短編

しの

ブランコ

ふと思い出す記憶がある。

鮮明に、しかしどこか朧気に。

私にはとても歳の離れた友人がいた。

年の差は60、いや70歳くらいだっただろうか。

傍から見れば仲睦まじい祖父と孫だっただろう。

いや、友人から見れば孫のようなものだったか。

でもあの頃から私は彼を友人だと認識していたのだ。


彼と出会った時のことは今でも鮮明に思い出せる。

あれは5歳ぐらいのことだろうか。

両親が共働きだった私はよく1人で公園で遊んでいた。

当時住んでいた団地は子供が少なく、夜に見るとお化けが出そうなくらいボロボロで寂れていた。

子供が少ないと言っても数人は同じ保育園に通う子もいた。

だが、当時の私は引っ込み思案で友達を遊びに誘う勇気は無かった。

両親も仕事で忙しく、家に1人で留守番するのも退屈でよく1人で公園に遊びに行っていた。

そこは少しボロボロで誰も遊びにこない寂しい公園だった。

公園の周りをぐるりとフェンスに囲まれ、更にその周りを団地の棟が囲っていて今思えば大人が子供を見守れるようにだったのだろう。

だがあの頃の私は1人で遊んでいると通りがかった大人にジロジロと見られとても居心地が悪く、寂しさが増して嫌だった。

寂しさを紛らわすように色んな遊びをしていた。

すべり台、木登り、雲梯、ジャングルジムの頂上に登ってみたこともあった。

狭い団地は簡単に見渡せてすぐに飽きたっけな。

その中でもとびきり大好きで退屈だったのがブランコだった。

座るところは木材で持ち手は鎖で出来ていて握ると振動で鎖が擦れてカチャカチャ鳴るやつだった。

足が着かないのがまるで浮いているみたいでワクワクして、でも1人じゃ漕ぎ方が分からなくて動かなくてつまんなくて。

結局足をプラプラして青空と流れる雲をずっと眺めて、寂しさに耐えきれなくなったら帰る。

そんな遊びを毎日していた。


どのくらいの間1人で遊んでいたのかは覚えていない。

ある日、いつも通り漕げないブランコに座って空を眺めていると背後から声がした。


「嬢ちゃん1人で遊んでるんか。」


驚いて振り返るとフェンスの向こう側に肌が真っ黒に焼けてクタクタの白いタンクトップを着たおじさんが立ってた。

私はなんて答えたらいいか分からず黙ってた。

そんな私に気づいたおじさんは困った顔で笑った。



「急に話しかけたらびっくりするよなぁ。すまんすまん。」

「ううん、いいよ。」

「おっちゃんな、すぐそこの家に住んでんだ。」


そう言っておじさんはフェンスを挟んでブランコの斜め後ろの団地を指さした。


「昼間に庭で煙草吸ってたら、毎日嬢ちゃんがブランコに1人で座ってんのが見えてなぁ。親も友達も一緒じゃないみたいだし、ちっと心配でな。今日も散歩ついでに見に来たら寂しそうにしてるからつい声かけちまったんだ。」

