第二話  綺麗で強い、光ってるみたい。

多津売たつめ、こっちだ!」


 弟に案内され、川の深いところに、ざぶ、と膝を進めると、たしかに川上から、色白の十歳くらいのわらはが、手足をバタつかせ、あっぷあっぷと溺れ流れてくるのが見えた。

 多津売たつめは泳ぎが得意だ。

 迷いなく、川の深いところに飛び込む。

 後ろから、弟も、飛び込んだのを確認した。


多津売たつめー! 頑張れー!」


 仲間たちが声援をくれる。

 あたしは水をかき、流れてくるわらはの身体をしっかり抱きとめた。

 弟も追いつき、二人がかりで、わらはを川から引き上げる。


「げほっ、げほっ、うわーん!!」


 色白で、ぽっちゃりした体型の十歳くらいのわらはは、水を吐き、大泣きした。

 元気だ。そんなに長い時間流されたわけではないようだ。良かった。


「もう大丈夫。」


 多津売たつめが力強く背中をさすると、

 

「お姉ちゃんが助けてくれたの……?」


 くりっとした目の、愛嬌のある顔立ちの男童おのわらはは、多津売たつめを見てそう言った。頷くと、


「ありがとうぅ───!」


 と、そのわらは多津売たつめに抱きついてきた。


「おっと。」


 多津売たつめは尻もちをつく。

 膝に乗った童は、ぽちゃぽちゃ全身に肉がついてて、なんだか柔らかい。

 郷では見ない体型だ。

 どこのわらはだろう? 


「そろそろ姉ちゃんから離れろ。」


 いつまでも抱きついて離れないわらはに弟が言うが、童は、ふるふると頭をふる。多津売たつめはくすっと笑った。


「いいよ。怖い思いをしたね? 名前は?」

佐味君金弓さみのきみのかなゆみ

「ん……?!」


 周囲がざわついた。

 多津売たつめは郷長の娘。

 その郷長の上には、いくつもの郷を取りまとめる豪族がいて、佐味君さみのきみは、その豪族の名前だ。


「若さまぁ〜! 金弓かなゆみさまぁ〜!」


 川上の方向から、わりと良い衣を着たおのこおみなが、ばたばたと走ってくるのが見えた。

 膝上にのった佐味君金弓さみのきみのかなゆみが、多津売たつめの顔をまじまじと見た。


「お姉ちゃん、名前は?」

阿部あへの多津売たつめ

多津売たつめお姉ちゃん……。お姉ちゃんは綺麗だ……。綺麗で強い……。光ってるみたい……。」


 金弓がうっとりと言った。


「は?」

多津売たつめお姉ちゃん……。好き! 妻になって!」

「はああ〜っ?!」


 金弓がさらに、ぎゅう、と抱きつく。


「無理。あたし、上毛野君かみつけののきみの屋敷の女官になる事が決まってるから。」


 郷長より、豪族より偉い、大豪族の屋敷の女官だ。


「え───!!」


 金弓は大きく叫び、やっと来た付き人が、あたしから金弓を引き剥がしてくれた。


 皆がおこしてくれた火にあたりながら話を聞くと、金弓かなゆみは付き人と郷の視察をしていて、面白そうな喧嘩に見入るうちに、うっかり橋から足を滑らせてしまったそうだ。

 


 それが、金弓と、多津売たつめの出会いだった。




   *   *   *




 翌日、多津売たつめの屋敷に、佐味君さみのきみの金弓かなゆみが、家人けにんともない、謝礼として米二こく(約168kg)を持参し、訪れた。


 家人けにん多津売たつめの両親に丁寧な謝意を伝えている間に、金弓はさっと多津売たつめのそばにきた。赤くなり、もじもじしなながら、


「えへへ……、多津売たつめお姉ちゃん。これもらって。」


 ませた事に、木彫りのはぎの花に、水精すいせい(水晶)があしらわれたかんざし多津売たつめの手に握らせる。


「はあっ? いらね……。」


 多津売たつめはつぶやき、一応、相手の身分を考え、


「ぅありがとうございまーす。母刀自ははとじー。こんなんもらったー。」


 と、さっさと母刀自に押し付けた。


「ああっ! つ、つけてくれないの? よ、喜んでくれないの??」


 金弓が、口を大きくあけて、ぷるぷる震えながらのけぞった。


(ちっ! 押し付けがましい。)


「あたしは上毛野君かみつけののきみの女官になる身でございます。身分ある若子わくごさまから不相応の品を頂戴し身を飾るわけには参りません。しからずおぼせ。」


 丁寧に礼の姿勢までとってやった。


「うわあああん!」


 金弓は泣きべそをかいて、自分の家人の方に逃げていった。




    *   *   *




 それでも金弓は、五日に一回、阿部郷あへのさとに遊びにきた。はじめは童たちは、丁寧によそよそしく、この色白でふっくらした九歳の童に接したが、


多津売たつめお姉ちゃん。遊んでよう。」


 と、阿部の屋敷でないのを良いことに、金弓がなにかと多津売たつめに抱きつこうとするので、


「あほ!」

色餓鬼いろがき!」

「うちの頭首とうしゅに近づくな!」


 と、とくに弟が先頭に立って、抱きつくのを阻止するようになった。

 金弓はむくれた顔をしたが、皆が相撲すもうをしてやったり、見つけた木ノ実を分けてやったりすると、すぐにニコニコ、愛嬌たっぷりに笑うのであった。


 頭首をはるには、実力がなければならない。それを示すために、多津売たつめは時々、わらはたちと剣──に見立てた棒で、打ち合いをする。

 多津売たつめにかなう者は誰もいない。弟とは良い勝負になる。


多津売たつめお姉ちゃん、かっこいい……。」


 金弓がうっとりと、連戦に息を弾ませる多津売たつめを見るので、


「あん? 来るか? 誰でも、あたしに勝負を申し込んで良いんだよ……。」


 と多津売たつめは、切れ上がったまなじりで親切そうな笑顔を浮かべる。


「姉ちゃん、そのような凄まじいつやの笑顔は目の毒です……。」


 弟がつぶやくが、多津売たつめは親切そうに笑ってみせただけである。心外しんがいだ。


「………。」


 金弓は、多津売たつめの顔を無言で見つめ、ちょっとぼんやりした表情を浮かべた。仲間に渡された木の棒を握り、ふらふらと多津売たつめの前にでる。


 結果。


 こてんぱんにした。


「わああああん!」


 金弓は泣きべそをかいて、お付きの家人けにんと逃げ帰っていった。



    



 

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