フェリユ・ノルダーヌ

 大法術「新月しんげつじん」の影が、旧神殿都市の遺跡に降りる。


 法術において、月の満ち欠けは結界と呪縛を意味する。

 月の輝きは人々を導く光。希望を守護する輝き。よって、じゃを退ける結界を意味する。

 また、月の影は女神の憂慮ゆうりょであり、穢れを縛る。

 月の輝きが強ければ結界法術の威力は増し、月の影が大きければ呪縛の効力が増す。

 よって、月の輝きが最下限となる大法術「新月の陣」は、最上位の呪縛法術だ。


 月の影に縛られたマリアが動きを止めた。

 その事実に、ようやくマリアを呪縛できた、と安堵あんどする者はいない。むしろ、全ての者が息を呑み、絶句していた。


「新月の陣か。なるほど。これは流石に打ち破れない」


 わずかに動く口と視線だけで状況を察したマリアが、淡々たんたんと口にする。

 逆に、フェリユは悲痛な表情で言う。


「あのね、マリア。この術は……。旧神殿都市跡に潜んでいる邪悪、獣の魔族を縛るために準備したものなんだよ?」


 それなのに、マリアが呪縛された。

 それが意味するものとは……


「そうか」


 と短く応え、自らフェリユの言葉の続きを補完するマリア。


「わたしと獣の魔族、レイクード・アズンは繋がっている。あれを『邪悪』として縛る術なら、わたしが同じく呪縛されて当然だろうな」

「レイクード・アズン……!?」


 フェリユも知っている。

 約五百年前に旧神殿都市を襲った魔王のうちのひとりだ。

 何故、その魔王が? というフェリユの疑問に、マリアは淡々と応えていく。


「ルアーダ家は、五百年前よりレイクードに呪われていた。だが、もう良いだろう。ミレーユにその穢れを背負わせるわけにはいかない」

「それじゃあ!」


 呪いとは何なのか。それはわからない。だが、マリアはルアーダ家の当主として、レイクードのもたらした呪いを受けしていた?

 そして、妹のミレーユを救うために……?


「長老巫女様たちの排除と、魔王の呪いを一掃するために、マリアはこの道を選んだの?」


 そうだ、と微かに動く唇で応えるマリア。


「魔王の呪いは、ルアーダ家をむしばんでいた。だが、それをあの病弱なミレーユに負わせるわけにはいかない。そして、貴方に背負わせることもできない。だから、わたしはレイクードをたばかってこの場所におびき寄せた。そして、貴女たちに知らせた」


 マリアは、ひとりで全てを受け止めて、精算しようしている。

 神殿都市に蔓延はびこっていた穢れを、聖女の命を代償として。


「新月の陣でレイクード・アズンを縛った。ということは、次は流星宝冠りゅうせいほうかんによって穢れを祓うという計画だろう」


 全ての巫女たちを導く巫女長みこおさだ。強大な邪悪を祓うための道筋を正しく知っている。

 マリアはこれからの流れを淡々と口にした。しかし、それは同時に、呪縛されている自分自身も流星宝冠の流れ星によって祓われるということを意味していると、マリア自身が知っている。


