流星宝冠

 ぬぐっても拭っても、涙が止まらない。

 それでも、フェリユは振り返らずに前だけを見て走り続ける。

 地下へと続く半壊の階段を駆け降り、通路を走り抜けていく。

 そうして、来た道を戻る。


 もう、マリアの姿は振り返っても見えない。

 世界の違和感を読み取らなければ、マリアの存在を感じることもできない。


 自分が未熟だったから。

 マリアと肩を並べて歩くだけの実力も知識もなかったから。

 甘えてばかりいたから。

 最も大切なものを手放さなければならなかった。


 だが、フェリユは後ろを見ないと誓った。

 もうこれ以上、大切なものを失わないために。

 今度こそ、全てを護るために、前だけを向いて進むと決意した。

 だから、もうマリアの気配も読まない。

 今必要なのは、地下の奥で瀕死になっているレイのもとへと少しでも早く駆け寄り、助けることだ。


 上級戦巫女や上級巫女たちも泣いていた。それでも、戦巫女頭のフェリユが前だけを見据えて進む後ろ姿を追って、全力で追従する。


 幾つかの地下室を抜け、通路を走りすぎた先。


「レイ!」


 フェリユは叫び、大きな空間へと飛び込む。

 ユヴァリエールホルンを構え、慎重に周囲の様子を伺う。


 規則正しく並び立っていた柱が、何本も損壊して折れていた。

 壁や床にも激しい戦闘跡があり、所々では天井が崩れて土砂が流れ込んできている場所もある。

 その中で、天星あまほしみちびきにも影響されず地下に降ろされた月の影に縛られる、一体の巨大な獣の姿があった。

 白い毛並みは血のまだらを幾つもつくり、地にすようにして呪縛された、巨大なひょうのような獣そが、嘗て魔王の座にあったというレイクード・アズン。

 五百年前よりルアーダ家を呪い、マリアを苦しめ続けた邪悪の根源だ。


「お前さえいなければ!!」


 ユヴァリエールホルンのきっさきを向けるフェリユ。

 しかし、呪縛されているレイクードは、牙を剥き出しに威嚇しながらも、愉快そうに笑う。


「くくくっ。この程度の呪縛など、全盛期の我であれば容易たやすく打ち破れたものだが。老いとは憎きものよ。こうしてようやく自由になったと思ったが、聖女にたばかられて月の呪縛を受けようとは。老いとは、肉体だけでなく思考まで鈍くなるものなのだな。聖女のたくらみも見抜けず、この程度の呪縛も解けぬとは」


 レイクードは、元魔王という言葉が事実であるのなら、己の置かれた状況を深く理解しているはずだ。

 新月の陣の呪縛は、これより旧神殿都市跡に降る流星群の前段階に過ぎない。

 呪縛を解けないということは、即ち最後は死するということを指す。

 それだも、レイクードは愉快そうに笑う。


「五百年ののちに得た呪いの果てがこのような結末とは。笑え。貴様ら人族如きが、この偉大なるレイクード・アズン様の陰謀を退けたのだと」


 言って、自ら喉を鳴らして笑うレイクード。

 だが、フェリユは呪縛されたレイクードなどには目もくれずに、目的の人物を探す。


 レイはどこ……?


