空も飛べるはずだった
@Allan_kimagure
短編
私には夢があった。自分の店を持てるような料理人になるという夢が。私は子どものときから、料理を作るのが好きで、よく家族に作って振る舞っていた。そして、家族は、
「おいしいね。」
「こりゃ、店のと張り合えるぞ。」
などと私の料理を褒めてくれるのだった。そんな家族の笑顔を見たくて、私は料理が好きになり、いつしか料理人になりたいという夢が生まれたのだった。
自動ドアの扉が開き、もう嫌というほど聞き飽きたメロディーが鳴る。
「いらっしゃいませ。」
私はコンビニに訪れた客に、毎回、呪文のように決まった挨拶を唱える。
客は一々、店員の挨拶など気にも留めず、無言で商品を物色している。この今ホットスナックを選んでいるおじさんは、うちの常連だった。まるでルーティンかのように、いつも同じ唐揚げとおにぎりを手に取り、
「16番。」
と同じタバコの銘柄を買うのだった。
私は手慣れたように、16番のタバコを手に取り、おじさんが持ってきた商品とともに、ピッとバーコードをスキャンする。
「合計で、650円になります。」
私がそう言うと、おじさんはまるで放り投げるかのように、小銭をトレーの中に雑に入れる。
だが、今の私はそんな小さなことは気にしない。最初は、このおじさんはお客さんを神様だと思っているのだろうか、と若干不服に思ったし。なんなら、このハゲ散らかしたバーコードをスキャンしてやろうか、とも思った。
しかし、現実にそんなことをできるはずもなく。ただ、気にするだけ無駄だと気づいてしまった。
おじさんは買った商品を手に取り、自動ドアから出ていく。
「ありがとうございました。」
私は再び、呪文のように決まった挨拶を唱える。
そう、これが今の私。既に出来上がっている食品を売るコンビニの店長が、今の私の仕事だ。
料理人という夢があったのは、過去形だ。
私は高校卒業後に調理の専門学校へ行き、その後、和食の料理店に就職した。そこからは本当に辛かった。肉や野菜の下処理、仕込み、焼いたり、煮込んだり、味付けなど、どれも専門学校で学んだはずなのに、現場では思うようにいかない。現場ではスピード命。少しでもシェフの要望と違えば、怒号が飛び交った。私は毎日がくたくたで、休みの日は死んだように眠って、一日を費やしていた。しかし、一日寝ても、疲れは取れず、失敗ばかりしていた。
あれほど大好きだった料理も、家では全く作らなくなり、もはや忌避の対象となっていた。
毎日が失敗して、怒られての繰り返し。もう限界だった。
「辞めます。」
私のそのたった一言で、働いていた料理店から居場所を無くし、私の料理人になるという夢も頓挫したのだった。
そこからは滑り落ちるように、人生が転落していった。
私は大学など行かず、調理の専門学校に行ってしまったため、学も無ければ、調理師免許以外の免許も持っていなかった。当然、そんな私を雇ってくれるところなど、全然と言っていいほど無かった。
そんな私が行き着いた先が、このコンビニの店長だった。これには、学もいらなければ、特別な技術もいらない。そんな私に打ってつけの仕事だった。
でも、今でも時折、思う。私がもし要領よく仕事ができていたら、人生は変わっていたのかと。そんなありもしない仮定の話を時折、思ってしまうのだ。
今、自身の限界を知っている自分とは違って、子どもの頃は何にでもなれた気がした。自分の才能の限界など知らず、社会の厳しさも汚さも知らず、無限の世界が広がって見えた。それこそ、頑張れば、鳥のように空だって飛べる気がした。私にはいずれ翼が生えて、自由の身になれるのだと。
だが、自由に飛んでいた私は、年を経るにつれ、翼をもがれて、地に足が着くようになってしまった。今では体が重すぎて、新しい分野に行くだけで疲れてしまう。まるで地球の重力が私を鎖で繋ぐように、私は自由に空を飛べなくなっていた。
私はその窮屈な思いから、はぁーと深く長い溜息が出る。
そんな私の様子を見て、最近入ってきたバイトの女子高校生が、
「どうしたんですか、店長?そんな溜息ついて。」
と心配そうに聞く。
「あ、いや、なんでもない。ちょっと考え事してただけ。」
私は自身に秘めている悩みを知られたくなく、適当に誤魔化してしまう。いや、厳密に言うと、昔の夢を知られたくないに近い。
私が誤魔化すと、彼女は、
「溜息は止めた方がいいですよ。幸せ逃げますよ。」
と明るく冗談のように言う。
幸せなんて、とうに逃げとるわ。私は喉元まで出かかった言葉を、こんなの八つ当たりでしかない、と理性で抑え、ごくんと唾液と一緒に飲み込む。
彼女は女子高生という若さと可能性があるから、そう言っていられるのだ。アラサーの私には、もう若さも可能性も無いのだ。彼女のその若さと可能性に満ちた姿が、私にはあまりにも眩しすぎた。高校生は人類最強の種族ともいえるだろう。
