マリア・ルアーダ

 感情任せで振り下ろされたユヴァリエールホルンは、しかしマリアにひらりとかわされて空を斬る。

 ユヴァリエールホルンの刃はそのまま廃墟の地面に突き刺さり、大規模な爆発を生む。

 つばに大小多数の宝玉が埋め込まれた異形の宝槍は、その重量と内包する強大な力によって、想像を絶する威力を示す。


「フェリユ様に続け!」


 躊躇い、遅れながらも、上級戦巫女たちが薙刀を構える。その背後で、上級巫女たちも祝詞の詠唱に入った。

 しかし、すぐに上級巫女たちから驚愕の声が上がる。


「ほ、法術が……!?」


 マリアを呪縛しようと、法力を練って祝詞を奏上しようとした上級巫女たち。だが、その法力が祈りに反応しない。

 狼狽うろたえる上級巫女たちに、フェリユの斬撃を水の流れのように躱しながら、マリアが指摘を入れる。


「貴女たちはまだ修行が足らない。覚えておきない。対峙者同士が法力を向け合った時。お互いの力量に大きな差があれば、女神の力は片方に向く」


 女神の愛は時として平等ではないのだ、と衝撃的な言葉を口にするマリア。

 創造の女神は、世界を創りたもうた。世界に生きとし生けるものは女神の愛を受ける。しかし、世界の全てを創り生んだ女神であっても、あまねく全てを見渡せるわけではない。

 枯れた花や朽ちた樹木と、生を謳歌おうかする若き動物とでは、女神から受ける愛の量が違うように。女神からもたらされた力の欠片かけらの差異によって、法力を受ける総量には違いが生まれる。

 そして、その法力の差異によって、決定的な事象が生まれる。


「お互いの法力に大きな差が存在する場合。より力の強い者の方へと女神の力は傾き、未熟な者は法術を使用することさえままならなくなる」


 そんな、と絶句する上級巫女たち。

 逆に、フェリユは叫ぶ。


「それじゃあ! 女神様の愛を一身に受けて誰よりも強い法力を宿すマリアは、あたしたちなんかよりもずっと立派な巫女じゃないか!」


 それこそ、聖女と讃えられるほどに。

 そのマリアが、なぜごうをひとりで背負わなければならないのか!

 何故、自分に相談してくれなかったのか!

 フェリユは叫び、ユヴァリエールホルンを振るう。

 しかし、出鱈目でたらめに振るわれる刃の鋒は、マリアには届かない。


「フェリユ。貴女も覚えておきなさい。レイキ同士を無闇にぶつけ合ってはいけない。レイキの魂がすり減ってしまうから」

「レイキって何よ!」


 知らない。

 何もわからない。

 マリアの知識に遠く及ばない。

 共に育ち、共に修行を積んできたはずなのに。

 何故、マリアは自分の知らないことをこうも知っているのか。どうして、これだけの差がついたのか。

 誰よりも身近だと思っていたはずのマリアが、何者よりも遠く感じてしまい、フェリユは絶望に心を落としていく。

 それを、マリアはいつもの、姉のような優しい瞳で見つめていた。


「フェリユ。しっかりと前を向きなさい。貴女の目的は何だ? そうして出鱈目にユヴァリエールホルンを振るっていても、ユヴァリエールホルンは何も応えてはくれない」


 言って、フェリユから距離を取るマリア。そして、レサーノールホルンを薙ぐように振る。

 青く輝く宝玉がきらめく。

 それだけで、刃も交えていないというのにフェリユは吹き飛ばされる。

 フェリユだけでなく、薙刀を構えてマリアのすきうかがっていた上級戦巫女や、未だに困惑が残る上級巫女たちも吹き飛ばされた。


「言っただろう、フェリユ。わたしは必要であれば平気で嘘を付く。貴女は、わたしが病弱だと思っている。他の者も、年に数度は寝込むような虚弱体質だと知っている。だが、それは何故だ? わたしがそう言ったからだ。でも、違う。わたしは寝込んでなどいなかった。フェリユや他の者たちの目をあざむき、と共に研鑽を積み重ねていた」

「どういうこと?」


 ユヴァリエールホルンを構え直し、フェリユは問う。

 ルアーダの血を受け継ぐマリアとミレーユは、生まれた時から病弱だった。

 フェリユも、何度となく寝込んだミレーユを見舞ったことがある。

 だが、とマリアの言葉を受けて気付く。

 マリアが体調を崩した時。フェリユは、ミレーユの時と同じように、寝床にしたマリアを見舞ったことはあるだろうか?

 記憶を辿るが、殆ど無いことに今更気付く。あるとすれば、快復直前で面会が認められた時ぐらいだ。


 もしもマリアの言葉が真実であるのなら。

 マリアはその時。寝込んでいるとフェリユや他の者たちに伝えている間に、師匠と共に修行を重ねていた?


