第四話  佐味君金弓

 多津売たつめは言葉のまっすぐさに、頬を染めてうつむいた。


「もう、親同士で金弓かなゆみさまとの婚姻は決まっています。」


 そう。承知の事。

 ゆえに、今朝、母刀自の手によって、はぎの木彫りの簪を、結い髪に挿されてもいる。




 女官として務めはじめ、しばらくしてから……、まだ十五歳の頃、母刀自から木簡もっかんが届いた。


 おまえの将来の婚姻相手が決まった、佐味君金弓さみのきみのかなゆみ様である、と。

 その時は、


(ふうん。そっかあ。)


 そうとしか思わなかった。


 女官は皆、女嬬にょじゅを目指し、また、上毛野君かみつけののきみおのこ見初みそめられることを夢見るものである。

 それがほまれであり、生家せいかの喜びであるからだ。

 

 上毛野君かみつけののきみおのこ吾妹子あぎもこ(愛人)となり、屋敷に残るか。

 女嬬にょじゅになり、屋敷に残るか。


 その二つの道を歩めなかった上級女官は、皆、二十一歳になり次第、女官をめ、生家に戻る。

 まだ女官で仕えているうちに、将来の婚姻相手を決めておくのは、生家に戻ったら、すぐに婚姻できるようにする為だ。

 

 

 

 いなやはあろうはずもない。


 さとおみなには郷の。

 多津売たつめには多津売たつめの生きる道がある。



 十五歳になったら女官になること。

 二十一歳になったら、すぐに親の定めに従い、婚姻すること。


 多津売たつめはそう生まれ、そう生きているおみなだ。


 己の道を歩くのは己の足。

 道を間違わず歩きなさい。

 障害物は拳骨げんこつしなさい。


 それが母刀自の教えだ。






 横に並んだ金弓かなゆみが、じれったそうな顔をし、つないだ手を離した。

 

「そうだけど、そういう事じゃない。

 多津売たつめの気持ちを聞かせてほしい。」


 金弓は、多津売たつめをじっと見つめながら、髪に挿した萩と水精すいせい(水晶)のかんざしに、ほんの少しの間、触れる。


「恋うてるんだ。多津売たつめに邪険にされたら、生きていけない。」

「そんな……、生きていけないだなんて。」

「本当だ。この五年と四ヶ月、オレは、雪に溶けてしまうような思いだったんだ。

 恋とは……苦しくて。」


 金弓は眉をゆがめ、静かにそう言い、目を伏せた。


「嬉しいです。」

「え?」

「そんなに思ってくれて、嬉しいです。あたしのこと、大事にしてくれますか?」

「うん! 大事にする!」


 金弓は幸せそうに、ふくふくとした笑顔を浮かべた。

 九歳の頃浮かべていた、愛嬌のある笑顔、そのままだったので、多津売たつめは、くすっと小さく笑った。


(まさか、あの九歳の男童おのわらはが、あたしのつまになるとはなあ……。

 でも、悪くはないや。

 一途にあたしを想ってくれてるなら。

 きちんと、綺麗とか、大事にするって、言葉で言ってくれるおのこは憎からず(ポイント高い)。

 それに、ぽっちゃりして、年下のおのこって、なんだか可愛い……。)






 とんとんと話は進み、よばひ───初めてのさ寝※の夜がくる。






     *   *   *




 さ夜中よなかと  けぬらし


 かりの 


 こゆるそらゆ  つきわた




 佐宵中等さよなかと  夜者深去良斯よはふけぬらし  

 鴈音かりがねの

 所聞空きこゆるそらゆ  月渡見つきわたるみゆ




 美しい夜がける。

 かりの声が聞こえる夜空を、つきが渡っていくのを見る。




       万葉集  柿本人麻呂かきのもとのひとまろ歌集より





    *   *   *



 


 くあぁぁぁん……、くあぁぁぁん……。


 かりの鳴く声が月夜にとよもす。




 多津売たつめは、ごく、と唾を呑み込み、


「は、初めてなんですね……?」


 と、つい、言ってしまった。

 もちろん多津売たつめも初めてなのだが、明らかに、金弓かなゆみの方が緊張していて、ガチガチだったからである。

 金弓かなゆみは、かっ、と瞬時に真っ赤になって、


「十六歳なんだ! おかしいことはないだろう! 

