悪魔の演劇。
その日から藍斗は役作りに悩んでいるみたいだった。
勢いで言ったものの、彼は新人でしかない。
劇団『白薔薇と白百合』の始めての初公演だ。藍斗は真剣に悩んでいるみたいだった。最初から女装して女役をやらないといけない。それから悪魔の役もやらなければならない。彼は大学も休んで、熱心に稽古場に通っているみたいだった。
「ほんと、期待の大物新人だよな」
朔と藍斗以外のもう一人の男性役者である黄屋が笑う。
彼は演劇の経験が長い人間なので、割と落ち着いた顔をしていた。
「彼。メンタルが潰れないといいんですけどね。真面目過ぎるし。最近では自分でもメイクの練習までしているみたいですよ。スタイリストには鮮弥さんがいるのに」
朔は笑った。
†
藍斗は頻繁にメイクの練習をしていた。
ピエロやドクロ、幽霊といったメイクなど鏡を見ながら自分に施していた。
朔は少し心配になった。
「なんだかアイト君、悪魔の役作りにばかり熱心になっているな」
朔は逢花に言う。
「そうかなー。私も役作りの時、必死で台本の台詞を読んだり、演じる人物について考えたり、演じる人物の物語を自分で小説を書いてみた事もあるよー。サクちゃんだって色々、頑張っているでしょ! あの子、演劇に本気だよ!」
「ああ。そうだね」
サクはあくまで自身が演じる学園の女子高生の事を考えていた。彼女は清楚だが小悪魔的な残酷さのある人物だ。紅依が言うには朔にはとてもピッタリの役らしい。
公演まで一ヵ月を切った。ハロウィンの後、十一月の上旬に小さなライブハウスを借りて行われる。客は結構、来るらしい。期待に応える事をしたい。
サクは演じる人物の台詞を暗唱出来るようになっていたし、舞台での仕草も行えるようになった。練習までの時間は短かったが良くやれたと思う。
今回はあくまで劇団の再結成としての舞台。
以前のようなもう少し大きなライブハウスやクラブハウスなどを借りての演劇じゃない。身に来る人間は演者の友人知人といった身内が多い。
なのである種、気楽にやれればいいと思っている。
だがアイトは本当に熱心だった。
サクはそんな彼の事が少し心配になった。
ハロウィンが近付く頃だ。
月の出ている夜だった。
楽屋に真夜中、サクは入り込んだ。
楽屋の地下は倉庫になっていた。
倉庫から物音がする。
こりこり、ごりごり、ごりごりぃ、と、何かモノを噛み砕くような音が聞こえた。電気は確か階段の下にあった筈だ。階段を降りた後、近くに人の気配があるのを確認する。サクは電気のスイッチに手を伸ばす。開いたドアから月の明かりが差し込む。少しだけ気配を映し出す。それは口元の周りが血塗れになった藍斗だった。
「アイト…………。何をやっている?」
サクは電気を点ける。
どうやらアイトは生きたニワトリを生で食べていたみたいだった。喉を齧られたニワトリが未だびくん、びくんと動いている。
「そのニワトリ、どうしたんだ?」
サクは訊ねる。
「農家から盗んできました…………」
アイトはサクと顔を合わせずに言う。
「なあ。君はおかしいよ。病院に行った方がいい…………」
精神の? いや、それよりも生の鶏肉は食中毒の原因になる。まずは内科からかもしれない。アイトの腕からは自傷して傷付けた傷が見えた。
倉庫の床には魔法陣のようなものが描かれていた。
ニワトリの血と、おそらくは自分の血を混ぜて描いた魔法陣だ。山羊の姿の悪魔、バフォメットのような紋様も見える。
「なあ。藍斗君。君の家はどっちの方向だい?」
「…………此処から電車を乗り継いだ場所で…………」
「まあいいや。後で聞くから、此処を片付けた後、タクシーを呼ぶ。今日の事は見なかった事にするから、とにかく根詰めないでね」
今回はあくまで、そこまで期待されている公演じゃないから、とサクは言おうとしたが辞めた。アイトにとっては晴れ晴れしい初舞台。そして自分から率先して一人二役を選んだ。
タクシーで来たアイトの家は住宅街で、アイトは実家住まいらしかった。
「じゃあ。後の事は僕が何とかするから、両親も。そして僕達団員の事を心配させないでね」そう言ってサクは電車のある方へと向かっていった。
翌日会ってみると、アイトはやはり何処か精神不安定そうな顔をしていた。
物語の終盤で放つ“悪魔”の台詞を何度も話してみたり“悪魔”が行う動作をしてみたりする。
団員の一人がもう充分過ぎるから大丈夫だよ、と声をかけていた。
黄屋だった。
「ありがとう御座います…………。でも、俺、まだまだですから…………」
そう言うと、藍斗は倒れた。
救急車が呼ばれる。
どうやら藍斗は此処、数日の間、飲まず食わずで、更に寝ていないみたいだった。一日入院した後。サクは彼にお見舞いに行く事にした。逢花を誘った。
「やっぱり、初舞台という事でかなり自分を追い詰めちゃったのかなあ?」
「あくまで客は身内ばかりが舞台なのにね」
認識の違い。
それを正したいと二人は思い、藍斗の家へと向かった。
スマホで藍斗やりとりをすると、今日、家にお見舞いに行く事を言うと、喜んでいる返事が返ってきた。ただ二階は両親の部屋があるので上がらないで欲しい、自分は一階で寝ていると返された。
玄関のチャイムを鳴らす。
藍斗は出ない。
ただ両親がいないのか、鍵が開いていた。