いいなぁ。できることなら、私も高校生に戻りたい。私は常々、そう思う。だが、同時に思ってしまうのだ。私が高校生に戻ったとして、料理人以外の道を選ぶのだろうかと。私は、料理人以外の選択肢が無かったので、それ以外の自分の姿がいまいち想像できないのだ。
まあ、それもありもしない話だから、考えても無駄だが。
私は思考を止め、隣にいるバイトに軽い話をした。
「そういえば、なんでバイトしたかったの?」
私がそう尋ねると、彼女はなぜか照れくさそうにする。
「えっと、お金を貯めたかったから。」
高校生だから、遊ぶためのお金だろうか。私はそう勝手に高を括り、そのまま質問をする。
「あー、遊ぶための?」
私がそう聞くと、彼女は恥ずかしそうに首を横に振る。
「えっと、じゃ、何に使うお金?」
私がそう聞くと、彼女は先ほどの明るさと打って変わって、しおらしく、
「…その、デザイナーを目指してて。」
と小さな声で呟く。
「へえ。いいんじゃない?」
私は、若さと可能性のある高校生なら大丈夫だろう、と安易に思い、軽く受け流してしまう。
しかし、軽い私の言葉とは正反対に、彼女の言葉は重かった。
「でも、親とかには止められてて。お前みたいなのはいくらでもいる。挑戦するだけ無駄だって。」
彼女は途端に不安そうな顔をする。その彼女の表情と言葉から、私にもズキンと胸が痛んだ。彼女には若さも可能性もあるんだから、大丈夫でしょと言いたかったが、私はなぜか一社会人としての厳しい言葉を投げたくなった。
「まあ、確かに、親御さんの意見はわかるわね。自分ではこうなりたいっていう夢があっても、中々仕事に活かすのは難しいわ。趣味で止めておくのが無難だと思う。」
私が意地悪にそう言うと、彼女は、
「で、ですよねー。アハハ…。」
と分かりやすく愛想笑いをする。
自分でも不思議だった。よせばいいのに、他人の彼女に厳しい言葉を送ってしまった。でも、なぜだか言いたくなったのだ。彼女の夢に満ちた姿が、昔の甘い自分に重なったのかもしれない。
彼女は分かりやすく落ち込み、接客も元気がなさそうだった。
私は勤務時間が終わると、深夜の時間帯責任者に店の管理を交代してもらう。その後、少ない給料で、スーパーにある缶ビールを買い、公園で飲むことにした。私は公園のブランコに座り、缶ビールの蓋を開ける。
そして、私は缶ビールを一気にぐびっと飲み、
「ぷはぁ。」
と親父のような声が出てしまう。いつもはお酒なんて飲まないのに、今日はなぜだか飲みたくなった。
私が独り寂しく公園で飲んでいると、夜風がビューッと吹いてくる。
「寒っ!」
もう季節は秋から冬に移行しかけていた。私は上着を掴んで、内側にキュッと寄せる。
やっぱ公園で飲むんじゃなかった。私は後悔し、自分のアパートに戻ろうとブランコから立ち上がると、公園の隣の道にあのバイトの女子高生がトボトボと歩いていた。なんだか元気がなさそうで、下を俯きながら歩いていた。
こんな夜中だし、一人の女の子を放っておけるはずもなく、私は彼女に声をかけた。
「どうしたの?」
私の声に反応し、彼女はビクッと驚きながら、こちらを見た。だが、すぐに声をかけたのが私だと分かった途端、すぐに安堵の表情を見せる。
「なんだ、店長ですか。不審者かと思いましたよ。」
確かに、それもそうか。私は自分の怪しげな行動を反省する。
「で、どうしたの?」
私がもう一度尋ねると、彼女は昼間見せた愛想笑いをする。
「いやー、親と喧嘩しまして…。昼間言ったデザイナーの夢を諦めろ、と親に言われて、カチンときたもんで、親父の顔を殴ってしまいました。そしたら、親父も殴り返してきて。そこからは、大喧嘩して、家出しちゃいました。」
彼女はアハハと明るそうに振る舞うが、目が笑っていなかった。
「そっか。」
私は情けないことに、彼女が困っていても、その一言しか言えなかった。夢を諦めた自分にとって、言えることは何も無かったからだ。私は自分が不甲斐なかった。一社会人としては、厳しい言葉が言えるのに、夢を追う人としては、何も言えなかったのだ。
でも、言葉が出なかったが、私はこのまま彼女を見過ごすことはできなかった。
「もう一度、親御さんと話してみましょう。」
私はそう提案する。
しかし、
「いや、無理ですよ。私の話なんて聞いてくれません。」
と彼女は否定する。
「じゃ、私も行くから。」
私は自分でも不思議なくらい、彼女を支えようとしていた。
彼女もさすがに驚いており、
「え、でも、いいんですか。」
と聞いてきた。
「ええ、いいわよ。」
と私はどこから湧いてくるか分からない自信を見せて、虚勢を張る。
彼女はその言葉を聞き、彼女の顔から暗さが減っていた。