 気配を読み、負傷しているはずのレイを探す。

 すると、フェリユたちが駆け込んできた場所と呪縛されているレイクードを挟んで反対側の、天井が崩れた瓦礫がれきの側に、レイが倒れていた。


「レイ!」


 レイクードを迂回するように、フェリユはレイのかたわらに駆け寄る。

 そして、息を呑む。

 レイは満身創痍を超えて、瀕死ともいえるほどに、全身に傷を負っていた。


「待っていてね。すぐに助けるから!」


 マリアから譲られた小壺の封を破り、中身をすくう。軟膏なんこうのような粘度の固形物を指に取り、先ずは血塗れになっているレイの腕に塗ってみる。

 マリアが、傷を癒す秘薬だとして譲ってくれた物だ。その効果に疑いなど持ってはいない。

 しかし、それでも薬は薬だ。

 その効果が瀕死のレイにとって不十分だと判断すれば、フェリユは迷いなく上級の回復法術を使う。


 しかし、強い回復法術には、重い後遺症こういしょうが残る。

 回復法術といえども、そこは巫女が起こせる程度の小さな奇跡でしかない。

 回復法術とは、女神の力の欠片かけら、即ち法力によって被術者自身の生命力を活性化させ、傷や病を癒す。

 上級法術にもなれば、致命の一撃であっても傷を癒やし、不治ふじやまいさえも完治させる。

 しかし、被術者は恩恵ばかりを受けるわけではない。


 巫女から法力を受け、傷や病をいやす。

 言い換えれば、被術者は他者から自身の生命へ強く干渉されたことになる。

 そうすとる、精神に脆弱性ぜいじゃくせいが生まれてしまう。

 他者からの干渉を受けて傷や病を克服した生命は、外部からの精神干渉を強く受けるようになってしまうのだ。


 上級法術になればなるほど、その癒しの効果は大きくなる。比例するように、精神干渉を受け易くなるという重い後遺症が残る。

 精神に干渉され易くなるということは、洗脳や精神系の呪術じゅじゅつや魔法の影響を受け易くなる、ということだ。

 それが、女神が世界に唯一齎した回復術の限界でもあった。


 それでも、レイを死なせるくらいならば、フェリユは躊躇いなく上級法術を使う。

 そう決意しながら塗った軟膏は、レイの腕の傷に触れると、見る間に傷口を消していく。

 切り裂かれた肉が閉じ、皮膚が再生して、傷などなかったかのように腕を癒す軟膏の効果に、フェリユは驚く。


「もう、マリアのばかっ。こんなに凄い秘薬を何処で手に入れたの? いつか、絶対に聞き出してやるんだからね?」


 まだ、フェリユのれ目からは大粒の涙が零れ落ち続けていた。

 涙で揺れる視界。

 それでも、フェリユは素早くレイの傷を癒やしていく。

 少量で驚くべき効果を発揮する秘薬は、瀕死のレイの傷を瞬く間に消し去っていく。


「……フェリユ」


 全身の傷が及ぼす痛みがなくなったことで、レイがようやく意識を取り戻す。

 そして、自身の身体に起きた奇跡に目を見開き、フェリユを驚きの瞳で見つめた。


「あのね。マリアに秘薬を貰ったの。だから、上級回復法術で癒したわけじゃないから、安心してね?」

「……ああ、そうか」


 身体に異変がないかと、自分の手足に視線を落とすレイ。

 大神官の神官装束は見るも無惨なほど襤褸ぼろになり、槍も折れて使い物にならない。

 緊急事態でなければ、乙女おとめのフェリユや巫女たちは、レイのあられもない姿から視線を逸らしていたかもしれない。

 レイは自身の回復を確認すると、改めてフェリユを見た。そして、月の影に呪縛されて尚、愉快そうに笑うレイクードを。


「危ういところだった。あと少し、新月の陣の発動が遅れていれば、私は殺されていただろう」


 秘薬によって完全回復したレイは、自力で立ち上がる。

 フェリユも、レイの回復を確認すると、ユヴァリエールホルンを手に立ち、レイクードに向き直った。


 上級戦巫女や上級巫女たちは、フェリユがレイを癒している間に、レイクードを囲むように布陣していた。


「くくくっ。それで、どうする? 三日月みかづきじんとは違い、月の影の内側であっても貴様らは自由に動くことができる。それで、我に今この場でとどめを刺すか?」


 にたり、とこれまでの愉快な笑いを消して、魔族然とした残忍な笑みに変わるレイクード。


「フェリユ」


 と、レイがレイクードに視線を向けたまま聞く。


「マリアや、特位の者たちは?」

「うん。後で話すね? でも……」


 多くを語らずとも、レイは察する。

 レイクードとマリアは繋がっていた。ということは、恐らくは別の場所でマリアも月の影に呪縛されているのだろうと。


「どうする? 聖女を救いたければ、この呪縛を解けば良い。だが、それは我を解き放つということを意味するぞ? それとも、動けぬ我をこの場で倒すことで呪縛の意味を消し、聖女を救うか?」