 嫌なら……、今日は帰る。このまま、遊行女うかれめに手ほどきをしてもらってくる。それが望みなら……。」


 と震えながら本当に衣を着始めた。


「待って! 違います……!」


 多津売たつめは慌てて、金弓の白いぽてっとした腕をとった。振り向いた金弓は、ぽろ、と涙をこぼした。


(えー!)


 多津売たつめは驚いた。


「恋うたおみなを抱きたいだけだ。

 そんなにおかしいことか?! 

 皆、好き勝手言う。

 いくら女官が美女でも、年増じゃあいけない、若いおみなと遊んでおけ、九歳で気に入ったって、わらはの恋だ、気まぐれだ。

 挙げ句、女官は今頃、御手付きになってるかもしれませんなあ、なんて、同情するように言う……!」


(あ……!)


 五年。多津売たつめ女嬬にょじゅになる事だけを考え、女官として過ごした間、金弓は、このような心無い言葉に耐え続けたのだ。


(どんなに辛かったろう。

 それなのに、あたしは、なんて酷い言葉を口にしてしまったのだろう……。)


 多津売たつめは泣く金弓をかき抱いた。


多津売たつめ……!」


 金弓は、多津売たつめにすがりつくように背中に腕をまわした。


「苦しい時、オレは想像したんだ。

 もし多津売たつめが、女官じゃなかったらって。

 オレは九歳で多津売たつめと出会って、すぐに佐味君さみのきみの屋敷に、多津売たつめを召し出すんだ。

 まだ夫婦めおとにはなれなくても、多津売たつめはずっと、オレのそばにいるんだ。

 オレはいつでも、多津売たつめの手を握るんだ。

 オレが声変わりしたら、多津売たつめに口づけを許してもらうんだ。

 十六歳までは、こっそり、人に隠れて口づけだけして、ずっと一緒にいて、十六歳になったら……。」


 そこで、ぽろぽろ、金弓から沢山の涙がこぼれた。

 多津売たつめは先を促した。


「十六歳になったら?」

「……十六歳になったら、オレは、お待たせって言って、多津売たつめ夫婦めおとになるんだ。多津売たつめはね、オレが、十六歳になるまで、待っててくれるんだ……。」

「待ってた!」


 多津売たつめは、気がついたら、大声でそう言っていた。

 実際は違う。

 でも……、良いではないか。

 本当に、金弓かなゆみの傍で、そう口にした多津売たつめが、もしかしたら、いたかもしれないではないか。

 ……ないかも。

 いや、あるか、ないかではない。

 自分の気持ちが大事だ。

 ポロポロ泣く金弓に、言ってあげたいのだ。

 待ってた、と。

 だから、言う。


「待ってた。……恋うてる。」


(おおっと! 口が滑った。奉仕が過ぎる!)


 金弓は、はっ、と息を呑み、真っ赤な顔で、


多津売たつめ! 恋うてる。心から。オレのいも!」


 と勢い良く言った。


 オレのいも、とは、おのこにとっての、たった一人の運命の恋人という意味だ。


(おおっと! 早すぎない? それ?)


 多津売たつめは眉をひそめて無言になった。


「オ、オ、オレのいも……。」


 金弓は情けない顔になり、パチパチまばたきしながら不安そうに繰り返した。


 いもと呼ばれたおみなが、おのこ愛子夫いとこせ(運命の恋人)と呼ばない限り、いもだと認めたことにはならない。


 金弓の不安でたまらない表情を見て、多津売たつめは、ぷっ、と吹き出した。


(良いですよ。)


 柔らかく笑い、


「あたしの愛子夫いとこせ。」


 そう、呼んだ。


「わあん!」


 金弓は大泣きして抱きついてきた。


 ひとしきり泣いたあと、金弓は夢中で多津売たつめに口づけをしてきた。


 





    *   *   *



 ※さ……男女が素晴らしい夜を過ごすこと。




↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330665771320163

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る