「師匠って誰? なんであたしにも秘密にしていたの!?」


 不思議だった。

 流水の動きは誰に教わったのか。

 槍術は何者の流派なのか。

 文献にさえ載っていないような上級法術や深い知識は、どこから齎されたのか。

 フェリユでさえも知らないことを、マリアは深く広く知っている。

 マリアにその知識と経験を与えた者、マリアが師匠と呼ぶ者とは誰なのか。


 だが、マリアはフェリユの問いに答えない。

 代わりに、更なる嘘を自らあばく。


「これも、嘘だ」


 言って、法力を解放させるマリア。

 圧倒的な女神の力の欠片が、マリアの内側から溢れ出す。

 洗礼を受けた巫女だからこそわかる。綺羅星の巫女だからこそ、マリアの絶対的な法力の総量を知ることができる。


「マリア……。法力が……!」


 三年前の大戦以降。強大になりすぎた法力を制御できずに、マリアは屡々しばしば、自身の法力を暴走させていた。

 だが、今は完全に法力を制御している。


「そうだ。わたしは法力の暴走など起こしてはいない。全ては……。長老巫女たちをあざむくため」


 そんな! と絶句する巫女たち。フェリユもまた、息を呑む。

 すなわち。マリアは三年前から長老巫女を邪魔な存在だと認識していたのだ。

 だから、巫女頭の地位から外し、実権を剥奪した。


 全ては、マリアの謀略だった。

 巫女でありながら、フェリユにさえ嘘をついて知識と経験を積み重ねてきた。長老巫女を油断させるために、法力が暴走すると騙して演じていた。そして、長老巫女やフェリユや全ての者たちを欺き、凶行に及んだ。


「わたしは、聖女などではない。薄汚れた卑怯な女だ」


 自虐にも似た笑みを浮かべるマリア。


 何故、マリアは嘘をついてまで力と知識を求めたのか。長老巫女を殺害したのか。

 巫女たちにはわからない。

 だが、フェリユだけはマリアのことを理解していた。


 全ては、人々のため。

 マリアが大切だと想う者たちのため。

 ミレーユやレイ、それにフェリユ。それだけではない。神殿都市に暮らす人々のために、マリアは迷わず進んできたのだ。

 たとえそれが、いばらの道であろうとも。


「……本当だ。マリアは嘘つきだね?」


 だって、今になってさえ、真実を口にはしない。

 その真実を口にすれば、人族の暮らしが崩壊すると知っているから。

 だから……

 だから聖女として、全ての闇を自分で引き受けて、終わらせようとしているのだ。


「馬鹿……ばかばかばかばか馬鹿!」


 言ってくれれば。相談してくれていれば。自分だって、マリアと共に歩んでいたはずだ。

 躊躇いなくマリアの味方でいられた。

 だけど……

 マリアは、自分を置いて去ろうとしている。

 それが、痛いほどに伝わってくる。


「マリアの馬鹿!」


 絶叫し、フェリユはユヴァリエールホルンを構え直す。


「全員、武器を構えて! 長老巫女殺害の容疑で、マリアを拘束します!」


 そして、先頭に立ってマリアへ突き進むフェリユ。

 上級戦巫女たちも、薙刀を構えて駆ける。

 上級巫女たちは互いに手を取り合い、輪を作る。たとえ個々の法力がマリアに抑えられているとしても。法力は、互いに想い結び合えば、繋がって大きくなる。

 大法術の要領で法力を高め、マリアを呪縛しようと試みる上級巫女たち。


「あたしは、ミレーユと約束したんだ。マリアを信じるって! ミレーユは言ったよ? あたしとマリアとミレーユは、これからだってずっと一緒だって! だから!!」


 マリアを罪人して捕えることになったとしても。

 マリアを捌くことになるとしても。

 フェリユは信じる。

 いつか、また三人で仲良く手を繋ぎ、天空の楽園でのんびりと夜空を見上げられる日が訪れるのだと。

 だから、失わない!

 ここでマリアという「命」を失わせない。


 聖女は必ず堕ちる。その伝承の結末は、いつだって凄惨で悲惨なものだ。

 力におぼれて堕ちた者。

 権力に魅了されて堕ちた者。

 愛に飢えて堕ちた者。

 たとえ一時的に聖女として女神の奇跡をこの世界に齎したとしても、聖女の結末は定まっている。

 堕ちた聖女は、正義によって裁かれる。

 即ち、死だ。


 マリアは堕ちた聖女として、神殿都市に潜んでいた闇をその身に抱え込み、世界を浄化しようとしている。

 マリアの言う「聖女としての清算」とは、自身の死によって神殿都市を救うことなのだ。


 だが、フェリユは拒絶する。

 マリアを信じているからこそ。

 未来を真っ直ぐに見つめるからこそ、マリアの決意と覚悟を否定する。


 絶対に、マリアを救ってみせる!


 聖女が必ず堕ちる。

 何故、そこに救いが無いのだ!

 無いのなら、自らが創り出してみせる!!

 マリアを救うことで、聖女は必ず堕ちるという伝承をくつがえしてみせる!