 人の心をもてあそぶかのように、レイクードは自ら提案する。


 確かに、この場でレイクードを討伐できれば、新月の陣や流星宝冠の必要はなくなるのだ。

 二つの大法術は、レイクード・アズンという獣の魔族を討伐するための術なのだから。

 そして、新月の陣が解ければ、マリアも自由になる。


 まるでマリアとフェリユたちのやり取りを知っているかのように、全員の心を揺さぶる言葉を口にするレイクード。


 レイは、確認するように一瞬だけ傍のフェリユを見た。

 フェリユは腰を落とし、ユヴァリエールホルンを両手で持って、きつくレイクードを睨んでいた。

 法力を全開で解放し、あらゆる状況に瞬時に対応できるように身構えるフェリユ。


 しばしの時間が過ぎる。

 くつくつと喉を鳴らして、己の置かれた立場やフェリユたちの心の葛藤かっとうを愉快そうにわらうレイクード。

 一方の上級戦巫女や上級巫女たちは、無言でレイクードを包囲したまま、フェリユの判断を待つ。

 レイも、フェリユの状況分析を黙って見守る。


 そして、レイクードの嗤いだけが響く地下の大きな空間の中で、フェリユは全てを整理する。

 レイクードの言う通りだ。

 ここで魔族を討てれば、マリアの呪縛は解かれる。


 だが……


「ううん、駄目だ。あたしたちの今の実力では、この魔族を完全に討ち倒すことはできないよ」


 言って、ユヴァリエールホルンの鋒を下げるフェリユ。

 フェリユの下した決断に、レイが驚く。


「戦巫女頭のお前でも、呪縛されたレイクード・アズンが討てないと?」

「そうだよ……。レイはどうやってレイクードにあれだけの傷を負わせたの? でも、ほら。よく見て。少し深い傷もあるけど、致命に至るような負傷はしていないんだよ、あの魔族は」


 レイは、口にしない。

 己の秘密を。

 フェリユも、追求するつもりで言ったわけではない。だから、そのまま続けて自分の判断を口にする。


「ユヴァリエールホルンに全力の法力を乗せても、レイクードの首は落とせないと思う。あの魔族の魔力は、計り知れないほどだよ」


 レイクード・アズンは、自らを老いたと言った。

 肉体も思考も老には勝てず、だからこうして呪縛されている。

 だけど、とフェリユは正確にレイクードの実力を測る。


「マリアの、猩猩しょうじょう緋色ひいろ羽衣はごろもと一緒だよ。魔力をみなぎらせたあの魔族の命を落とすためには、生半可な攻撃じゃ駄目なんだ。だけど、未熟なあたしたちにはそれだけの実力がない」


 戦巫女頭のお前でもか、と問うレイに頷くフェリユ。


 この場で、レイクード・アズンを討つ手立てがない。

 つまり、新月の陣を解くことはできず、流星宝冠という大法術を頼るしかない、と決断するフェリユに、巫女たちも悲痛な表情で視線を落とす。


「……フェリユ。その決断で良いのだな?」


 レイも、必死に悲しみをこらえた視線でフェリユを見下ろした。

 わかっている。マリアを追って行ったフェリユが、今も涙を溢し続けている。その傍にマリアが立っていないという意味を。


「良いんだ。あたし、マリアと約束したから」


 何を、とレイは聞かない。


「大丈夫。あたしは見失ってなんかいない。レイクード・アズンを倒す! それが、神殿都市やあたしたちが最も優先すべき目標なんだ!!」


 フェリユの叫びが地下空間に響く。

 レイクードの嘲笑ちょうしょうを打ち消すように。


「あたしは、お前を絶対に許さない! 魔族なんて大っ嫌いだ!! だから、見ていろ! 魔族の陰謀なんてあたしが全部打ち破ってやる!! これからも、人族の安寧を護り続けて、魔族の影なんて排除するんだからね!」


