないわけで……まあどっちでもいいか。

 ともあれ、タバコのにおいを嗅いで、あの礼拝堂で見たものとは違う雰囲気に僕はホッと安心したんだ。

 僕に輸血してくれたし。

 アンナさんはどうやらこっち側の人間のようだ。

 正直、同じ二世同士でも信仰心がどれくらいあるのかわからないので、普段深い話をすることはない。

 が、それでも目を見ればわかる。

 目の奥の奥が物語っている。

 お互い大変だね、というアイコンタクトがあるのだ。

 もう目の見えなくなった僕には関係ない話だけど。


「アンナさんは信じる基準とかありますか?」

「うーん、少年漫画を通ってない奴はすべからく信用できないわね。土壇場で裏切りそうだから」

「独特の価値観ですね」


 でもなんかわかる。

 おそらくアンナさんの父、ギンナンは少年漫画が好きではないんだろうね。

 天の川教会では漫画に登場する暴力描写や恋愛やサービスカットがサタン的だと教えられるから。

 昔、僕とダイアが漫画を描こうと思ったのはそういう抑圧への反発でもあったのだった。


 すると突如横から僕の胸部に何かひんやりしたものを押し当てられた。

 おそらくマユハの仕業だろう。

 僕はビクッと反応してしまった。

 よく調べると突起のあるテニスボールくらいの大きさものだった。


「なにこれ?」

「羽化のお守り。ちちが持っていて。肌身離さず」

「ちち……?」


 何を言っているだ、この子は。

 まるで宇宙人と会話しているようだ。


「窮地に陥ったときに封の紐をほどいて」


 それだけ言い残してマユハは僕の首に羽化のお守りを提げる。

 その小さな手は軟水のように冷たかった。

 なんか申し訳ない。


「白い蝶の形をしたお守りね。口の部分を結ぶ紐が触覚になってるんだ。ふーん」


 アンナさんはどこか気に食わないように言った。

 構わずに僕は問う。


「マユハさん――」

「マユハでいい」

「……マユハは何をどこまで知ってるんだ?」

「私はただの愛読者。それだけ」


 マユハは素っ気なく答えた。

 そういえばマユハは夏鬼山で拾われた捨て子のはずだ。

 超完全変態テラアースをいずれかのタイミングで読んだってことか。


「この繭はなんの繭なのかしら? ちょっくら解剖してみようっと。ちょうどいいところにメスもあるし」

「やめといたほうが……」


 僕が不安を抱くなかアンナさんはザクッとメスで繭を割った。

 そしてその中身を見てから素っ頓狂な声を漏らした。


「こ、これは……お金? しかも古い。寛永通宝かんえいつうほう和同開珎わどうかいちん、大判小判まであるわ。これはいつの時代の通貨なのかしら」


 どうやら繭の中にはさまざまな時代の通貨が納められているらしい。

 まるで繭ガチャである。

 しかし、いくらお金を積もうと命は買えないもので、だんだんと僕の意識が遠のくにつれてサイレンの音が近付いてくるのを感じた。


 僕は死ぬのかな? 

 父さん、母さんと会えるのかな? 

 あの世に宗教という概念はあるのかな? 

 しかし皮肉めいたことにたとえ目が見えなくなっても、涙は出るみたいだ。

 でも同時に涙で目の前が見えなくなることもなくなった。

 それはよかったことだ。

 そして、僕の意識が飛ぶのと救急車が到着するのは、ほとんど同時だった。

 最後に僕の左手に握る眼鏡が泣くようにカチャリと鳴った。


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超完全変態テラアース 悪村押忍花 @akusonosuka

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