「マリア、まだ遅くはないよ! あたしが必ず護るから!!」


 フェリユが叫ぶ。

 何が何でも、マリアを救う。そう決めたのだ。

 マリアの疑いを晴らし、ルアーダ家の呪いだって祓ってみせる。そう訴えるフェリユに、しかしマリアは優しい瞳で否定の意志を伝える。


「駄目だ、フェリユ。わたしはもう、新月の陣の呪縛を受けている。流星宝冠は、新月の陣の影を道標みちしるべとして落とされるのだろう?」


 ならば、逃げる場所など何処どこにもない。


「もしも流星宝冠を回避しようと思うのであれば。一度、新月の陣の呪縛を解き、影の外に出なければいけない」


 だが、新月の陣を解けば、おそらく地下で呪縛されているだろうレイクード・アズンを解き放つということを意味する。

 魔王の座に在った魔族だ。一度は不意打ちの呪縛に縛られたとしても、二度目はない。身の危険を察知し、旧神殿都市跡から逃げるだろう。


 これは、最初にして最後の、獣の魔族を討つ機会なのだ。それを、穢れた者を救うだけのために解けるのか。とフェリユに問うマリア。


「あたしは!」


 それでも、フェリユは躊躇わずに叫ぼうとした。

 それを、上級戦巫女がフェリユの口を塞いで止めた。

 上級戦巫女は、泣いていた。


 マリアの覚悟を見て。フェリユの想いを知って。

 全ての上級戦巫女や上級巫女たちが泣いていた。

 フェリユもまた、大粒の涙を流していた。


 わかっている。

 気付いている。

 マリアが新月の陣に呪縛された瞬間に、未来が確定してしまったことを。


「それで良い。早くこの場から立ち去りなさい。あとは、全てわたしが持っていこう」


 呪いも穢れも、全てを引き受ける。マリアは最初からそのつもりだったのだ。

 三年前の大戦よりも、遥か以前から。

 ルアーダ家の呪いを身に宿した瞬間から、マリアはこの結末を覚悟していたのだ。


 ルアーダ家の当主として。巫女長として。聖女として。人々に慕われ、愛されたマリアの揺るぎない決意をたりにし、もう誰も否定などできない。

 非難することもできない。

 マリアにしかできないと知っているから。自分たちでは到底、マリアのような覚悟と決意などできないと理解しているから。


「フェリユ様……」


 フェリユを促す上級戦巫女。

 だが、フェリユはマリアの前から一歩も動こうとしない。


「嫌だ! いやだいやだ嫌だ!! マリアが残るなら、あたしも残る!」


 駄々だだねる子供のように泣き叫ぶフェリユ。

 マリアは困ったように長い睫毛まつげを伏せた。


「マリアを救えないあたしなんて要らない! マリアを助けられないあたしが、人々を導けるわけがないもん! 大切な人を失うくらいなら、あたしなんて要らない!」


 わあわあと泣き、呪縛されたマリアに抱きつくフェリユ。

 マリアはそのフェリユに、優しく言葉を向ける。


「駄目だ、フェリユ。貴女は行きなさい。でないと、わたしが未練を残すことになる。わたしのわががままで、大切な貴女を失うということだけはしたくない」


 それに、と微笑むマリア。


「貴女にしか頼めないのだ。ミレーユは、ひとりでは生きていけない。だが、他者にあの子をゆだねることはできない。わかるだろう、フェリユ?」


 ミレーユの抱えた秘密は、ルアーダ家の者だけが知る。ルアーダ家の者以外では、フェリユしか知らない。


「フェリユ、貴女がここに残るということは、貴女はミレーユを見捨てるということになるのではないか?」

「マリアは、あたしとミレーユを見捨てようとしているよ?」

「……ごめんなさい。そうだな。だが、わたしは貴女を信じているからこそ、この選択肢を取れたのだ。だから、最後に。わたしを安心させてほしい。どうか、ミレーユを護ってあげて」

「ずるいよ。あたしもマリアに護ってもらいたかった。ずっとずっと……」

「甘えん坊だな、フェリユは。だが、貴女もいずれは独り立ちしないといけない。フェリユ。知識と経験を積み重ねなさい。研鑽けんさんを積み、強くなるのだ。そうすれば、貴女はきっと人々を導ける立派な巫女になれる」