そして、私たちは彼女の家に訪れた。彼女がピンポーンと自分の家のベルを鳴らす。
だが、自分の家なのに、彼女は緊張からか、腕をポリポリと掻いていた。
呼び鈴に反応し、彼女の母親らしき人物がドアを開ける。
「あんた、どこ行ってたの!」
彼女の母が、彼女を怒鳴りつけようとしたが、隣の私が視界に入り、怒鳴るのをやめる。そして、取り繕うように、笑顔を作る。
「あら、どちら様ですか。」
彼女の母がそう尋ねると、私は、
「彼女のバイト先の店長です。」
と答える。
すると、その言葉を聞き、彼女の母は、
「あら、まあ!どうしたんですか。」
と明るそうに尋ねる。
「えーと、先ほど、彼女とばったり会いまして。今一度、娘さんの進路に関する話を家族でしてもらいたいなと。その、私も交えて。」
と私が言うと、
「はあ。」
と彼女の母は不思議そうな顔をする。
そりゃ、そうだ。赤の他人が、勝手に介入するなという話だ。だが、落ち込んでいる彼女を見ていると、なぜだが放っておけなかった。
私はとりあえず彼女の家に上がることができ、家族会議に参加させてもらうことができた。
だが、勿論、母親は不思議そうな顔をし、父親は不機嫌そうな顔をしていた。
私は肩身が狭くて、今にも抜け出したかったが、彼女にあれだけ啖呵を切ってしまったので、引きようが無かった。
しばらく気まずい沈黙の時間が流れる。
その沈黙を破ったのは、彼女だった。
「私、デザイナーになりたいの。お父さんとお母さんが反対しようとも、私の決意は固いからね。」
昼間のバイトで見た彼女と違って、自分の夢に堂々としていた。
父親はその彼女の態度を反抗的だと捉えたのか、
「生意気言いおって。お前は社会の大変さをわかっていないんだ。」
と彼女を一方的に叱る。
「そうよ。大変なのよ。」
と母親も便乗する。
彼女には支えてくれる仲間はおらず、独りで夢という微かな武器で戦ってきたのだろう。
私は彼女のことが段々自分事のように思えてきた。
ご両親が彼女を一方的に叱りつけていたとき、私はついに口を出してしまった。
「一回彼女に挑戦させてはいかがでしょうか。」
私の身勝手な言葉に、父親は激怒する。
「赤の他人のあんたが口出すんじゃないよ。」
だが、私はご両親に怒られようと、話し続ける。
「私も、実は昔、料理人を目指していたんです。でも、いざ働いてみれば、大変だの何だので、結局諦めてしまったんです。確かに、社会人として、お父様の言葉を分かります。でも、私は、彼女のこの堂々とした姿と自分でお金を貯めようとする行動力は、とても尊敬に値すると思います。勿論、デザイナーになるのは大変だと思いますが、一度彼女に挑戦させてみてはいかがでしょうか。それが無理だと実感すれば、彼女も諦めがつくでしょうし。」
私がご両親にそう提案すると、父親はうーんと考え込んだ後、
「確かに、一理ある。」
と納得してくれた。
しかし、
「でも、諦めてから、他の仕事を見つけるのは、遅いのでは?」
と父親は当然の心配をする。
だが、私は首を横に振る。
「それからでも遅くはないと思います。なんせ彼女には若さと可能性があるのですから。」
昼間言った同じ言葉は、違う意味になっていた。
私がそう言うと、
「わかった。一回は挑戦させてやる。それで無理だったら、諦めなさい。」
と父親がついに彼女の挑戦を認めてくれた。
彼女はそのことが聞けると、
「うん!わかった!」
と自信ありげに返事する。
彼女ならきっと大丈夫だろう。私はそう安心する。
その後、私は彼女の家の玄関扉を開け、外に出る。そのまま帰ろうとしたが、
「店長!」
と彼女が私を呼び止める。
「何?」
私がそう聞くと、
「店長も夢叶うといいですね!私は店長が、本当の意味での「店長」になることに、100万円賭けます!」
と彼女はいつもの彼女のように、冗談交じりにそう言った。でも、その言葉は嘘をついているようではなかった。
「なんだよ、それ。そんな大金持っていないくせに。」
私は彼女の冗談を笑いながら、そう言った。なんだか、久々に笑えた気がした。
「じゃ、私が「店長」になったら、本当に100万円くれよ。」
私がそう言うと、彼女は、
「勿論です!」
と堂々と宣言した。
その言葉で、私に一つの野望が再燃した。
私には夢があった。自分の店を持てるような料理人になるという夢が。私は一度、翼をもがれたけど、もう一度不器用に翼を背中に貼り付けた。
ある一軒のお店の玄関扉のベルがカランカランと鳴る。
「いらっしゃいませ!」
千葉に一軒の小さな料理店がオープンした。この料理店は小さいながらも、地元に愛されるようになった。それは、また別のお話。
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