第三話  天霧らひに泣く

 金弓かなゆみと会ったのは九月。

 一月になれば、多津売たつめは十五歳になる。


 ずっと、阿部郷あへのさとに時々通い続けた金弓は、十二月の末、泣いた。


 沫雪あわゆきが天から振る日。

 阿部郷あへのさとの冬枯れの木々を、川戦にあけくれた川原を、田を、皆で走った畦道あぜみちを、天霧あまぎらひ(天一面)、雪が飾る。


「これで最後なの……。もう会えなくなっちゃうの……。」


 あとからあとから、金弓は泣いた。


「そうだよ。たたらをや(バイバイ)。楽しかったよ。」


 多津売たつめは、つい先日、隣郷、保美郷ほみのさとわらわの頭首、小僧こぞうに告げたのと、まったく同じ言葉を口にする。


 ちなみに小僧は、


多津売たつめ、こっ、こっ、こっ、う……。」


 と真っ赤な顔で言いかけたが、


「あたしは上毛野君かみつけののきみの女官になるから、聞かない。」


 と多津売たつめが目を伏せてささやいたら、しばらく無言でボロボロ泣いた。


「えぐっ、元気で過ごせ、えぐっ、バカヤロー。えぐっ……。たたらをや……。」


 泣き止まぬまま、小僧は最後にそう言った。








 沫雪あわゆきはかなく、地面に触れると溶けてしまう。

 降っても、降っても、溶けて、残らない。







多津売たつめお姉ちゃん……。」


 金弓が苦しそうな顔で泣きながら、両手を広げて、ゆっくり多津売たつめに近づいた。

 その時は、六歳、七歳、ちっちゃいわらはが何人も、多津売たつめに抱きついて泣いていたので、九歳の金弓が、そのなかの一人になって抱きつくのを、多津売たつめは許した。


 金弓かなゆみはいつまでも泣いていた。





    *   *   *





 年が明けて、十五歳になった多津売たつめは、笑顔の父親に両肩をたたかれ、母刀自ははとじ(母親の尊称)からは、


「あなたの強さは才能よ。

 何か突き抜けたものを持っていたほうが、女官の世界では、強みになるのよ。

 頑張りなさい。多津売たつめ。」


 と言葉をかけられ、上毛野君かみつけののきみの屋敷の上級女官として送り出された。


 女嬬にょじゅ(女官をとりまとめる女官)を目指し、てっぺんをるべく、十五歳から二十歳まで頑張ったが、ただの女官として終わった。


 しかし、母刀自の教えは正しかった。多津売たつめが喧嘩に強いことは、意外と役立った。

 意地悪と評判の女官も、多津売たつめが正面に立ち、下から上までゆっくりと目線を送れば、目をそらし、そそくさと逃げた。


(ふん、弱っちい。喧嘩にもならん。)


 また、同室の女官、竹耶売たけやめが塞ぎこんでるので相談にのってあげたら、


かんざしを落としてしまって、たまたま拾った下人げにんが、返してほしければ口づけさせろと迫ってきて、困ってるの……。あたし、そんなの嫌よ。

 女嬬にょじゅに相談すれば、すぐ解決するのでしようけど、そのおのことある事ない事、疑われたら、どうしよう……。」


 と泣くので、その下人げにんおのこを呼び出し、はあぁって息かけた拳骨げんこつでボコボコにした。


(まったくもって弱い。)


 下人は泣きながら謝り、すぐにかんざしを返した。

 それ以来、すっかり竹耶売たけやめは、


「かっこいい多津売たつめ……。あたしの若さま……。」


 と朝に夕に抱きついてくるようになり、


多津売たつめは信じられないほど強い。凛々しくて素敵。」


 とまわりに噂を広め、炊屋かしきやで食事をとるときには、何故か大勢の女官に囲まれ、


「これ、食べて。」

「あたしのも、あげる。」

「ああ、ずるい。はい、あたしのも。」


 と食事を貢がれるようになった。まあ、快適だったと言えよう。


 多津売たつめが二十一歳を迎え、生家に帰る時には、竹耶売たけやめをはじめ、何人もの女官に大泣きされ、手を握られ、なかなか離してもらえなかった……。







    *   *   *





 いきに  いもをしおもへば


 年月としつき


 くらむわきも  おもほえぬかも



 氣緒尓いきのをに  妹乎思念者いもをしおもへば

 年月之としつきの

 徃覧別毛ゆくらむわきも  不所念鳧おもほえぬかも




 命のかぎりあなただけをう。あまりに一途に思うので、年月としつきがどのように過ぎてゆくのかも分からない。




       万葉集  作者不詳





   *   *   *





 生家せいかに帰った翌日、佐味君金弓さみのきみのかなゆみ多津売たつめに会いに来た。


 十六歳になった金弓かなゆみは、ぽちゃっと小太り、色白でふっくら丸い顔。

 綺麗に弧を描いた眉に、くりっと丸い目。

 愛嬌のある、穏やかな顔立ちで、九歳の頃の印象のまま、大人となっていた。


(相変わらず、喧嘩は弱そう。相手にならんな。)


 金弓がふっくらしているのは、好ましい。肉付きが良いのは、富貴ふうきの証しだ。

 郷の者は、誰一人このような体型になることはできない……。


 金弓かなゆみはふくふくと柔らかい微笑みを浮かべ、


「オレ、十六歳になった。ずっと、この日を待ってた。手を握るよ。」


 とそっと多津売たつめの手をとった。やっぱり、手も、肉付きが良く、柔らかい。


「一目見たときから、ずっと、多津売たつめの面影が心から離れなかった。

 多津売たつめ上毛野君かみつけののきみの女官になる定めだったのも、オレがまだ幼いのも、ずっと悔しくて。

 オレがせめて、あと三年早く生まれていたら、もっと早く、女官を辞めて、すぐに妻になって欲しいって、申し込むこともできたのに。」


 多津売たつめの生家、郷長さとおさの屋敷の庭に並んで立つ。

 背丈はまだ、金弓かなゆみのほうが低い。

 梅の枝に雪が積り、みやびな春の日。

 金弓は、くりっと丸い目で、まっすぐ、多津売たつめを見た。


多津売たつめ

 多津売たつめは綺麗だ。オレの妻になって。」






    

 

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