「……。」

「昼間だけど子供1人じゃ危ねぇぞ?父ちゃんか母ちゃんは?」

「お仕事行ってる。」

「じゃあ友達は?」

「保育園にはいるけどここにはいないの。」

「そうかぁ、そりゃ寂しいな。…よし。おっちゃんでよかったら遊んでやる。」

「……いいの?」

「おっちゃんも暇だったからいいぞ。今そっちに行くから待ってろよ。」


そう言うとおじさんはゆったりとした動きで公園に入ってブランコに座る私の前によっこいしょっと言いながらしゃがみこんだ。


「さて、何して遊ぶ?」

「あのね、ブランコに乗りたいけど動かないの。」

「あぁ、まだ1人で漕げねぇのか。だからいつも座るだけだったんだな。」

「漕ぐ?」

「ブランコを動かすことを漕ぐって言うんだ。」

「1人でも乗れるの?」

「練習すればなぁ。だけど2人だともっと楽しいぞ。こうやって1人が後ろからブランコを押してやるんだ。」


そう言っておじさんは私の後ろに周って鎖を握りながら後ろに軽く下がってパッと手を離した。

びゅうっと風が顔に当たって髪の毛が揺れて空が近づいて一瞬がスローモーションのように感じて思わずうわぁ…!って声が出た。

初めて聞くブランコの音はキィーッキィーッって少しうるさいのに景色が動いていくのに夢中でちっとも気にならなかった。

だんだんとブランコは緩やかになって止まる。

興奮冷めやらぬと言った様子で後ろで鎖を握って支えてるおじさんを振り返って見上げた。


「怖くなかったか?」

「全然!楽しい!もっと押して!」

「よぅし、任せろ」


おじさんはニコニコ嬉しそうにまたよっこいしょっと言いながら止まらないように何回もブランコを押した。

どんどん高くなる度どんどん空が近づいて雲にも手が届きそうで、楽しくてキャハハハッ!って声を上げて笑った。

ひとしきり遊んだ後はおじさんとベンチに座ってお話をした。


「楽しかったか?」

「うん!すっごく楽しかった!」

「団地の子供らとは遊ばんのか?」

「…だってイジワルする子ばっかりだもん。」

「イジワルされたのか?」

「前にね、ドンって押されて転けて、ママに買って貰ったばっかりの靴を怖い森に隠された。涙が出てきて裸足で探し回って森に入ったら知らない人にすっごく怒られた。」

「怖い森?…もしかして子供は入っちゃダメだって言われてるみかん山のことか。誰だそんなことした奴は!おっちゃんがゲンコツしてやる!」

「またイジワルされちゃうからダメ。」

「…靴は見つかったのか?」

「怒ってきた知らない人が一緒に探してくれたよ。でももうボロボロになっててまた泣いちゃったの。」

「そうか…。悲しかったな。」

「…うん。」

「確かにこの団地には悪ガキが多いなぁ。」

「うん。」

「……。よし!おっちゃんが嬢ちゃんに友達出来るまで一緒に遊んでやる!」

「ほんと!?」

「あぁ、ほんとだ!家教えただろ?公園で遊びたくなったらおっちゃんを呼びに来い。嫁さんにも話しておくから知らないおばちゃん出てきても気にするなよ!」

「うん!ありがとうおじさん!」

「おじさんはなんか変な気がすっから別の呼び方にしてくれ」

「じゃあおじちゃんね!」


家に帰ってすぐにお母さんに新しい友達が出来たことを興奮気味に伝えた。

最初は知らないおじさんと…?と訝しんでいた母に一生懸命に事のあらましを伝えた。

母は不審な顔をするばかりでむくれた私は母の手を引いておじちゃんの家に向かった。

今思えばおじちゃんにはとんでもなく迷惑なことをしてしまった。

それでも母に友達を認めてほしかった私は必死だった。

おじちゃんの話を聞いて母は隣でペコペコ頭を下げながら最後には「私の代わりにこの子を見守っていただきありがとうございました。ご迷惑でないのなら今後もこの子のことをよろしくお願いします。」と言ってくれた。


それからおじちゃんと私は不思議なお友達になった。

毎日おじちゃんちの呼び鈴を鳴らして公園に引っ張ってブランコに乗ってたくさんの話をした。

夏の暑い日には汗だくになって遊んだ後、おじちゃんちの庭で奥さんとおじちゃんの3人でスイカを食べたりアイスを食べたりしながらいっぱい話したこともあった。

奥さん…おばちゃんもいつ私が来てもニコニコ笑ってよく来たねって頭を撫でてくれた。

おじちゃんが「アイツはいつも嬢ちゃんが来るのが楽しみでジュースとか菓子を用意してんだぞ。」ってニヤニヤしながらこっそり教えてくれた事もあった。

いつの間にか同年代の友達がいなくてもちっとも寂しくなくなった。

いつの日だったか、アイスを食べながら美味しいねっておじちゃんに笑ったら微笑みながらおじちゃんは言った。


「おっちゃんにはな、嬢ちゃんと同じ歳くらいの孫がいるんだ。でも遠くで暮らしててな、なかなか会えない。少しだけ寂しいなって思ってたが嬢ちゃんと会えるからなぁ。もう1人孫が出来たみたいだ。」