 ユヴァリエールホルンで連撃を放つ。

 感情を整理し、迷いのなくなったフェリユの斬撃は、マリアに迫る。それでも、マリアは流水の動きで全てを躱す。

 そこへ、上級戦巫女たちの連携された斬撃が襲い掛かる。

 マリアは、フェリユと相対していた時とは違い、レザノールホルンを振るう。

 超重量の斬撃に、上級戦巫女たちの斬撃が弾き返される。

 宝槍の所有者は、鍔に埋め込まれた宝玉によって荷重を制御している。しかし、受け手にはそのままの槍の重さと振られた勢いが押し寄せる。

 槍術においても遥かに格上のマリアは、多人数の上級戦巫女たちの連携を軽々とあしらう。


 フェリユが低い姿勢からユヴァリエールホルンを振り上げた。

 マリアは流れる動きで回避しようとして。一瞬、動きが止まる。

 それでもフェリユの攻撃を躱したマリアは、遠くで輪になり法力を練り上げる巫女たちを見つめた。


 この場は、マリアが支配している。

 生半可な法力では、法術を発動することさえできない。それでも、巫女たちは協力してマリアを呪縛しようと試みていた。


「あたしだって!」


 フェリユの頭上に、十数本の月光矢げっこうやが出現する。

 マリアに法力を抑えられて尚、自力だけで法術を展開するフェリユ。

 月光矢を放ち、マリアの動きを止めようとする。

 それでも、マリアは全てを躱す。

 ひらりと舞うように、ゆらりと流れるように、フェリユの斬撃を躱し、法術を回避し、上級戦巫女たちの連携を崩す。


「未熟だ。フェリユも、他の者たちも。この程度で、わたしをどうにかできると本気で思っているのか?」


 絶句する者たち。

 これが、巫女長マリアの実力なのかと。

 たったひとりで魔族の将軍を討ち取った聖女の実力なのかと。


 だが、フェリユは止まらない。

 知っている。

 マリアの実力は、まだこんなものではない!

 だから驚きはしないし、この程度で自身の決意と覚悟は揺るがない!


 綺羅星の異名に相応しく、フェリユは法術を素早く撃ち出す。そうしながら、マリアを打倒しようと、ユヴァリエールホルンを振い続ける。

 上級戦巫女たちも、マリアとフェリユの間隙かんげきって連携を放ち、上級巫女たちはより一層に法力を練ってマリアを呪縛しようとする。


 だが、その全てをマリアは受け流し、躱し、弾く。

 全く歯が立たない。

 追い詰めるどころか、肉薄することさえできない。

 それどころか、マリアはまだ法術を使用さえしていない。

 そして、星々ほしぼし聖眼せいがんと云われる巫女にとって最高位の瞳の力も解放させていない。

 レザノールホルンを振るうだけでフェリユや上級戦巫女たちを圧倒し、解放した法力の圧だけで上級巫女たちの呪縛を打ち破る。


 それでも、誰もあきらめない。

 マリアを拘束し、この異常事態を鎮めるのだと、上級戦巫女や上級巫女たちは奮戦する。

 フェリユはマリアを救うために、全力を尽くす。


 激しい戦いが続く。

 マリアは逃げることなく、フェリユたちの決意と覚悟を一身に受けて対立する。

 それはまるで、そうすることが自身の最後の責務であるかのように。


「マリア!」


 叫び、ユヴァリエールホルンを突き出すフェリユ。マリアはひらりと回避する。そこへ、死角から一本の月光矢が拘束で迫った。


「っ!」


 数ではなく、速さに絞った月光矢の一矢が、とうとうマリアに突き刺さった。

 だが、マリアは平然と動き、続く上級戦巫女たちの斬撃の雨をことごとく弾いていく。


「そんなっ!」


 絶句するフェリユ。

 数をしぼり、速さを求めた月光矢。しかし、威力はがなかった。

 命中すれば、マリアとて平気ではいられないはずだった。

 それなのに、全く意に介した様子もないマリアに、さすがのフェリユも息を呑む。

 それを見て、マリアが言う。


「わたしが腰に帯びている羽衣はごろもを忘れたのか? 猩猩しょうじょうの羽衣は、この程度の威力の術は通用しない」


 そうだ、と誰もが改めてマリアの存在の大きさを知る。

 ルアーダ家に伝わる秘宝のひとつ。猩猩の緋色の羽衣。これを纏っている限り、マリアには生半可な攻撃はそもそもが通用しない。

 たとえ上級巫女たちが力を合わせて法力を練ったとしても、マリアは己の法力で相殺せずとも打ち破れるのだ。先ほどのように。

 そして、フェリユの法術でさえも、マリアには届かない。


 絶望が広がっていく。

 本気を出してさえいないマリアに、手も足も出ない現状。

 このままでは、誰も目的を達することはできない。

 そう全ての者たちが思い始めた時だった。


 大地に、影が広がる。


 日中。気付けば、太陽は中天を過ぎて西に大きく傾き始めていた。

 フェリユたちは、それほどに長くマリアを相対に戦っていた。

 しかし、夜のとばりが降りるまでには、まだしばらくの猶予がある。

 しかし、大地に影が降りた。


「これは」


 そして、影に拘束されて、マリアの動きが封じられた。


 旧神殿都市跡を、月の影が広く覆っていた。

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