あかいふく

諸井込九郎

あかいふく

 まんじゅうこわい、という落語をご存じだろうか。饅頭まんじゅうが怖くてたまらない、とうそぶく男が次々にまんじゅうを食わせられる、というはなしだ。最後に男はいけしゃあしゃあと「ああ、次はお茶が一杯いっぺぇこわい」などとのたまう、というのがこの噺のオチだ。

 私の場合は、そう上手くいかなかったのである。

 話は変わる。サンタクロースはご存じだろうか?聖夜に子どもたちへプレゼントを配って回る、あの赤い服の老人だ。私の家はそれほど裕福ではなかったから、クリスマスにプレゼントは何年かに一度しかもらえなかった。しかし、サンタを信じる子供心には家計など理解できず、「サンタクロースが毎年来てくれたらなあ」と無邪気に思いを馳せるほかなかったのである。

 そんな折。小学三年生の冬に、私はまんじゅうこわいを知った。未だサンタを信じていた当時の私は、サンタが怖いと言い張れば、逆に来てくれるのではないだろうか?と企てたのである。無茶苦茶な話だ。だが、子供の思い込みというものは中々に侮れないものである。当人でさえ後年思い返したときに、自分の行動が理解できないなんてこと、ままある話だ。私もそうだ。小学生の私は、それはもう全力でサンタを怖がったのである。〝狂乱〟、一言で表すならこれに尽きる。実際、親に小児精神科へ連れて行かれたほどだ。今思えばこのとき、既になにかが狂い始めていたのかもしれない。いや私がイカれていたのはそうなのだが…。


「サンタが怖いんだってね」

 ある寂しい秋の日の、帰り道だった。

 赤い服を着た一人の老人が、電柱の影に立っていた。

「サンタが、怖いんだってね」

ぼそり、と呟いてから、老人はゆっくりと私の方を見た。その目が左右別々の方向を見ていたことを、今でもはっきりと覚えている。

「どうして怖いんだい?」

老人は無表情のまま首だけを動かし、顔を私の方へ向けている。皺だらけの顔、垢の付いた瞼、髭がぼうぼうと生えた頬。浮浪者かな、そう思った。しかし鮮やかな赤い服が妙にアンバランスで、ぢくりと不安を掻き立てた。

「どうして、怖いんだい?何がそんなに、怖いのかな?」

彼がゆっくりと、近づいてくる。

「教えておくれ、知りたいんだ、何をそんなに怖がっている?何が怖い?何処が怖い?どうして怖い?教えておくれ、教えておくれ、教えておくれ」

気付けば、私は走り出していた。逃げる時に後ろは振り向かなかった。振り向けば、老人の姿がおそろしい怪物にでも変化して、すぐに縊り殺されてしまうような気がした。それに振り向かずとも、背中にべったりと何者かの気配を感じていた。

──いる。まだあの老人は、背後にいる──

 遠回りをして、なるべく人通りの多い道を通って帰った。玄関に着く頃にはもう、気配は感じなかった。


 両親や担任は、その話を信じてくれなかった。なんの対応もなかったことについては責めるべきかもしれないが、如何せんある日を境に突然「サンタがこわい!」と騒ぎだしたガキンチョの言う事である。赤い服を着た様子のおかしい老人に話しかけられたと来れば、「また嘘か」とあしらわれてしまう。完全に、オオカミ少年である。


 またあくる日のことである。今度は朝、登校中だった。狭い路地の奥から、じっと私を見つめる老人に気付いた。赤い服の老人はやはり無表情で、私を睨みつけていた。その顔はまるで能面のようで、怒っているようにも、笑っているようにも見える。老人が口を開く前に、私はあわてて駆けだした。そのあとすぐに友人と合流し、その日はやり過ごせたのであった。

 しかし次の日も、ちらりと目を遣った同じ路地の奥に──いた。

 今度は目が合った瞬間、老人が口を開く。

「赤が怖いのかい?赤い色が怖いのかい?」

十メートルは離れているはずなのに、まるで目の前で発声したかのような声の通りだった。私は思わず後退あとずさる。老人はずるりと前に出る。

「怖いのは赤かい?怖いのかい?赤が怖いのかい?」

無視。こういう手合いには答えちゃいけない、と物の本で読んだ記憶があった。

「怖いんだね?赤が怖いんだね?怖いのは赤なんだね?」

踵を返し、走る。今度も振り向けなかった。ただやはり、背中に纏わりつくべったりとした気配は、しばらく拭えなかった。

 夢中で走り、この日もなんとか友人と合流したのだった。しかし──

「あれ?お前のランドセルって赤かったっけ?」

友人が怪訝けげんそうな顔で尋ねた。私のランドセルは黒だ、何をバカな…と、背負っていたランドセルを降ろした私は、思わず叫びそうになった。黒いランドセルに赤い液体が塗りたくられていたのである。


 だが、この一件で私は友人たちからも距離を置かれるようになってしまった。彼らからすれば私は「自作自演までしてサンタ怖がりをするおかしなヤツ」だ。味方は誰もいなかった。そして、老人は現れつづけた。

「何が怖いんだい?何がそんなに怖いんだい?何で怖いんだい?」

登校途中の路地だけじゃない。体育館の舞台袖に、廊下の反対側の端に、公園の掃除用具入れの陰に、帰り道で見上げた歩道橋に、寝室から見える夜道に、居間の電気を消した闇の中に、老人は音も無くあらわれて、ささやくような声色で、しかし怒鳴りつけるよりも大きな音量で問いかけ、私の正気を侵していった。

「………サンタは…もうこわくない」

もう、懲り懲りだった。やめにしたかった。だから私はそう言ったのだ。

「怖くない?」

「こわくない。赤もこわくない。」

「怖くない」

「そうだよ…いちばんこわいのはオマエだよ…なんなんだよ、オマエ」

初めて意思の疎通が取れたこともあって、私は怖さよりも怒りを強く抱いていた。逆ギレもはなはだしいが、追いつめられた小学生には、もう駄々をねるくらいしか選択肢が残っていなかったのだ。

「ワタシは、怖くない」

「違うだろ!こわいんだよオマエは!」

「ワタシは怖い」

「だからそうだって──」

このときに見た光景を、私は一生忘れられないと思う。

赤い服が、一瞬で真っ黒に染まって、闇の中へ溶けた。

そうして、老人の顔だけが闇のまんなかに浮かんで、ひどくうれしそうな声色で──

「ワタシは、怖い」

嗤いながら、消えた。


 あれはなんだったのだろう。後々になるが、「さとり」という妖怪がいることを知った。さとりは人の心を読み取ることができるという。もしかしたら、人の恐怖心だけを読み取るようなヤツもいるかもしれない。だとすれば最後、自身がもっとも怖いものであると言われて──彼は、満足したのだろうか。

 ちなみにその後、私の前にサンタが現れることはなく、友人や両親からクリスマスプレゼントが贈られることも二度となかった。つくづく思う──サンタがこわいなんて、言わなきゃよかったな。

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あかいふく 諸井込九郎 @KurouShoikomi

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