終話  月渡る見ゆ

 金弓かなゆみの手が、するすると肌をすべる。


「あたしが本当に、上毛野君かみつけののきみ吾妹子あぎもこ(愛人)になってしまったら、どうするつもりだったんですか?」


 金弓は、ぴたっと手を止めて、多津売たつめの顔を上から覗きこんだ。悲しさをにじませた顔で、静かに、


「どうもできない。手の届かないところに行ってしまったなら……。いくらオレが名家の生まれといっても、できる事に限界はある。

 だから、なるべく考えないようにして、祈ってた。多津売たつめが、オレのもとに来ますようにって……。」


 と言った。


(そんなに待っててくれたなんて……。)


 なんだろう。胸が、詰まるように感じる。

 金弓のくりっとした目に、悲しさと、誠実な光が見える。多津売たつめは、その目を、じっと、見てしまう。


「なんで、そんなにあたしを……?」

「綺麗だったから。」


 金弓が照れたように言う。


「?」


 それは嬉しいが、ちょっと理由としては弱い気がする。

 多津売たつめに覆いかぶさる金弓に、


(もっと話して。)


 と、微笑みながら、目で訴える。


「ええとね、川原で戦ってるのが、一人だけ、動きが綺麗で、身体が、髪が、明るく光ってるように見えたんだよ。そんなバカな? って思って、それで、橋から身を乗り出してしまった。

 近くで多津売たつめを見たら、ビックリするくらい綺麗で、やっぱり、眩しく光ってるように見えた。

 後にも先にも、そんなの、多津売たつめしか見たことがない。」

「へえ? ふふふ、おかしいの。

 あたし、強いから。阿部郷あへのさと多津売たつめ有り。

 その女童めのわらはたつのごとしって言われてました。

 知ってますよね?

 あたし、たつみたいなんですよ。」

「ああそう! 多津売たつめは、たつ宝珠ほうじゅなんだな。」


 金弓が愛おしそうに、多津売たつめの頬を撫でながら言った。

 

「え?」

多津売たつめが、宝珠ほうじゅの化身なんじゃないか? だから、キラキラ光って、綺麗なんだ。オレの……宝物だよ。」

「まあっ! ふふふ。」


たつみたいって言われたことは、今までも沢山あったけど、たつ宝珠ほうじゅは初めて……。

 宝珠……。

 あたしが宝珠だなんて。)


 憎からず!


 多津売たつめ陶然とうぜんとした心地でいると、


「えへへ。」


 と金弓が楽しそうに笑い、


「蒼天龍遨放

 白雲涌口中

 青山遥揺曳

 掌中珠耀然



 蒼天そうてんたつ遨放ごうほうす。

 白雲はくうん口中こうちゅうよりき、

 青山せいざんはるかに揺曳ようえいす。

 掌中しょうちゅうたま耀然ようぜん




たつ蒼天そうてんを欲しいままに遊ぶ。

 白雲はくうん口中こうちゅうよりき、青山せいざんの上をはるか遠くまでれたなびく。

 掌中しょうちゅうたまは光り輝く)」


 とカッコいい漢詩を多津売たつめに捧げた。

 正直、何を言ってるか分からなかった。

 でも良い! なんかカッコいいもん!


たつと宝珠。なんて綺麗なんだろう……。)


 憎からず! 憎からず!


(よろしい、ご褒美ほうびさずけよう。)

 

 多津売たつめは、ふっくらした金弓の頬を両手でとらえ、自分ができる最高の口づけをしてあげた。

 ちゅ、唇が音をたてて、恥ずかしくなった。

 唇を離し、にこっ、と微笑みかけてあげると、金弓はぼうっとした顔で、


多津売たつめ……。」


 とつぶやいた。

 あまりしげしげと多津売たつめの顔を見るので、


「今でも、あたし、光ってみえるの?」


 と多津売たつめは訊いてしまった。


「普通にしてると普通……、ええと、光ってないよ。でも、時々、ぱあって光ってみえるんだ。

 今も……、全身光ってるみたい。細い首も、豊かな胸も、まろやかな腹も、すごく……綺麗だ。」


 金弓は、うっとりと言って、うっとりとした口づけをあちこちに落とす。ふんわりとあちこちを撫でる。

 多津売たつめは少し震え、はぁ……。とため息をつく。




 月が、中天ちゅうてんかる。

 夜が、深くなる。

 金弓が深く差し入れたので、


 あう。


 と多津売たつめは声をあげ、尻が浮き、快楽くわいらくおみなつぼから脳天まで一気に駆け抜け、また金弓がすので、


 ……天に昇る。


 快楽くわいらくに連れられて、金弓に地から天に、ぱんと押し出されるように、月影さやかな夜空にはだかの身体が浮かんだ。


 まあるい月が見える。

 藍色の夜空に浮かぶ多津売たつめの身体のなかを、まあるい月がしらしらと光を放ちながら、渡る。


 はあ、はあ、金弓の息遣いが速くなる。


 ああ、……綺麗。


 快楽くわいらくの夜空に揺蕩たゆたいながら、多津売たつめは、さ寝とはなんて美しいんだろう、と思った。





 金弓の精を嬉しく受け止めてから、二人、抱き合うなかで、多津売たつめはこの愛子夫いとこせに、何かワガママを言いたくなった。


「金弓さま。お願いがあります。

 あたしを呼ぶ時は、必ず、愛する妻、恋しい多津売たつめ、って呼んでくれませんか?

 おみなは、口にしてもらわなきゃ、安心できない生き物なんです。」


 と金弓の胸でささやいたら、


「うん、わかった! 初めてのお願いだね……。わかったよ! 恋しい多津売たつめ!」


 と力強く金弓は頷いた。






 その時は、多津売たつめは知らなかった。




 まさかその約束を、金弓が、子供が生まれ、孫が生まれても、守り続け、末永く愛する妻と呼び続けてくれるようになるとは。




 そしてさらに。

 


 幾夜も過ごすうち、ねやで、あんまり年下のつまの反応が可愛いので、ついつい多津売たつめこまやかにしすぎ、


「わあ───?! そんなになの───? ああ、そんなところも?! 愛する多津売たつめ、すごいよぉぉ……。」


 と言わせる事になろうとは。



 さらには。



 緑兒みどりこ(赤ちゃん)が産まれてから。


「大丈夫かな? 泣き止まないよ? お腹すいたかな? ほら、この、かゆ少しあげたら良いんじゃない? ねえねえ、オレが抱っこしようか? 億野麻呂おのまろはね、オレが好きなんだよ。父だもんね。ばぁ~!」


 泣く緑兒みどりこを抱く困り顔の乳母ちおも相手に、金弓の喋る口が止まらない。

 多津売たつめはしかめた眉間をピクピクさせながら、うなった。


「うぅ……。」


 くりっ、と無邪気な目で金弓が多津売たつめを振り向き、こて、と首をかしげた。


「う?」

うるさぁ───い! 黙ってろぉ!」


 多津売たつめは目にも止まらぬ速さで右の拳を突き出し、金弓の横っつらを打ち抜き、へぼぁっ、と金弓は宙を舞い、はたら乳母ちおもは、きゃー、と悲鳴をあげ、もちろん億野麻呂おのまろは泣き、阿鼻叫喚の絵図を繰り広げ、……それ以来、金弓のちょっと頼りない、情けない性格に出くわすと、横っ面を打ち抜くまではしないでも、ちょっとお仕置きをするようになろうとは……。



 その時は知る由もなかったのである……。








      ───完───







↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330665804970447

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