そう言って日に焼けた大きな手で頭を撫でてくれた。

恥ずかしくって嬉しくってにひって笑ったのを覚えてる。


そうしていつの間にか年月は過ぎ私は小学生になった。

学校で出来た新しい友達と遊ぶのに夢中でいつの間にかおじちゃんの家には行かなくなった。

それでも公園の近くで見かけるといつも大きく手を振り合っていた。

友達と一緒に遊んでいる時もいつも通りにおじちゃんに大きく手を振った。

そんな私を不思議そうに友達は見つめ言った。


「あの人おじいちゃん?」

「ううん!私のお友達だよ!」

「えっ!?だってあの人おじさんじゃん!」

「そうだけど私のお友達だよ?いっぱい遊んでもらったの!」

「おじさんと友達なんておかしい!変だよ!」

「…え?なんで??おじさんとはお友達になっちゃいけないの?」

「ダメだよ!変なことされるかもしれないじゃん!」

「おじちゃんはそんな事しないもん!優しいもん!」

「変な子なんか嫌!もう遊ばない!」


そう言って走り去って行く友達に精一杯にバカー!って叫んだ。

叫んだ拍子にボロボロと涙が零れて止まらなかった。

言われた言葉が悲しくて、おじちゃんを悪く言われたのが悲しくて、おじちゃんの優しさが伝わらないことが悔しくて。

ワンワン泣きながら家に帰った。

泣きながら帰って来た私に母は戸惑い、私は嗚咽混じりに起きたことを話した。


「そっか、それは悲しかったね。」

「…うん。」

「…お友達は嫌な事を貴方に言ってしまったけど、きっと貴方を心配して言っていたのかもしれないね。」

「…どうしておじちゃんと友達だと心配されちゃうの?」

「そうね…もちろんあの人は悪い人じゃないわ。とっても優しくていい人よ。」

「…うん。」

「あの人はたまたま良い人だったけど、あの人以外の大人の人とは遊んじゃいけないってあの時ママが言ったの覚えてる?」

「……うん。」

「それはね、悪い事をする大人もいるからだよ。貴方はまだ子供で大人の力には勝てないの。だから悪いことをしようとする大人に酷いことをされちゃうかもしれないの。ママ達に二度と会えなくなる事にもなっちゃうかもしれないの。そんなの嫌でしょ?」

「絶対嫌!」

「ママもそうだよ。もし貴方に何かあったらと思うとママは心配でどうにかなっちゃうわ。きっとお友達もママと一緒でそれを心配したんだと思うよ。」

「…そっか。」

「だからね、ママと約束してね。大人の人に一緒に遊ぼうって言われてもお菓子あげるよって言われてもついて行っちゃダメよ。」

「…うん。わかった。」

「よし、それなら明日お友達と仲直りできるかな?」

「うん、できる!」

「よしよし、それじゃあご飯食べようか。」


安心したように笑った母を見て子供ながらにいけない事をしていた事に気づいた。

もしもおじちゃんが悪い人だったら酷いことをされていたのかもしれない。

そう思うと一気に恐ろしくなったのを覚えてる。

もちろんおじちゃんは良い人で優しい人で大好きなのは変わらない。

でもいけない事なのかもしれない…そう考えているうちに、いつしかおじちゃんとは会わなくなっていた。


それからおじちゃんを思い出したのは高校生になってからだった。

ふと近所を散歩をしている時におじちゃんの家の前を通りかかった。

あ…ここって…。そんな感じでふと庭を見ると窓から家の中の様子が見えた。

そこにはおじちゃんはいなくて、おばちゃんが仏壇に手を合わせていた。

頭からさっと血の気が引いた。

いても立ってもいられず思わずおじちゃんの家の呼び鈴を鳴らす。

開いた玄関の向こうにはあの頃よりもシワが増え腰の曲がったおばちゃんがいた。

おばちゃんを見つめたまま何も言えず固まる私にあの頃と変わらない笑顔でおばちゃんは「久しぶり。よく来たねぇ。」と言った。

その一言であの日々を思い出し、涙が止まらなかった。


「あらあら、どうしたの?」

「…あの、あ…の、お、じちゃんは?」


嫌な予感は止まらなくて、嗚咽も止まらなくて、手先が氷のように冷たくて。

自分の勘違いだと思いたくて縋る様におばちゃんを見つめた。


「…1年前に亡くなったの。癌だったの。」


頭が真っ白になって、冷たい涙が頬を伝う感覚しか分からなかった。


「…ご、めんなさい、ごめんなさい。あんなに優しくしてくれたのに…ずっと会いに来なくて…なんにも、恩を返さなくて…」

「あらあら、何一つ謝ることなんてないわ。」

「…私まだ、何もできて、ません…」

「…確かに貴方が遊びに来なくなってからあの人寂しそうだったけど、でもとっても嬉しそうだったわ。」

「…え?」

「俺以外にちゃんと友達出来たんだなぁ。ちっと寂しいけど孫の成長は嬉しいもんだなぁ。そう言ってたわ。貴方が遊びに来なくなってからも庭から煙草ふかしながら公園を眺めて、貴方が1人でブランコに乗る姿を見て、漕げるようになったんだなぁ。って嬉しそうにしてたわ。孫になかなか会えない私たちにとって小さい貴方と遊んだあの日々はかけがえのない時間だった。あの時私たちは貴方からたくさん幸せをもらったの。だから恩ならちゃんと返してもらったわ。ありがとう。」


そう言ってぎゅっと私を抱きしめてあの頃よりも小さくなった手で優しく頭を撫でてくれた。

今度はあったかい涙がボタボタ零れて小さくなった背中にしがみつくように抱きついた。

おばちゃんは私の背中をポンポンと叩いた後、私の手を引いて家の中に招き入れ、仏壇の前に案内してくれた。

泣き腫らした顔を上げると額縁の中に大好きなニカッとした笑顔のおじちゃんがいた。

またボロボロ泣きながら最大の感謝と大好きを込めて手を合わせる。

あの日、私は貴方に救われました。



大人になった今でも青い空を見上げるとブランコで一緒に遊んだ日々を思い出す。

おじちゃん。ずっとずっと大好きだよ。今日も見守っててね。

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