 今はまだ未熟だ、と戦巫女頭に向かってはっきりと言い切るマリアだが、声音こわねはどこまでも優しい。

 姉のように。母のように。慈愛に満ちた瞳で、自分の胸もとで泣きじゃくるフェリユを見つめるマリア。


 上級戦巫女や上級巫女たちは、フェリユとマリアの邪魔をせずに、静かに見守っていた。


「マリア……」

「なんだ?」

「あたしはね。まだミレーユの言葉を信じているんだよ?」

「あの時の言葉か。ミレーユが口にすると、信憑性しんぴょうせいが増すな」

「うん。だから……」


 きっと、マリアは大丈夫。とはフェリユは口にしなかった。


「あのね、最後に教えて。忘れていたわけじゃないんだよ? 特位の戦巫女や巫女たちは、どうしたの?」


 旧神殿都市跡に、獣の魔族を追って向かったと思われていたマリアや特位を冠する戦巫女や巫女たち。

 だが、獣の魔族とマリアの姿はあったが、特位戦巫女や特位巫女たちの姿はひとりとして目撃されていない。

 世界の違和感を読み取れるフェリユの感覚にも、旧神殿都市跡に他者の気配は引っかからない。

 フェリユの疑問に、マリアは少しだけ困った表情になる。


「あの者たちには、迷惑を掛けた。わたしの側近だったというだけで、色々と苦労をかけてしまった」


 特位を冠する戦巫女や巫女たちは、三年前迄はマリア麾下の守護戦巫女や守護巫女として、巫女王の側に支えていた。

 その彼女たちは、今でもマリアの部下として、マリアの手足となって動いていた。ということは、特位の戦巫女や巫女たちも、色々と知っていたのだろう。


「あの者たちには、わたしが巫女長として暇を与えた。今は全員がながぼしとなり、遥か遠くへ旅立った」


 流れ星の巫女とは、ある一定の神殿には所属せず、世界中を回りながら己の宿命を探す放浪の巫女たちのことを指す。


「遥か遠く?」

「そうだ。ある者の力を借り、流れ星を遠くへ飛ばしてもらった。誰も手を出すことのできない、安らかな地だ」

「それじゃあ、流れ星は追えないね?」


 マリアは、否応いやおうなく関わってしまった特位の戦巫女や巫女たちをたちを一連の騒動から救うために、流れ星として世界に解き放ったのだ。

 流れ星となった巫女には、過酷な旅が待っている。だが、自由でもある。

 流れ星はいつか、宿命を見つけ、命を賭けることになるだろう。だが、それをフェリユたちが止める権利はない。


「そうなんだ……」


 と、フェリユが見上げた夕刻の空には、星々の輝きがまたたき始めていた。

 あの星々は、祈りの輝き。いずれ、穢れを祓うために流れ落ちる。


「それじゃあ、マリアもきっと流れ星になるんだね? うん、そうだ。マリアは流れ星となって、きっと世界を巡るんだよ。ということはね、あたしとミレーユも、いつかは流れ星になってマリアと一緒に世界中を楽しく旅するのかな?」


 フェリユの突飛とっぴな話に、マリアは微笑んでしまう。


「そうだな。だがその前に、貴女はもっと成長しなさい。でなければ、旅の同行は認めない」

「そんなぁ」


 上級戦巫女や上級巫女たちも、泣きながら微笑んでした。

 敬愛するマリアと、このような別れになるとは誰も思っていなかった。

 だが、フェリユの心からの叫びやわがまま、突飛な空想話を受けて、誰もがようやく受け入れ始める。


 聖女マリアとの決別を。


「最後に。流星宝冠の前に、レイのところへ行くように」

「あっ、レイ!」


 マリアの胸もとから、はっと顔を上げるフェリユ。


「それと、わたしの懐に入っている薬を持って行きなさい」

「薬?」


 首を傾げながら、泣き顔のままマリアの懐を探るフェリユ。すると、こぶしほどの小壺こつぼが手に収まった。


「それは、深い傷も癒せるという秘薬だ。大切に使いなさい」


 フェリユが取り出した小壺には、不思議な刻印がほどこされてあった。

 大きな竜と、大樹。

 どんな意味があるのだろう。マリアは何処で、この秘薬を手に入れたのだろう?

 涙ながらに聞くフェリユだが、マリアはその答えを口にはしなかった。


「さあ、行きなさい。貴女たちまで流星宝冠に巻き込まれては、目も当てられない」


 今から裁きの流星を受けようとする者とは思えないような、どこまでもいつくしみのある優しい声に、誰もが涙を流し続ける。


「マリア様。わたくしたちもいつか、マリア様やフェリユ様たちと共に流れ星として世界を巡れるように、精進いたします」

「未熟であった私たちを、どうかお許しください」

「私たちも、フェリユ様の言葉を信じます!」

「これからも、お慕いしております」


 そして口々に別れの言葉をマリアに送る。

 マリアは、上級戦巫女や上級巫女たちに微笑み、見送る。


「さあ、フェリユ」


 いつまでもマリアに抱きついて離れようとしないフェリユを促すマリア。


「このままでは、レイが死んでしまうぞ?」

「えっ!?」


 マリアに指摘され、世界の違和感を読むフェリユ。

 旧神殿都市跡の、地下の奥。そこに、恐ろしい魔族の気配を感じる。そしてその近くに、動かないレイの気配が在った。


「だから、この秘薬?」

「そうだ。フェリユや神殿都市は、まだレイを失うわけにはいかない。行って助けてやりなさい」


 それでも離れたくない、と戸惑いを見せたフェリユだが、意を決したようにマリアから離れた。


「そうだよね。あたしは信じるって決めたんだ。だったら、これはマリアとの今生の別れなんかじゃない。でも、レイをこのまま放置していたら、本当に死んじゃう!」


 フェリユは、マリアから譲られた秘薬の入った小壺を両手で握り締めると、マリアから距離を取る。

 そして、きびすを返す。


「さようならなんて言わないんだからね!」


 巫女装束のそでで涙と鼻水をぬぐい、フェリユは最後に目一杯の声で叫んだ。

 星々がきらめく空に向かって。


「またね、マリアお姉ちゃん!」


 フェリユは走り出す。

 マリアの返答を聞かずに。

 上級戦巫女や上級巫女たちも、振り返ることなくフェリユに追従して去っていく。


 未来へと進み始めた者たちの背中に、マリアはそっと呟いた。


「ええ、そうね。またいつか」


 そして、マリアも星空を見上げる。

 次第に数を増やしいてく星々。輝きも増していく。

 いずれ、あの星々が流星となり、地上の穢れを祓うだろう。

 それで良い。とマリアは最後にもう一度だけ微笑む。


 自分のような者は、去った方が良いのだ。

 健全な社会のために。

 自分を盲信もうしんする者たちの目を覚ますために。

 フェリユのために。

 ミレーユのために。


「女神アレスティーナよ。どうか残される者たちに祝福を。愛をもって人々を、世界を見守りたまえ」

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