 全力で叫び、フェリユは踵を返した。

 そして、呪縛されたままのレイクードを放置して走り出す。


「戦巫女頭様に続け!」


 上級戦巫女や上級巫女たちも包囲を解き、フェリユを追って走り出す。

 フェリユたちの決断と行動を見送って、レイが最後に続く。

 その背中に、レイクードが喉を鳴らして言葉を向けた。


「大神官、覚えておくことだ。我が語ったことを。でなければ、本物の闇が貴様らの未来を暗黒に閉ざすだろう」


 レイは、レイクードの言葉に反応を示すことなく、地下の空間から走り去った。






 マリアを残し、レイクード・アズンを呪縛したまま、フェリユたちは旧神殿都市跡を抜け出す。

 最初に潜った階段を駆け上がり、再び見上げた夕刻の空には、まばゆく星々がきらめく。

 もう間も無く、流星は落とされる。


「戦巫女頭様! 大神官様!」


 フェリユたちの帰還を待ち構えていたかのように、礼祭殿の巫女頭アマティアが駆け寄ってきた。

 そして、地下から姿を見せる者たちの姿を順番に確認していく。

 レイの襤褸になった神官装束を見て目を見開き、それでいて傷を負っていない様子に息を呑む。


「まさか、大神官様!?」

「私の傷のことは大丈夫。フェリユの秘薬のおかげで、上級回復法術を受けることなくこうして回復できている」


 レイの言葉に、ほっと胸を撫で下ろすアマティア。


「それで、アマティア殿。準備の方は?」


 レイの質問に、頷き返すアマティア。


とどこおりなく。新月の陣も、破られることなく展開しております」


 マリアは、呪縛を破る素振りを見せていなかった。

 レイクード・アズンも、己の運命を受け入れている様子があった。

 だから、新月の陣は破られることはないだろう。

 ならば、後に続く結末までの道筋は変わることなく示されている。


「それで、フェリユ様。マリア様は……?」


 獣の魔族が旧神殿都市跡に潜伏している、と情報を齎したのはマリアだ。そして、マリアには長老巫女の殺害という疑惑がかかっている。

 フェリや巫女たちは、そのために旧神殿都市の地下へと降りて行った。

 だが、帰ってきた者たちの中に、マリアや特位の戦巫女や巫女たちの姿はない。

 アマティアの疑問に、レイは首を横に振って応える。


「マリアたちのことは、のちほど……。今は、一刻も早く大法術『流星宝冠』の発動を」

「そ、それでは!」


 フェリユが泣いている意味。

 上級戦巫女や上級巫女たちが目を伏せている理由。

 アマティアも、息を呑んで理解する。


「行こう、アマティア。マリアの決意と覚悟を無駄にはできないから」


 言って、フェリユはアマティアの手を取り、うながす。

 今や夕刻の空を煌めかせる数多あまたの星々は、時が来れば、地上の月の影を目指して流れ落ちてくる。

 この場にいては、フェリユたちまで巻き込まれることになる。


 フェリユに手を引かれたアマティアは、最後にもう一度だけ地下へと続く入り口を見つめた。


「マリア様……」


 しかし、それ以上は口にせず、アマティアはフェリユと共に歩き出す。

 レイや他の者たちも、後に続く。


 そうして、全員で月の影から抜け出し、大呪縛法術を展開し続けている巫女たちの輪のもとへと戻る。

 フェリユたちの帰還を確認した誰もが、アマティアと同じような反応を示す。

 だが、誰も余計な口ははさめない。

 全ては、フェリユの涙が物語っていた。


「フェリユ、良いな? これより、神殿都市へ合図を送る」


 レイに問われ、フェリユは気丈に頷いた。


「はい。戦巫女頭として、要請します。大法術『流星宝冠』の発動を!」


 フェリユの言葉に頷くレイ。

 アマティアが、自身の伝心玉で神殿都市へと通達する。


 全ての者たちが見上げる空。

 煌めく星々が、より一層に輝きを増す。


 天空に浮かぶ星々の輝きは、創造の女神がいただかんむり


 きらり、と一粒の星が瞬いた。


 長い尾を引き、天空から落ちる星。

 続き、ひとつ、ふたつ、と流星が降り始める。


 月は、創造の女神アレスティーナを示す。

 星は、世界に生きる者たちを表す。

 星々の輝きは、人々の願いであり、祈りである。


 女神の冠から零れ落ちた流星は、人々の祈りと希望を宿し、地上へと降り注ぐ。

 眩い星々の輝きと、星が大地を貫く激しい振動が、見守る者たちの全感覚を支配していく。


 誰もが、無言で空と地上と流星を見つめ続ける。


 どうか、神殿都市に平和をもたらたまえ。

 人々に安寧を与え賜え。

 闇を祓い、希望の光を示し賜え。


 人々は祈る。

 そして、願う。


 フェリユは瞬きをすることなく、全てを見届けた。

 星々に誓う。

 月に訴える。


 未熟であった己の弱さを捨てる。

 もう、誰も悲しませない。

 だから、どうかマリアを救い賜え。


 フェリユと共にマリアと対峙した上級戦巫女や上級巫女たちも、祈りを捧げていた。


 創造の女神は、全ての種族に二つずつの真理しんりを与えたと云う。

 人族の真理が「希望」と「奇跡」であるのなら、どうか、マリアに奇跡を与え、我らに希望を示さんことを。


 神殿都市の人々。全ての巫女や神官たちが、祝詞のりとささげる。

 歌のように朗々ろうろうと響く奏上が、世界に浸透していく。


 大法術「流星宝冠」は、人々の祈りと願いを乗せて、いつまでも地上に降り注ぎ続けた。






 後世の伝記にはこう残されている。


 聖女マリアと付き従った巫女たちは、五百年前より続いた深淵しんえんとも呼べる深い闇と呪いを祓うために、そのとうとき命を女神に捧げた。

 そうして、神殿都市と人々を流星となって護り抜いた。


 と。

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聖女の鎮魂歌 寺原るるる @yzf

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