お見舞いのフルーツなどを持ってきたので、中に藍斗がいるのならお見舞いを置いて帰ろうと思った。
「入るよー。藍斗君―!」
逢花は言う。
家の奥から、どうも来てくださって、ありがとう御座います…………。という事が聞こえた。二人は家の中へと入る。
一階の奥の部屋で、どうやら藍斗は寝込んでいるみたいだった。
二階へと続く階段が見えた。
何となくサクは直感的に嫌な感じがした。二階に何か嫌なものがある、それだけは分かった。だが、今は藍斗に会いに来たのだ。だから彼と話さないといけない。
「大丈夫かい? お見舞いにきたよ」
「ねえ聞いて。白ブドウが安かったのよ。置いとくね」
ベッドの中にうずくまりながら、藍斗は顔を見せた。
「はい…………。病院の先生いわく、睡眠不足と拒食。疲労が続いていたらしくて、しばらくしたら治るって言っていました。昨日は点滴して帰っただけですよ。すぐに復帰出来ます」
「…………。その事だけどね…………」
サクは言う。
「“悪魔”の役は団長さん自らがされるそうよ。だから、藍斗君は女の子の役だけでいいの。それに今回の演劇で来るのは友達なんかの身内ばかり。だから、藍斗君が無理して頑張らなくてもいいんだよ!」
逢花は真剣に彼を説き伏せるように言う。
藍斗が倒れたのをきっかけに、紅依は自分が劇の終盤の“悪魔”の役をやると言った。悪魔の台詞や仕草などは、前の劇団の時にやった邪悪な妖精の女王の演技の仕方に似ている為に、それをベースに台本自体を書き換えると言った。
それを聞かされて、藍斗は涙を流していた。
物凄い悔しかったのだろう。
「そんな…………。僕は、僕は一生懸命にやったのに…………」
「一生懸命だったよ、藍斗君は。でも難しいね。演劇って、みんなで作り上げていくものだから。とにかく今日は休んで」
藍斗はベッドの中で嗚咽を漏らしながら、毛布をかぶり泣き続けていた。
二人はいたたまれなくなって、もう帰る事にした。
途中、二階への階段があった。
二人は息を飲む。
霊感など無いが、何やら寒気がした。
堪らなくなって、朔が階段を登り始めた。
そして、部屋の一つからその感覚は広がっている。
嫌な感覚の正体は“臭い”だった。
酷い鉄分の臭いが、階段から漂っており、問題の部屋に辿り着くとその臭いは充満していた。朔と逢花は部屋の中に入る。
それは壮絶な光景だった。
大量の犬や猫の死体が転がっていた。
首や手足、内臓といった場所の所々は食い千切られており、明らかに人間の口で歯で生きながらにして血肉を引き剥がしたのであろう事が分かった。
床と壁と天井には意味不明な図形や怪物などの絵によって描かれた魔法陣が描かれていた…………。
“悪魔”を演じる上で、どうやら藍斗は完全に狂っていったみたいだった。
†
そして演劇の公演がハロウィンを過ぎて始まった。
会場には客が十一名しか来なく、ちょうど演者の人数と同じくらいだった。
『白薔薇と白百合の園』という劇は、何も問題無く進行していった。
最後に、悪魔を演じる紅依と、男性教師を演じる黄屋が激突。男性教師は女子生徒達の力を借りて見事、悪魔を打ち倒す。そして舞台の幕は降ろされた。
会場から拍手が送られる。
藍斗は女装し、女生徒達の一人として少ない出番の中で、完璧な演技をこなして終わった。
劇が終わると、朔は彼の事を分からない男性客から恋心を抱かれ、女性客からも恋心を抱かれた。
そして、無事、『白薔薇と白百合の園』が終わってから、藍斗が行方不明になった。
聞く処によると、大学にも通っていないらしい。
家に行ってみても、誰も出ない。
劇団のメンバー達はみな途方にくれたが、余りのプレッシャーに耐えられずに失踪したのだろうという事になった。席は開けておきたいが、彼は少し不安定過ぎる。新しいメンバーを募集するしかなかった。
そして、十一月も終わりに近付く頃、ある異常で猟奇的な事件がこの街で起きた。
それは公園で人間の身体の所々が生きながらにして食い千切られる事件だった。
殺された人間はまだ十代の少女達三名。
全員が縛られて何らかの方法で気絶させられた後、身体を食い千切られていったみたいだった。歯形の照合を行った処、おそらくは歯に嵌める特殊な入れ歯のようなもので食い千切られている事が分かった。少女は全員、首が胴から離れていた…………。
藍斗は悪魔を演じようとして、本物の悪魔に取り憑かれていたのだろう。
警察は結局、彼を見つける事は出来ず、事件は迷宮入りとなった…………。
朔は夢を見る。
藍斗は魔界、闇の世界に入り込んで、そこで翼を広げて羽ばたいている。彼は何処までも自由で、何処までも生餌を喰らう捕食者だった。彼にとって人間は獲物でしかなかった。
いつかまた、藍斗は劇団に戻ってくるのだろうか。
劇の内容の中の悪魔は、役者達全員、男性教師と女子生徒達全員を生きながら食べようとしていた。
劇にそって藍斗が動いているのだとすれば、いつか朔や逢花。紅弥達を生きながら喰い殺しに彼が戻ってくる日が来るのかもしれない。
劇団『白薔薇と白百合』。 朧塚 @oboroduka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。劇団『白薔薇と白百合』。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます